第12話 もう一匹の魔犬
『おいっ! 女はどこだ!? ミルヴァナを出せや!』
「こいつは却下だ。ステファニーに何かあってはいけない」
「かしこまりました」
フィリップは魔犬をアベラルドに見せた。その気性を目の当たりにして、アベラルドは迷い犬を使わない決定を下した。
「迷い犬が居なくなってしまった……」
『女ぁ〜〜』
「計画変更しなければ……」
『女体ぃ〜〜』
「しかし、すでに庭園を散策する約束をしてしまった……」
『触りてぇ〜〜』
普通に美しい庭園を散策して、普通に花でも贈り、普通にキスをしても良いはずなのだが、アベラルドは満足しない。そのまま考え込んでしまった。一瞬、フィリップの脳裏に犬役に徹するミルヴァナが浮かんだ。あの馬鹿なメイドなら何も考えずに庭で迷うことが出来るだろう。思わず笑みがこぼれてしまう。
「どうした? フィル。何か良い案があるのか?」
「ギクッ――」
フィリップは一瞬体を強張らせた。ミルヴァナを犬役とする案はサミュエルによりすでに却下されている。
されてはいるが、個人的には推したい案だ。ミルヴァナには普段から苦労させられている。機会をみて、からかって遊ぼうと思っていた。そのために独断で犬役の衣装まで準備していたのだ。こうなったからには白状してみようとフィリップは思った。アベラルド公認でミルヴァナが犬役となっても十分面白そうだ。
「ミルヴァナを犬役に推薦いたします」
『うひょぉっ! いいねぇ、滾るぜぇ!』
「黙れ」
魔犬がうるさくて話が進まない。しかしアベラルドはそんなことはどうでもよかった。フィリップの言う案がどんなものか気になって仕方がない。
「ミルヴァナを犬役とはどういうことだ?」
フィリップは壮大なごっこ遊びの全容を語って聞かせた。もちろん、採用されるなど考えていないが、素晴らしい案かのように提案した。
「ステファニーの中で犬に……ごっこ遊びだと?」
アベラルドは困惑した。確かに今のステファニーは、ごっこ遊びが大好きだ。人間を犬役に指定しても、無理なく犬として受け入れるだろう。でも大事なのはファーストキスだ。それで本当に記憶に残る素敵なキスになるだろうか。記憶には残るが、さすがに素敵とまでは言い難い。だが、他に案も時間もないのは確かだ。
アベラルドはステファニーのことを考えた。ミルヴァナを犬役にすると、アベラルドにとっては雰囲気が台無しだ。しかし、四歳児のステファニーにとっては楽しくて幸せな思い出になるのではないか。彼女なら笑ってキスをしてくれるはずだ。ステファニーの笑顔の前では、己の願望など塵に等しい。
「その案でいく」
「まじですか……」
フィリップは驚き過ぎて口調が崩れてしまった。
『ヒャッハー! 雌犬と遊んでやるぜぇ!』
「お前は留守番だ」
『はあ!? 糞が! 俺様に指図するな!』
アベラルドは苦々しく魔犬を見ると、フィリップへ命令した。
「作戦中、魔犬の邪魔が入らないようにな。それと、計画変更についてサミュエルに伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
フィリップは魔犬を連れてアベラルドの部屋を退室した。大きく息を吸って吐く。深呼吸で己の心を落ち着けた。
(これは面白くなってきたっ!)
わくわくが止まらないフィリップは、にやりと笑った。そして、魔犬の首根っこを掴んで箱の中にしまい込んだ。魔犬が悪態をついていたが無視する。フィリップは軽い足取りでサミュエルへ報告しに向かった。フィリップがサミュエルの執務室に入ると、サミュエルは各人の勤務表を机の上に拡げていた。即刻、サミュエルが嫌味を投げる。
「やけに嬉しそうだな。そのにやけ面を汚してやりたくなる」
サミュエルの開口一番にフィリップの顔が引きつった。相変わらずいけ好かない男だ。格下の人間は、甚振っても構わないと思っているのだ。
「報告に参りました」
「それで? 魔犬はどうなった?」
「廃案となりましたよ」
「だろうな」
サミュエルはさも当然とばかりに返した。続けて今後について思案している。
「やはり無難に花束でも作るか……」
「いえ、その必要はありません」
「どういうことだ?」
「ミルヴァナが犬役に決定しました」
「は?」
サミュエルは茫然としている。
「ミルヴァナが、犬役に、決定しました」
「はあ……」
サミュエルは溜息をついて頭を抱えた。その様子を見てフィリップの溜飲が下がる。
「旦那様にあの話をしたのか?」
「代替案を求められたので仕方なく」
フィリップはにっこりと笑って応えた。それを聞いたサミュエルは仄暗い表情で思案している。何かを企んでいるようで、フィリップは嫌な予感がした。サミュエルは顔を上げると、晴れやかな笑顔でフィリップに言った。
「必要なものの手配は?」
「済んでおります」
「犬役の衣装も?」
「もちろん」
「ではそれを届けてくれ。私からミルヴァナに話をしておこう」
フィリップは自分でミルヴァナに報告するつもりだった。しかし、こだわりもないので任せることにする。
「分かりました。では後で届けに来ます」
「待て、犬は置いていけ」
サミュエルはフィリップが抱えていた箱を指して言った。先程はフィリップに魔犬を押し付けたくせに今度は置いて行けという。どう考えても怪しい。
「後で返す」
要らない、と言っても後でミルヴァナに魔犬が渡るだけだ。ミルヴァナは馬鹿で、無知で、卑猥だ。放っておいたら犬にでも犯されそうだ。面倒くさいがフィリップは承諾の返事をした。
「分かりました」
サミュエル・モートンは変態だ。全うな結婚など端から諦めている。特定の恋人が居た時期もあったが遠い昔だ。たまの楽しみは部下を虐めること。特に馬鹿なメイドを虐めるのは大好物だった。せっかくフィリップが犬役の衣装を用意したのだ。彼にかかれば如何わしい衣装なのは間違いない。
犬を躾ける。
ゾクゾクするほど痺れる響きに、サミュエルは我慢出来なかった。だが、ミルヴァナはコートナー家の縁者で、やり過ぎは禁物だ。ギリギリを攻めないといけない制約も彼を一層滾らせた。
「ミルヴァナ、参りました」
「ああ、入ってくれ」
ミルヴァナは使用人控室に入室し、サミュエルの前に進み出た。机の上には先程の呼び出しで見た犬の箱と大きな木箱が置いてある。
「魔犬に少々問題があってな。ミルヴァナ、君が犬役に選ばれた」
「まあ! 嬉しいです」
「フィリップから犬役の衣装を預かった。試着してみてくれ」
「分かりました」
ミルヴァナは机の上にあった木箱を受け取った。隣室へと繋がる扉を開けて、更衣室へ入っていく。さて、本番はここからだ。どんな躾けを行うか。サミュエルは魔犬でお手本を見せようと考えていた。ミルヴァナを前にした魔犬はとにかく媚びまくる。その仕草を真似させ、彼女が少しでも人間の矜持を見せようものなら折檻するのだ。堪らなく興奮する。やり過ぎないように気をつけなければ。
「それにしても遅いな……」
更衣室に入ってから幾らか時間が経っていた。サミュエルは扉をノックしてミルヴァナに呼びかける。
「時間がかかっているようだが、大丈夫か?」
「はい、少し手間取ってしまって……」
サミュエルが手伝ってもいいが、どうせなら言葉攻めをしながら一切手を出さずに眺めたい。いや、眺めなくてもいい。このまま扉越しにプレイ開始だ。
「衣装のサイズは合っているのか?」
「サイズですか? 着丈はピッタリですけど……」
着丈は……ということは、身幅がピチピチなのかもしれない。ミルヴァナの肉付きは非常に男をそそるシルエットをしている。出ているところを敢えて締めるような衣装など最高ではないか。
「苦しくはないか?」
「ん……、ちょっと苦しいです」
やはり最高だ。加虐心がむくむくと湧いてくる。
「だらしない奴め。そんなにキツイのか?」
「長時間は無理そうです。今でも脱ぎたいくらい……」
「くっ……」
サミュエルの中で脱がせたい気持ちと、着せたままで痛めつけたい気持ちが拮抗する。悩ましい選択を突きつけるミルヴァナはなんと罪作りなことか。
「駄目だ。きっちり着とけ……」
「はい……、あいたっ!」
「どうした?」
「尻尾が足に絡まって転けそうになっちゃいました」
(くそっ! そのまま縛りあげたい!)
自身の尻尾に絡まるなど間抜けにも程がある。罵りたくて仕方ない。サミュエルの脳裏に尻尾という紐で縛られ、情けなく縋る淫靡なミルヴァナが浮かんだ。胸は薄い布に潰され、肌は擦れて赤くなっている。クゥ〜ン、クゥ〜ンと鳴いては涙を流すのだ。これは堪らない。サミュエルは興奮のあまり本性を現した。
「間抜けな馬鹿犬には仕置きが必要だなっ!」
――バァァンッ
そう叫んだと同時に更衣室の扉が小さく爆発した。サミュエルが興奮しすぎて魔力が暴走したのだ。ぷすぷすと燻る扉の向こうには、着替え終わったミルヴァナがいた。彼女は驚いて固まっている。そして、サミュエルも固まっている。
「は?」
二人の間に訪れる一時の静寂。
(きぐるみだとぉーーー!)
ミルヴァナの衣装はダボダボの着ぐるみだった。彼女は粉砕された扉のことが気になったが、自分のせいにされたくなかったので、あえて無視して衣装についてコメントした。
「身幅がガバガバで……」
「ピチピチ食い込みは?」
「被り物が息苦しくて……」
「脱ぎたいほどの痛みは?」
「尻尾なんて引きずっちゃって……」
「絡まって拘束は?」
「何を言っているのか良く分かりません。とにかく、もう少し布をつめた方がいいと思います」
サミュエルの性欲は行き場を失った。そして、全ての元凶である憎き男の名を、彼は力の限り叫んだ。
「フィリイィィッップッ!!」
サミュエルの怒りの叫びは屋敷中に響き渡った。
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