第11話 魔犬

 フィリップはサミュエルに呼び出された。家令専用の執務室をノックして入る。


「フィリップ、参上しましたよ」

「ああ、来たか」


 部屋の奥にある執務机の上に、箱が一つ置いてあった。サミュエルは椅子から立ち上がって箱の蓋をひと撫でしてから、フィリップに言った。


「開けてみろ」


 サミュエルはサディストの気質がある。わざわざ呼び出したうえ、箱を開けろという命令は非常に怪しい。が、フィリップに拒否権はない。仕方なく指示に従う。フィリップが箱の蓋に手を伸ばすと、箱全体がガタッと揺れた。


「生き物? もしかして魔犬ですか?」

「そうだ。開けろ」


 フィリップは蓋を開けた。そこには白地に茶色のブチが入った小型犬がいた。犬は気怠そうにフィリップを睨めつける。


『おいおい、坊主がご主人か? 勘弁してくれ』

「まさか魔王の成れの果てですか?」

『ああ? てめぇ誰だ?』

「また厄介な物を掴まされたな……」

『おいコラッ! 無視すんな!』


 魔族は死の概念がない。魔族の対処は基本的に無力化であり、衰弱させたり、封印したり、転換したりする。戦後、国王は魔王を別の生物へと転換させた。その生物が生きている限り魔族の復活は先送りされるからだ。これまでの歴史の中で、転換が最もコスパの良い無力化方法であった。魔王と使役関係にあった魔族も同様に転換されるので、効率の面でも優秀な方法だ。これにより魔王と使役関係にあったミルヴァナも転換され、人間となっていた。魔王は人間ではなく、犬に転換されたようだ。


「フィリップ、お前が面倒をみろ」

「お断りだ」


 フィリップの即決にサミュエルがこめかみをぴくりと引きつけた。


「拒否できると思っているのか?」

「魔族の監視ならお得意でしょう?」

「私はお前の下半身の監督で忙しいんだ」

「ご冗談を。自由にさせてもらってますよ」


 フィリップは嫌らしく秀麗な顔で笑った。それを受けてサミュエルがふんと鼻を鳴らす。


「その自由すら私の監督下にあるのだよ」

「左様ですか。慈悲深いことですね」


 静かに男達が牽制の笑みを放つ。


『おい、坊主共。いい加減まともに――』


 フィリップが笑顔のままそっと蓋を閉じた。その途端に魔犬の声が途切れる。


「では、仕事に戻ります」

「待て」


 サミュエルが止める。フィリップの顔をにやにやしながら眺めている。何を企んでいるか知れたものではない。


「お前が引き受けないならミルヴァナに頼もうと思っている」


(あの馬鹿に? 面白いじゃないか。俺に止める理由はない)


「どうぞご自由に」

「まあ、少し見物していけ」


 そう言うと、サミュエルは部屋の扉を開けた。廊下に控えていたのはミルヴァナだった。


「よく来たな。入れ」

「あら? フィルも来てたのね」


 フィリップは手を上げるだけで挨拶を済ませた。サミュエルが何を企んでいるか……。なんとなく気乗りしない。フィリップが訝しんでいるとサミュエルがミルヴァナに指示を出した。


「ミルヴァナ、その箱を開けろ」

「はーい」


 彼女は何も考えずに素直に開けた。少しは警戒しろとイライラする。


『ワンッ』

「まあ! 可愛い!」


 魔犬はミルヴァナに飛びついて、その胸に顔を埋めた。しっぽを千切れるほどに振り、『くぅ〜んくぅ〜ん』と全力で媚びている。


「は?」


 フィリップはドン引きした。先程の態度とは雲泥の差だ。だんだんと魔犬のスキンシップは加熱していき、ミルヴァナの首を舐め始めた。フィリップは盛大に溜息をつくと、魔犬の首根っこを掴み上げた。


「駄犬が調子づくな」

『キャン! キュゥウ〜ン』


 魔犬は茶番劇をまだまだ続ける。フィリップはうんざりした。


「フィル、犬が苦しそうだわ。離してあげて」


 誰のための行動だと思っているのか。ミルヴァナに言って聞かせようとすると、魔犬がグルルと唸り始めた。正体をバラされたくないのだろう。この魔犬は元魔王だ。意に沿わぬことをすれば、ややこしいことになるかも知れない。


(ああもう! 面倒な!)


 面倒だと思うが、魔犬の望み通りミルヴァナの元に返してやるのも癪だ。そして、この一連の全てがサミュエルの思惑通りだということも気に入らない。


「俺が魔犬の面倒を仰せつかった」

「そうなの? 今度だっこさせてね」


 フィリップは溜息をついた。


「いいからもう行け。俺はこのサミュエルと話がある」

「分かったわ」


 なぜ呼ばれたのか疑問にも思わないミルヴァナが退室し、フィリップはサミュエルを睨んだ。サミュエルは足を組んで椅子に座り、満悦の表情でフィリップを迎えた。


「フィルがミルヴァナを庇うなんて意外だなぁ」

「白々しい。男に愛称呼びされる趣味はない」

「おお怖い怖い。天下の色男は怒らせると恐ろしい」

「チッ」


 いちいち癇に触る言い方をする。


『おい! 俺は男に面倒みられるなんぞ御免だ! さっきのエロい姉ちゃんにしろっ!』

「うるさい、駄犬」


 フィリップは魔犬を箱へ戻した。


「躾がなってないな」

「いやはや全くその通り」


 サミュエルがしれっと答えた。魔犬を調達した張本人なのに罪悪感の欠片もない。


「俺に制御出来ると思えませんが?」

「懸念は良く理解しているよ」


 サミュエルは一つの首輪を出してフィリップに手渡した。


「これは私からの贈り物だ。有り難く受け取れ」


 要するに丸投げだ。丁寧に贈り物まで用意して嫌味たらしい。フィリップが首輪を受け取ると、悔しさが込み上げてきた。サミュエルが一番憎いが、何も知らない脳天気なミルヴァナにも腹が立つ。フィリップは彼女に仕事を押し付けてやろうと考えた。

 フィリップは箱の蓋を開けて魔犬に首輪をつける。


『ああん? なんだこれ? 首輪か? まさか俺様を犬扱いするつもりじゃないよな?』

「さっきから俺はお前を駄犬と呼んでいる」

『殺んのか、ゴルァ!』


 魔犬が牙を剥き出しにしてフィリップに襲いかかったが、フィリップは首輪を掴んで捻じり倒した。


『てめえ、何しやがる!?』

「勘違いするな。この首輪を用意したのはそこのサミュエルだ」


 フィリップはサミュエルに視線を送った。自分一人だけ恨まれるのは嫌なので、道連れが欲しかったのだ。サミュエルは平然とした顔でフィリップの視線を受け止め、魔犬に爽やかな笑顔を向けて言い放った。


「薄汚い犬には似合いの首輪ですよ」


 さすがサディストのサミュエル。決め台詞が痛過ぎてフィリップはひいた。


『チッ! 下郎めが!』

「罵るのは私の特権です」

「うわぁ……」


 フィリップがますます引く。本当に気持ち悪い。そんなフィリップの反応すらも悦んだサミュエルは、満足そうに微笑んだ。


「餌はネイサンに話をつけてある。朝夕に与えてやれ。寝床は……、フィリップの部屋なら喜んで張り付きそうだな」

『俺は別の雄がヤッてるところを見る趣味はねぇよ。むしろ俺にヤらせろ。さっきのエロい姉ちゃん希望な――いだだだっ!』


 フィリップはむしゃくしゃして首輪を捻りあげた。この駄犬と上手くやっていける未来が見えない。


「黙れ。犬は犬らしく雌犬に盛ってろ」

『くっそ〜っ! すぐに魔族化して犯してやるっ!』


 するとサミュエルが魔犬の首根っこを掴んで、顔の高さに持ち上げ睨んだ。


「ミルヴァナは駄目だ。あれはコートナー家の縁者だからな」

『は! 人間の都合なんて知ったことか!』

「これはお前にも言えるぞ、フィリップ」


 余計なお世話だとフィリップは思った。それを察してサミュエルが続けて釘をさす。


「この家で奥様とミルヴァナだけが貴族女性だ。手を出せば家が出張ってくる。キャスリン、ティオナ、マリッサで手をうっとけ」


 聞き覚えのある名前にフィリップは辟易した。サミュエルは投げるように魔犬をフィリップへ寄越す。フィリップはいやいやながら受け取った。


「サミュエルの差金か……。あいつら結託したように毎夜交互に現れるんだが、やめさせろよ」

「下半身の管理も私の仕事だからな。他所で子作りされては困る。それに、彼女達を受け入れてるのはお前だろ?」

「断れない性格なもので」

「よく言う」


 男達の間で嫌味の応酬が続く。無視された魔犬は不満そうに吠えた。


『俺はこの男の寝室で寝るなんてお断りだっ!』

「それは奇遇。俺もそう思ってた」

『さっきのエロい姉ちゃん、ミルヴァナだっけ? そいつのところで寝させろ! ――いだだだっ!』


 すかさずフィリップが首輪を締め上げた。また同じやり取りをして話が進まない。それをみてサミュエルが口を挟む。


「寝るときはキャスリンたちの相部屋においてやる。犬なら手を出すにしても限界があるだろ」

『キャスリンは巨乳か?』


 サミュエルがキャスリンの相部屋を提案したのに、魔犬はフィリップに質問してきた。質問する相手を間違ってはいないが、また苛ついてしまった。しかし自室から魔犬を追い出せそうなので、正直に話すことにした。


「俺の手に収まりきらん」

『ウホッ♡ しゃあねぇな。我慢してやる』


 我慢している顔ではないが、フィリップは何も突っ込まないことにした。


「サミュエル、例の作戦に本気でこいつを使うつもりか?」


 ファーストキス大作戦。迷い犬役に魔犬を使う予定だが、この魔犬は卑猥過ぎる。ステファニーがどうなるか分からない。


「それは旦那様のご判断を待つ」

「許すはずもないだろう?」

「おそらくな」


 知能の高い魔犬は手に入ったが、素行が悪すぎて使い物にならない。失敗は最初から見えていたことだが、予想外の展開だった。


『おいおい。俺様を誰だと思ってんだ。何だか知らんが俺に出来ないことはねぇ』

「では去勢しろ」

『はあ!? 無理に決まってんだろっ! バァーーカッ!』

「「馬鹿はお前だ」」


 サミュエルとフィリップの台詞が被る。こんなことなら魔犬など探さなければ良かったと、心底後悔するサミュエル。本格的に馬鹿の面倒をみなくてはならないのが億劫すぎるフィリップ。両者、暗澹とした気持ちで解散となった。フィリップはそのままアベラルドの部屋へ行き、魔犬を見せることにした。

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