第9話 作戦会議
アベラルドは義母がもらした言葉を反芻していた。
――優しく愛してあげればいいの
彼はステファニーのことを心の底から愛している。そして、愛に溢れるアベラルドは健全な男性だ。これまで幾度も性的興奮を抑え、我慢に我慢を重ねてきた。しかし、この義母の言葉を思い出すたびに、理性が揺さぶられ箍が外れてく。
(キスならば子供でも許されるのではないか?)
キスは子供への愛情表現としても一般的であり、ステファニーの情緒の安定にも良さそうだ。そう思い至ったらキスがしたくてしたくて堪らなくなった。
アベラルドにとってもステファニーにとってもファーストキスである。
アベラルドはキスに心血を注ぐことに決めた。思い出に残る素敵なキス――彼の中で理想形があった。
[以下、アベラルドの妄想]
美しい庭園を散策中、迷い犬が現れる。優しいステファニーは逃げる子犬を保護すると、飼っても良いかとアベラルドに尋ねるのだ。情け深いアベラルドは快く了承し、ガゼボの長椅子に腰掛ける。
ステファニーの膝の上で穏やかに眠る子犬。彼女は子犬の安眠を慮ってそこから動けなくなってしまう。彼女が逃げられない隙に、アベラルドが背もたれに追い込むように迫る。少し肩を震わせるステファニーだが、すぐに蕩けるような笑みを浮かべ……
『くふふっ、かわいいね。このこ、つかまえられてよかった!』
『捕らわれているのは子犬とステファニー、いったいどちらかな?』
『ふぇ?』
『逃がさない――』
『あっ――』
一陣の風が吹き、薔薇の花が散って花びらが舞い上がる。薔薇の香りが濃くなるなか、そうして二人は唇を重ねて――[妄想おわり]
「くっ、完璧すぎる……」
アベラルドは興奮した。乙女思考の彼はこれしかないと考えた。有言実行。彼は使用人を呼びつけた。部屋には家令のサミュエル、従僕のフィリップ、ステファニー付きメイドのミルヴァナが集められている。
「これより、ファーストキス大作戦の概要を説明する」
屈強な偉丈夫が恥ずかしげもなく自身のファーストキスを大作戦に仕立てる。アベラルドは大真面目だった。作戦の要となる迷い犬。この子犬がタイミングよく寝てもらわなければならないのだ。訓練された特別な犬が必要だった。
「魔犬でも飼いますか?」
家令のサミュエルが少し投げやりに提案した。魔犬とは魔術師が育てる特別な犬で、力の強い犬ほど明瞭に意志の疎通が出来るという。現実的に一番成功の可能性が高い選択肢だ。だが魔犬は希少なので、お金を積んだからといって賢い犬が手に入るとは限らない。
「伝手を総動員しろ」
「承知しました」
これでもアベラルドは英雄という地位にいる。知性は運次第だが、魔犬は手に入るだろう。アベラルドはそれぞれに作戦における役割を与えていった。
サミュエルは、魔犬の手配と仕事の調整。
フィリップは、庭師と連携してガゼボ周辺の演出、および、キス後のお茶会の世話。
ミルヴァナは、ステファニーが犬嫌いかどうかの確認。そして当日はなぜか盛装する予定なので、彼女を飾るのも重要な仕事だ。
「以上だ。各自、抜かりなく遂行しろ。解散!」
アベラルドは軍人らしく号令をかけた。3人がアベラルドの部屋から出ると、家令のサミュエルが二人に話しかけてきた。
「話がある。ついてこい」
フィリップとミルヴァナはサミュエルについていき、使用人が使う控室に入った。サミュエルは椅子に座ると長い足を組み、悩ましげに眼鏡を直した。そこから青紫色の瞳が覗き、フィリップとミルヴァナを睨めつける。
「あの作戦は失敗する」
それはフィリップも分かっていた。動物頼りの作戦など、よほど訓練されてない限り成功しない。アベラルドは軍事作戦を緻密に計画することは出来るが、恋の駆け引きになると杜撰になる。
「そうでしょうね」
「だが、失敗すれば旦那様はしばらく使い物にならん。それは私が困る」
「代替案を寄越せと?」
「何かあるか?」
ファーストキス大作戦などフィリップには理解出来なかった。彼はファーストキスなど覚えていない。来る者拒まず去る者追わずを地でいく彼にとって、キスくらい適当な暗がりでさっと終わらせれば済む話だ。アベラルドの乙女思考を満足させるような代替案など、思いもよらない。
「旦那様好みの代替案となると難しいですね」
「はあ、あのピュアはどうにかならんのか」
男性陣はミルヴァナに視線を寄せた。擦れた男二人では発想に限界がある。サミュエルはミルヴァナに答えを求めた。
「何か案はあるか?」
「ファーストキスの作戦、ですか?」
「そうだ」
なぜミルヴァナがアベラルドのキスの面倒をみないといけか。彼女は憤りを感じていた。ミルヴァナは英雄に復讐しにきたのだ。アベラルドに呼び出されて作戦を聞いていたときも、いかにして悪事を仕込むかということばかり考えていた。
しかし、これはチャンスだ。この作戦の代替案に悪事を仕込めば、アベラルドをぎゃふんと言わしめることができるかもしれない。
ミルヴァナは考えた。馬鹿なりに一生懸命考えた。
「私が犬になれれば……」
「は?」
サミュエルは唖然とした。変化術は高等魔族でも難しい魔術だ。ミルヴァナがどういうつもりで犬になると言い出したのか分からなかった。
「まさか変化術を使えるのか?」
「いえ、そういうことではなく……」
ミルヴァナは歯切れ悪く答えた。
「では、どういうことだ?」
「ごっこ遊びの延長で私が犬役になれば、奥様の中で私は犬です」
ミルヴァナの突拍子もない戯言を聞いて、フィリップは想像した。
[以下、フィリップの妄想]
美しい庭園を散策中、迷い犬(コスプレ)が現れる。優しいステファニーは逃げる子犬(自称)を保護すると、飼っても良いか(監禁)とアベラルドに尋ねるのだ。情け深いアベラルドは快く了承し(外道)、ガゼボの長椅子に腰掛ける。
ステファニーの膝の上で穏やかに眠る子犬(膝枕)。彼女は子犬の安眠(たぬき寝入り)を慮ってそこから動けなくなってしまう。彼女が逃げられない隙に、アベラルドが背もたれに追い込むように迫る。少し肩を震わせるステファニーだが、すぐに蕩けるような笑みを浮かべ……
『くふふっ、かわいいね。このこ(犬耳しっぽ付き)、つかまえられてよかった!』
『捕らわれているのは子犬(成人女性)とステファニー、いったいどちらかな?』
『ふぇ?』
『逃がさない(両方)――』
『あっ――』
一陣の風が吹き、薔薇の花(純潔)が散って花びらが舞い上がる。薔薇の香りが濃くなるなか、そうして二人は唇を重ねて――[妄想終わり]
(面白いじゃないか!)
フィリップとしては即採用したい案だ。しかしサミュエルはそう考えなかった。
「馬鹿なことを言うな。それであのピュアボーイが納得するわけがない」
「そうでしょうか?」
「なに?」
「奥様が逃げられない状況でキスが出来れば良いのでしょう? なら、奥様が野ウサギで旦那様と私は猟師と猟犬になれば良いのです!」
美しい庭園で繰り広げられる美女を従えての幼女狩り。倒錯的なごっこ遊びだ。もはや甘い雰囲気など微塵もない。
「むしろ私が猟師をしたい」
サミュエルは素直に唸る。フィリップは苦笑しながらミルヴァナに言った。
「旦那様に猟師役は出来ないだろう。奥様を追い詰めて捕らえるのではなく、自分の腕の中に収めたいだけだからな」
「腕の中に、収める……?」
ミルヴァナは眉間にしわを寄せ、心底分からないという表情を浮かべた。ミルヴァナが犬役になれば、最終的にキスを邪魔することは簡単だ。嫌がらせとしては良い案だと思ったが、周りには受け入れがたいようだ。
「代替案がないのは仕方ないな。賢い魔犬が手に入るよう尽くすだけか……。フィリップ、一応当日に花束でも作っておいてくれ。最終的にそれで誤魔化そう」
「分かりました」
フィリップとミルヴァナは使用人控室を出て主人の部屋へと向かった。途中、フィリップがミルヴァナに質問する。
「ミーナ、まだ犬役を務める気はあるか?」
「あるわよ」
「分かった。俺の方でも準備しとく。期待しとけ」
「え、うん」
フィリップの言う準備とは何なのかミルヴァナには分からないが、してくれるというなら頼る。斯くして、ファーストキス大作戦の準備が進められていった。
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