第6話 愛するということ

 ステファニーの両親が見舞いのために屋敷へやって来る。アベラルドとステファニーの結婚式は国を挙げての行事となったため、式で義父母と話す機会は少なかった。元より、日を改めて訪れることになっていたが、ステファニーの記憶が無くなったという知らせを受けて、わざわざ早めに駆けつけてくれるのだ。


 ステファニーの両親とアベラルドの父親は仲が良く、その縁もあって二人は婚約した。アベラルドにとってステファニーの両親は良く知っている親戚の大人のような存在だ。

 しかし、アベラルドは入婿である。

 今は軍に所属しているが、いつかは退役して義父から領地運営について教えを乞うことになっている。彼の立場は弱い。そのうえ、結婚した途端にステファニーの記憶が無くなったのだ。義父母からどう思われているのか、アベラルドは不安に感じていた。


「旦那様、エーデルレイク家ご当主夫妻がもうすぐ到着されます」

「分かった」


 家令のサミュエルに呼ばれて、アベラルドは義父母を迎えに出る。玄関ホールにはすでにステファニーが待機しており、使用人も全員揃っていた。エーデルレイク家当主とその妻が初めて屋敷を訪れるのだ。総出の迎えは当然である。しばらくして、サミュエルの案内で義父母が屋内に到着した。


「おかあさまっ! おとうさまっ!」


 ステファニーが母である女性――メリーベルに飛びついた。ステファニーに良く似た美女で、髪色だけが明るい茶色と異なっている。


「うわああぁぁぁん」


 ステファニーは泣き出してしまった。気丈に振る舞っているとはいえ、彼女の中身はまだ四歳児だ。両親に会うことで緊張が解けて安心したのだろう。


「ステファニー……」


 メリーベルはステファニーの頭を何度も撫でた。子を慈しむように優しく抱きしめる。その様子を見て一同は心を痛めた。特にアベラルドは己を恥じた。ステファニーの記憶喪失の原因は自分にあるとアベラルドは考えている。ステファニーを一番に思いやるべきなのに、義父母からの評価ばかりに気を取られていたのだ。改めて、アベラルドは考えを巡らせた。義父母の元にステファニーを預けたほうが良いかもしれないと。

 ステファニーが泣き止んだころ、アベラルドは義父母に声をかけた。


「ようこそおいで下さいました。まずはお部屋へご案内いたします」

「婿殿、世話になるよ」


 金髪の美丈夫がアベラルドに答えた。この男がエーデルレイク家当主、デニス・エーデルレイク。彼は迎えている使用人らに鋭い一瞥を投げた。俄に緊張が走る。デニスはゆっくりとミルヴァナの前にやって来ると、彼女の目の前に立った。


「やあ、君の名前を教えてくれるかな?」

「ミルヴァナ・コートナーと申します」


 するとデニスはミルヴァナの肩を抱いて歩き出した。


「ミルヴァナちゃん、可愛いね。俺はデニス。長旅で疲れたから部屋へ案内してくれるかな? ミルヴァナちゃんが癒やしてくれると最高だなぁ」

「あーなーたぁっ!」


 般若の形相でメリーベルが吠えた。デニスはビクッと肩を震わせる。


「はっ! 俺はいったい何を?」

「とぼけるな! この節操なし!」


 ――スパァァンッ


 メリーベルはデニスの頭を叩いて、小気味よい軽い音を響かせた。


「美人に見境なく盛るな!」

「おとうさまのスケコマシ」


 俗な言葉でステファニーが父を罵る。その表情は無垢だった。


「お変わりないようですね」


 アベラルドが溜息を漏らした。義父のデニスは女好きで、ピュアなアベラルドと対極にある存在と言える。私生活は残念だが、領主としては優秀で尊敬出来る人だ。彼がアベラルドに求めることは領民に誠実であることだけで、他については干渉されたことがない。


 反対に、義母のメリーベルは愛情深くステファニーを大切にしている。ステファニーの婿における絶対条件は一途であること。メリーベル自身が夫に苦労しているので、そう思うのは自然なことだった。その点においてアベラルドは合格点を勝ち得ている。サキュバスにも惑わずにステファニーを愛しているのだ。その事実だけでメリーベルからの評価は非常に高い。


 義父母の元にステファニーを預けるか――ひとまず彼らを部屋へと案内してから、一同は談話室へと集まることになった。


 四人揃った談話室でお茶が振る舞われていた。ステファニー付きのメイドであるミルヴァナはステファニーの側に控えている。


「ミルヴァナちゃん、おじちゃんの膝が空いてるよ。ほら、座りなさい」


 なぜわざわざ人の膝の上に座らなければならないのか。明らかに座りにくそうだ。ミルヴァナにはさっぱり理解できなかった。


「あなた! いい加減になさい!」

「おとうさまのスケコマシ」


 メリーベルの怒りに合わせてステファニーが同調する。ステファニーは幼少のころよりメリーベルを援護するように仕込まれていた。本人は言葉の意味すら分かっていない。


「膝に座るくらい良いではないか……」


 デニスが残念そうに肩を落とすと、ぎろりとメリーベルが睨らんだ。そんな二人を無視して、ステファニーが急に立ち上がる。


「ステフ、おひざにのりたい」

「おっ! 久しぶりに来てくれるのか」


 デニスが愛娘の申し出に嬉しそうに声をあげた。メリーベルは娘に対しては何も言わなかった。彼女の中身は四歳児で、父親に甘えたいこともある。そう慮ったのだ。しかし、ステファニーはデニスを無視してアベラルドの膝の上に座った。


「おいたんといっしょ! くふふっ」

「ふんっ――!!」


 ――ムキムキムキッ


 緊張のあまりアベラルドの大腿四頭筋が盛り上がる。ズボンの布地が張り裂けそうだ。同時にステファニーの目線も少し上がった。


(尻が! ステファニーの尻がぁ! やらかいぃ……)


 極上の感触を楽しむアベラルドだが、その表情は硬い。今は義父母の前だ。だらしない顔は見せられない。


「ステフ、そのまま寄りかかって肩に腕を回しなさい」

「いいぞもっとやれ」


 メリーベルがステファニーに指示を出し、被せるようにデニスが煽る。


「何をおっしゃるのですか!? ステファニーの中身は四歳児です。無体を煽らないでください」


 義父母の手前、珍しくアベラルドの方が冷静だった。すると、真剣な目をしてメリーベルが話しだした。


「今日はその件について話に来たのです。ステファニーの記憶が無くなった原因は分からないのですか?」


 医師は原因が分からないと言う。だが、アベラルドは自分が原因だと考えていた。苦痛で顔が歪む。


「俺のせいかもしれません……」

「アベラルド?」

「魔族との戦争中、ステファニーを顧みることを怠りました。それが原因だと考えています。もしかしたら、ステファニーはお義父様とお義母様の元で療養する方が良いかもしれません」


 アベラルドは無邪気に膝に座るステファニーの髪に触れた。本来なら触れる資格すらないかもしれない。彼はそう思っているのだ。


「それは違うな、婿殿」


 デニスが確信を持って断言する。


「ステファニーは婿殿を愛している。結婚式でそれは幸せそうだった。婿殿が原因とは思えない」


 アベラルドは式の間、ほぼファーストキスのことしか考えていなかった。ステファニーのことはずっと見ていたが、キス顔の妄想だけが頭に浮かんだ。恥ずかしくて顔が熱くなる。


「ステフ、アベラルドのことは好き?」


 メリーベルがステファニーに質問した。ステファニーは少し身を捩り、アベラルドの顔を覗き込む。


「あべらんどって、おいたんのこと?」


 正確には「アベラルド」であって「あべらんど」ではない。しかしここで四歳児の間違いを指摘するのは野暮だ。アベラルドは首肯することにした。


「そうだ」


 何と返されるのか、アベラルドはドキドキした。ステファニーは眩しい笑顔で答える。


「おいたんだいすきー!」


 加えてメリーベルがステファニーに質問する。


「お父様やお母様と一緒にお家へ帰る? それともここに居る?」

「ステフ、おいたんといっしょにいる」


 ステファニーがアベラルドの肩に腕を回して抱きついた。アベラルドは思わず涙ぐむ。


「ステファニー……」


(本当に恨んでいないのか? 俺は間違ってなかったのか?)


 膝の上のステファニーは笑顔で寄り添ってくれた。それだけで救われたような心地になる。記憶がなくなった原因は分からないが、アベラルドの中にあった罪悪感は薄れていった。親しい第三者が居て良かったと心から感謝した。


「なら、問題ないわね」


 メリーベルが頷きながら二人を眺めている。


「問題ないとは?」

「子作りしても問題ないってこと」

「こ、こ、こ、子作りぃっ!?」


 アベラルドはもう少しで力のままに立ち上がってしまうところだった。ステファニーが乗っていたことで何とか堪える。


「あら、夫婦ですもの。自然なことだわ」

「ですがステファニーの精神は四歳児です!」

「では、このままステファニーの精神が成人するのを待つの?」

「それは……」


 ステファニーの精神が成熟するまで十年以上かかる。子を妊娠しやすい時期を何もせず過ごすことになるのだ。不妊で悩んだメリーベルにとって、これは由々しき事態だった。エーデルレイク家には跡継ぎが必要なのだ。


「それでも乱暴は出来ません」


 アベラルドは決意していた。ステファニーが傷つくようなことは絶対にしないと。


「乱暴にする必要はないわよ」

「へ?」

「優しく愛してあげればいいの。体は大人だからちゃんと反応してくれるわ。もちろん、段階を踏んで慣れさせる必要はあるけど、ちゃんと教えてあげれば大丈夫よ」

「でも四歳……」

「要はトラウマにならなければいいのよ。ステファニーなら大丈夫。この子昔から順応力高いもの」


 斬新過ぎて理解が追いつかない。今のステファニーと子作りをするなど考えたこともなかった。そんな非道なことは出来ないと思っていた。だが、義母の言う通り物理的に傷つかないし、ステファニーに優しく接しながら愛すれば心も傷つかない……かもしれない。


(今のステファニーと……)


 ブワッと妄想世界がアベラルドを包み、ふわふわとした心地になる。そこには扇情的な寝間着姿のステファニーが降臨し、アベラルドは吸い込まれるようにベッドへ沈む。ここまでは今まで何度も妄想してきた。異なるのはこれからだ。拙い言葉使いのステファニーが、おいたん、おいたん、と切なげに声をあげ――


『おいたん、こわいよぉ……』

『良いではないか、良いではないか』

『ふえ~ん』


「いかあぁぁぁん! 犯罪過ぎる!! やはり無理だぁ!」

「男を見せなさい! アベラルド!」


 メリーベルが声を荒げた途端、反射的にステファニーが「おとうさまのスケコマシ」と援護した。無駄に罵られたデニスが静かに泣く。なんと言われようとアベラルドは答えを決めていた。


「出来ません……」

「そう。分かったわ……」


 それ以上、メリーベルは何も言わなかった。このメリーベルの助言は、ステファニーの記憶が戻らなかった場合を考えてのものだ。原因が分からない以上、今のステファニーと子を成す方法を考えなければ家が断絶してしまう。


「まあまあ。ゆっくりでいいんじゃないか?」


 デニスが背もたれに身を預け、お茶を啜った。じっとステファニーを見つめている。


「ステフはステフだよ。子供のはずなのに不思議と変わらないような気がする。現にこの子は私達より婿殿を選んだ」


 メリーベルが改めてステファニーを見る。大人の話についていけない四歳児は、母に見つめられて笑顔を返す。無垢なエメラルドの瞳が嬉しそうだった。


「そうね。ステフはステフね……」


 根拠はないが、ステファニーなら大丈夫。そんな確信がデニスとメリーベルにはあった。焦らなくても良いのかもしれない。メリーベルは子作りの話は、様子をみつつ再度提案しようと心にとめた。

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