第15話 平和の戦争

引き屋「前にさ、平和な国に生まれてよかったって・・(ぼそり)」

かなえ「えっ?」

「前に、街で僕の前を歩いていた女の子二人組が言ってたんだ。楽しそうにさ。二人で話てんだよね。平和な国に生まれてよかったって」

「・・・」

「戦争が無い時代に生まれてよかったって。戦争のある時代に生まれてたらほんと悲惨だったよねって。貧乏だし、好きなこと出来ないし、オシャレだってできないしって」

「・・・」

「でもさ・・」

「はい・・」

「でもさ、確かに戦争は悲惨だよ、貧乏も嫌だよ。でもさ、平和な時代には平和な時代の苦しさがあってさ、こんなこと言うと戦争経験者の人に怒られるかもしれないけど、平和な時代の苦しさだって、やっぱり、それは戦争なんだよ」

「なんか分かる気がします・・(力なくぼそり)」

「確かにさ、戦争は終わったよ。今は平和だよ。爆弾も降ってこないしさ、銃の弾も飛んでこないし、飢えるような貧困もないけどさ、でもさ、俺たちは毎日が生きるか死ぬかの戦争なんだよ。どこにだって平和も安らぎもないんだよ。もう傷つかないだけで精一杯なんだよ」

「ほんと戦争ですよね。学校でも職場でも家でも・・」

「今は戦争なんだよ。平和だけど戦争なんだ。戦争は終わったけど、戦争は形を変えて続いているんだよ。平和な時代には平和な時代の戦争があるんだよ。新しい戦争なんかとっくに始まってるんだよ」

「二万人以上が毎年自殺ですもんね・・」

「それはある意味戦死だよ」

「そうですね・・」

「僕の辛さって、別に特別いじめにあったとか、なにか具体的に辛いことがあったとかそういうことじゃないんですよ。でも、日常の中の当たり前にある言葉や態度や視線の中に、何か堪らない差別やどうしようもない劣等感があって、それがもう銃弾を浴びせられるように堪らなくて、そんなことの積み重ねで、僕は学校に行けなくなったんです・・」

「・・・」

「大学まではなんとか行けたんです。でもそこから、もうダメだった。どうしても、どうしても、行けないんです。校門まで行って何度引き返したか・・。そして、アパートの自分の部屋に帰った時のあのほっとした感じ。安堵感」

「その安堵する感じすごく分かります」

「言葉とか態度とか、まして暴力とか、そういうことではないんですよ。空気に否定され続けるんです。なんとなくの否定的な空気の中で、ずっと、ずっと否定され続けるんですよ。ずっとずっと、何年も何年も、小さい時からこつこつと、じわじわと否定され続けるんですよ。だから、それが現実になってしまう。そして、気付いたら、自己肯定感ゼロ。周囲の視線を異常に気にする卑屈な人間になっていた・・」

「戦場なんですよね。弱い立場の人間からすると、学校も職場も、今の社会そのものも」

「そう、目に見えない言葉にできない銃弾や爆弾やミサイルが、あちこちいたるところから飛んで来るんだよ。毎日毎日。休みなくさ。それがいつも心のあちこちに、自尊心のあちこちに突き刺さって血を流すんだよ」

「そして、自分が悪いんだってさらに自分で自分を撃っちゃってますしね」

「味方だって思ってた奴も気付いたら銃こっち向けて撃ってるしさ。平和なんてどこにもないよ」

「競争社会ですからね」

「そして、人間としては死んでいくんだ。戦死していくんだよ。自尊心の保てない人間なんて最早人間じゃないよ。ただの生きる屍だよ・・」

「そうですね・・。」

「僕が小さい頃、やたらとテレビで飢えたアフリカの子どもを助けましょうみたいなCMとか、番組とかやってたんですよ。それを幼心に見てさ、ああ、僕は日本に生まれて良かったなって、アフリカみたいな貧しい国に生まれなくてほんと良かったなって思っていたんですよ。心の底から良かったなって。この日本に生まれてほんと良かったなって。うちはお金持ちってわけじゃないけど、両親は二人とも大企業の正社員だし、お金に困ることはなかったんです」

「・・・」

「でも、気付いたら僕は死にたいって思っていた。この国で生きていくことが、とても辛いと感じていた。しんどいと感じていた。別に何不自由があるわけじゃない。むしろないものがないくらいさ。物や娯楽に関してはね」

「・・・」

「でも、もう遠い外国に行きたいって、誰も知らないそんな土地に行きたいって、気づいたら思っていたんですよ」

「・・・」


 沈黙・・


引き屋「もう疲れたよ・・。常に自分を強く、カッコよく見せていないとすぐにいじめられるし、バカにされるし、仲間外れにされるし、でも、がんばっても弱い立場の人間なんかそんなのすぐ見透かされて、結局いじめられるし、もう、疲れたよ。そんなの・・」

かなえ「・・・」

「もう疲れたよ・・、そういう目に見えない戦いに・・」

「・・・」


 沈黙・・


引き屋「社会的に追い込まれて、底辺を這いずってしかも孤独でさ、そんなんでどうやって人間性を保てって言うんだよ。それがそもそも無茶だよ」

かなえ「・・・」

「こんなクソみたいな状況でどうやって、這い上がれって言うんだよ。どうやって、人間らしくやさしく生きていけって言うんだよ。絶対無理だよ」

「・・・」

「人間はそんなに強くないよ」

「・・・」


 沈黙・・


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