その9

(9)



「では、言いましょう。私の求めるもの、いや私が信ずる教義における真とは何か」

 言うや、慈空は空を指差す。

「貴方は言った。『色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)』と。正に私はこの中にこそ、そう、『無』の中にこの新世界に生きる全ての種獣は等しく同じ存在であると考えたのです。ええ、無論、突き詰めて行けば何事もぶつかるのです、そう私もその中に『造魔』を含めるべきかどうか」

 慈空が指差す空が金色から虹色の輝きを放ち始めた。慈空はそれを気にすることもなくハリーを見つめて言う。

「だが私は信じた。私が信じるべき仏聖天の誰も『造魔』を救済することを拒むことは無い。『無』に於いて全ては平らかで形もない、故に愛も罪も全ては『無』であり、『無』である以上、全ては等しく救われるべきだと、それは何物にも縛られない人間本来の自由精神である。全てはその「自由」の中で生まれる。だからこそ私は束縛されない自由な精神で考えた。つまり新世界に生を受けた『造魔』も然り救済されるべきだと、どうです?ハリー殿、貴方なら私の考えの『真』それを理解してくれる筈だ」

 ハリーは微動せず、黙したまま動かない。唯、聞いている。慈空の言葉を。

「私はあの時見た。あなたの暗黒の六本の野獣爪の事を。そして思った。もしあれが奈落から現れたものであれば、それを示す意味を」

 慈空は空を見上げた。黄金色は去り、虹色が曼荼羅の浮かぶ空を覆う。

「…そう、私は考えた。きっと貴方は奈落に関連する存在なんでしょう。そして『6』を司るもの――それだけではない貴方が我が師ダッシルダに言った言葉――この世に罪を創り出してしまった嘆きの炎、これらが深く関連することとは何か?それはハリー殿、いえ、そんな言葉を言えるのは奈落の永久氷河に閉ざされた囚人以外に居る筈がない――、違いますか?ハリー??つまり、貴方は…」

「それが意味することはお前の妄想に過ぎない」

「妄想ですと?」

 慈空が目を剥く。

「俺は新世界に生きる人間、そして風見鶏邸の壁人(ウォーリア)に過ぎない」

 睨みつける慈空が言葉を放つ。

「ならばあの切り裂いた六本の指は、その意味は?」

「知らぬこと。俺にとっては意味もないこと」

「知らないと…言うのですか?」

 唖然とする慈空。

「それよりもお前の『真』はどうした?他人を勘ぐることも良いが、ちゃんと仏教徒(ブッデーィン)らしく説法するんだな」

「ええ、ならば良いでしょう」

 慈空が語気を強める。

「どうしてこの墓地こそが相応しいか、ハリー。良いですか、此処は最終戦争(アーマゲドン)で散った無数の種獣の魂が彷徨う墓地、そして『造魔』を生む聖地。此処こそが私の願う本願の地、そう、それは此処に眠る死者を私が救済するのにもっても相応しい教義の場所、正に私の目指す真の地!!」

 慈空は大きく息を吸い込むと懐から何かを手にしてハリーを見た。その目の奥に何危険が潜んでいる。それは禁忌と言うべきものを見つめる眼差し。

「見るがいい、ハリー。この奇石『奇蹟(ミラクル)』を、これは弥勒堂の奥に私が見つけて隠した見事な奇石。これを弥勒像から取り出して此処に晒すことの意味を貴方は分かりますか?最早、弥勒の造魔を弾き飛ばす力は此処には及ばない。私は何をなすのか?そう今新たな人類を此処に創り出す。つまり『新造魔』を!!」

 慈空の頭上に掲げられた奇石。それが現れた瞬間、墓場の中で何かが動き始めた。それハリーの鼓膜奥に響いた。

(新造魔…?だと)

 聞くと自然に剣の柄に手を伸ばした。

「私は超越する!!人間を!!自らの教えを新世界に広めるために新しき人類の境地にゆくのだ!!それが私の望んだ事。自由なもので世界を見た私の境地。それこそ崇高なる力の存在――アングライスト墓地の死者の為の司祭、死霊使い(ネクロマンサー)になることなのですよ!!」

 慈空が叫んだ瞬間、突如曼荼羅が輝き、慈空に帯状になって降り注いだ。それだけではない、手に取って空高く掲げられた『奇蹟』に反応したのか、墓地の中から蠢きざわつき始めた何かが黒い影となり一斉に慈空へ渦となって覆いかぶさり始めた。

(いかん!!)

 ハリーが剣を抜いて、慈空の手にした奇石を弾き飛ばそうとした。しかし、そのハリーの剣先に黒い影が絡みつき、剣を制止させた。

「ハリー、私には善人(カーリマン)になり『神操方舟(ノーヴァ)』の乗組員(クルー)なるなんぞ意味がない、私の望みは絶対的『無』の世界の住人として現生の救世主(メシア)になること、造魔の母なる亡者達を救う存在、死霊使い(ネクロマンサー)になることが唯一無二の究極存在!!」

 絡みつく剣先と共にハリーの脳裏の大阿闍梨(グランドアルジャ)の言葉が響いた。


 ――お前は知らぬのだ。慈空の天性磨き上げられたその素地、それは究極の一片のみを背負い、狂信的までにそれを磨き上げる天性に恐ろしさ。そう、魔性という人間の精神的産物を


(魔性、正にこれがそうなのか!!)

 思うハリーの心の中にまた響く声がする。それは自分の声。


 ――運命の輪の中には俺が居る


「さらばだ、大阿闍梨(グランドアルジャ)ダッシルダ、私は今宵、新しき境地に入る初めての人間(オリジン)になるだろう、あの仏陀(シッダールタ)でさえ成すことのできなかった悟りの向こう『無』の境地へ闇の力を得て!!」

 それが慈空の叫びが最後の人間としての叫びだったのかもしれない。

 彼の肉体は徐々に影の渦の中に呑み込まれて行く。すると手にしていた『奇蹟』が何かを吸い込み始め、慈空の身体は吸い込んだものを吐き出す胃袋の様に突如弾けるように大きな肉塊になったが、やがて急速に萎んで行った。そしてハリーの面前で彼の肉体は跡形なく、消えた。

 ハリーは絡みつく影を剣で切り裂くと、慈空が居た場所を見た。そこには僅かに黒い渦がまるで煤のように地面に残っていた。

 ハリーは近づき屈みこむと、その場で残された何かを見た。それは慈空が人間だった頃の素足の跡だった。

 慈空――彼はこの世界に足跡だけど残して、去ったのだった。

(何故…)

 ハリーは思った。

(そこまで求めようとしたのだ、慈空…何ゆえに)

 心の問いかけに声が聞こえた。


 ――貴方なら分かるのでは?ハリー。貴方も私と同じ罪を生んだ者(オリジン)ならば、私の思いというのが。


 ハリーは立ち上がると月夜に照らされたアングライスト墓地に突き刺さる無数の卒塔婆を見た。照らす月はトラベラーズハットの鍔の下から遠くに見えた。見上げる空に浮かんで見えた曼荼羅は消えていた。

 夜風が吹いた。

 その夜風の中に聞いたことのある足音が聞こえた。ハリーはその足音に向き直ると剣を鞘に納めた。

「――間に合わなかったか」

 現れたのは大阿闍梨(グランドアルジャ)ダッシルダだった。

「やはり…慈空は、己の願いを遂げたか、それは亡者どもの支配者、死霊使い(ネクロマンサー)に」

 大阿闍梨(グランドアルジャ)は金剛杖を突くとハリーに言った。

「知っていたのか?彼の願いを」

 ハリーが問いかける。大阿闍梨(グランドアルジャ)は顎を引いた。

「あ奴が弥勒堂りから出た後、火に焼か灰となった願い札を私は再生したのだ。そしてそこに書かれていた願いこそ…」

「死霊使い(ネクロマンサー)と言う訳か」

 夜風が強く二人の側を吹く。その夜風の中に交じる後悔が大阿闍梨(グランドアルジャ)の口を開かせた。

「とんでもない人間を我らは見逃したのだ、ハリー。その意味が分かるか?それはつまりだ」

「罪を生んだという事か」

 大阿闍梨(グランドアルジャ)はそれに無言で杖を突いて答えた。

「どうすべきか」

 ハリーが答える。

「成すべきままに任すべきでは?」

「無責任な事を」

 言うや大阿闍梨(グランドアルジャ)は印を指で組んだ。まるで何かを念じるように。

「…成程、慈空はどうやらこの場で消えた。これからあ奴がどのように我らの前に現れるか分からぬが、その時、私は奴を呪殺せねばならない」

「それは俺も同じこと」

 金剛杖を鳴らして大阿闍梨(グランドアルジャ)が歯噛みする。

「情けない。まだ救えたのに」

「そうだろうか?」

「何?」

 意外な言葉に大阿闍梨(グランドアルジャ)が眉を細めた。それを見てハリーが言う。

「本当の救いと言うのは本人の願いを叶えること以外にないのでは?」

「何という事をいうのだ、お主。それが罪を生み出す存在になったとしてもか?」

 それを聞いてハリーは微笑する。

「慈空は俺に言った『無』になること、それは人間が自由であるという事を証明することだと、つまり人間は本来何物にも縛られない自由なのだ、その自由を得る境地こそ『無』であり、だからこそ自分は教義の中に『真』を探し得る事が出来たのだろう、それがこのような形になろうともしてもな。彼は救われたのだ、自らを縛る何者からも」

「それは排除すべき危険思想だ!!」

 ダッシルダが叫ぶ。叫ぶとくるりと背をハリーに向けた。

「追うのか?」

「無論、あ奴がどこに現れても私はこの足が動く限り追うつもりだ」

 ダッシルダの声が響いた時、強い風が吹いて大地に煤の様に残った慈空の足跡が風に舞い上がった。それで彼が残した千日素足(せんにちすだ)の最後の足跡はこの世界から完全に消えた。

「貴公はどうする?」

 ハリーはマントを捲ると中から百合の花を取り出した。百合の花弁が月に映り、白く色彩を放つ。

「それは…?」

 大阿闍梨(グランドアルジャ)が目を細めた。

「花さ。俺は依頼人との契約は守った。あとはこいつを墓地に手向けたら風見鶏邸に戻る」

 言うやハリーは吹く夜風の中に百合の花を放り出した。すると百合の花は夜風に舞い上がり、やがてひらひらと舞って墓地の奥へと運ばれていった。

 その花弁に乗せた想いを量れと言わんばかりに、夜風が墓地へと花を誘う。

 やがて夜風に舞う百合の花が月夜の届かぬ闇夜に消えるのを待って、二人は静かに墓地を去った。

 その背に罪を背負って。

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