その2
(2)
「全てはこの新世界を生きる人類の為の責め苦を、いや罪を私が背負おう思って決めたことなんですよ」
若僧はハリーを振り返ると言った。額に珠玉の汗が浮かぶのがハリーには見えた。
此処はアングライスト墓地ヘ向かう途中の荒野。草は枯れ、砂地がむき出しになっている小さな砂地。ここが今夜の野営地になるというのは二人の暗黙の了解だ。
この砂地を知っているものが居れば迂闊にここには入り込まないだろう。ここは日中には異常な熱波を放つ砂地。それは最終戦争(アーマゲドン)が引き起こした局地的異常気象地帯なのだ。
最終戦争(アーマゲドン)の戦禍は地球『ガレリア』の惑星軌道を大きく変化させただけではなく、その惑星内部においても至る所にその異常さで、その後の人類を含めた多くの種の生き残りを妨げる様な異常環境地帯を生んだ。
今ハリーと若僧が歩くこの砂地もまた最終戦争が生んだ多くの種にとっての死地と言える場所で、その名も無き死地を若僧は素足で、またハリーはトラベラーズハットとマントで限界の生命力を維持しながら歩いていた。
その異常な熱波の中で僧は振り返り、ハリーに言ったのだった。
僧は自分の名を――慈空と名乗った。
(…だったな)
ハリーは口に中で干からびそうな唾液を呑み込んだ。それ程、この熱波は厳しい。自分は特殊繊維で出来たトラベラーズハットにマントを身に纏っている。だがマントの下で握りしめている百合の花は枯れていない。これがどんな意味を持つか。つまりマントの下では熱波は肉体に届かないという事だ。
だがそれでも、生命を脅かす死地であることは変わりない。
面前を歩く慈空はマントも無く額に汗を掻くだけで、歩みの力強さは風見鶏邸を出た時と寸分変わらない。
(…さすがは、千日荒行を成そうとする僧と言う訳か、見事な程の強靭な精神力と言える)
「死地に於いても心頭滅却すれば火もまた涼しー―ですよ」
さらりと慈空は言った。
ハリーは風見鶏邸を出て、この慈空から千日素足の事を聞いた。
――千日(せんにち)素足(すだ)
これは真言無限派の中でも荒行中の荒行でまさに苦行と言えた。
この荒行は願を彼等の信ずる聖天の使い不動明王に祈願して後は、動物類の生命一切を口にしてはならず、素足のまま水と共に千日を生きるという荒行だった。金銭こそ、僅かに布施での得とくは許されるが、生命の維持のための生類の連鎖は認められず、謂わば草木を口にして生きなければならなかった。その結果、厳しい荒行の果てに満願を叶えた僧は真言では阿闍梨(アルジャ)と言われ、新世界における善人(カーリマン)となるという。
「私は『善人(カーリマン)』と言うことには興味が無いのですよ」
慈空はポツリと言った。
「私には『神操方舟(ノーヴァ)』の乗組員(クルー)になれる事なんて興味がない。私にはそれ以上の興味と誇りがこの『千日素足』の満願にあるのです」
(ほう…)
ハリーは額に滴る汗で前髪が張り付く中、慈空の言う言葉に普通の僧とは異なるものを感じた。この僧は善人(カーリマン)となり、やがて神操方舟(ノーヴァ)に乗り込んで、自らの内に湧き出る真理の追及を求めて、天と地の曼荼羅の世界に散華することを最上のものとしないのか。
ハリーは 『神操方舟(ノーヴァ)』とはそうした飛行船だと聞いている。大僧正会で選ばれた選りすぐりの宗教的天才だけが乗り込める空飛ぶ方舟だと。
だがこの僧は宗教的真理を求める最上の存在である善人(カーリマン)は自分の目的ではないと言ったのだ。
いや、それだけではない。
慈空はハリーに滴る汗を拭きながら言ったのだ。それこそ最もハリーが疑問を持ったことだった。
そう、慈空は言ったのだ。
「――私が満願を迎えるのを邪魔したい者もいるのですよ。だからこそ…」
――ハリー、貴方を雇ったのです。
辺境一の剣士、そして大僧正会から疎まれている貴方をね。
「それこそ貴方が感じた『何故』に対する私の答えですよ」
言うと慈空はとても僧とは言えない邪悪な笑いをハリーに見せた。
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