第6話

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 月が夜空に煌々と輝く。

 今宵は地球と月が最も近くなる夜、まさに密月(ハネムーン)。そして、それは最も造魔の力が増す時、つまり逢魔が時。

 ハリーは月夜を吹き抜けて行く夜風に身をまかせたまま、端正な貌つきを変えることなく剣を抜いている。そう、面前に立つ兜を被った巨躯の戦士を見つめながら。唯、今夜の巨躯の戦士は盾を構えたまま何かに跨っていた。それが何か認めようとハリーはしている。

 戦士はハリーに言った。

「逃げずに来たか、美しき戦士よ。まぁ逃げたとして、お前を蝕む石化の呪いは消えぬ。この俺を、私を斃さぬ限りはな」

 言ってから造魔は兜を手で取ると空へ放り投げる。それから彼は自分の首の中に手を入れると、大きな声を出して何かを引きずり上げる。首から現れたそれは長い長剣。見事に鍛えられた美しい直線の剣だった。

 それを戦士は大きく伸ばした腕先の先に垂直にすると、その剣が青白く輝く。

「精神刀剣(ストライダー)と言うのは何もお前達人間だけのものではない。このように造魔である私にも、俺にも精神がある以上このようにあるのだ。そしてこの剣は或る聖人の為に誓いを立てて抜いた剣。そうこれは、その聖人である美しい女神アテーナの為に捧げた魂を込めた誓いの剣!!ゴルゴーンの悪魔を切り裂く剣だ!!」

 垂直に伸びた剣が一層青白い炎を上げて行く。それはまるで紅蓮の炎の様に。

 ハリーはそれを見て黙して風になる。まるでこの世界を吹き抜ける夜風のように。

「ほう、我が気圧に恐れず、またぶれず、あいつの呪いさえお前を足止めにさせぬ。何という精神力を備えた戦士よ」

「聞け、ペルセウス」

 ハリーの言葉に巨躯の戦士の動きが一瞬止まった。

「首は返そう、それでここを引け」

 それを聞くや、戦士が嗤った。

「それは己が成すべきことと、いやそれ以上に俺は、いや私は今お前と戦いたいのだ。戦士としての渇望が全身を駆け巡っているのだ」

 言ってから造魔――いや、ペルセウスは跨っていた何かから降りた。その瞬間、ハリーにはそれが何か分かった。

 翼をもつ怪物、そう、それは――

「あの『首』の奪還はこいつに任す。ワイバーンよ、行け。あの小さき館を破壊して、首を取り返すのだ、我が誇り『メデューサの首』を!!そして再びこの盾に戻すのだ。我が戦士の誇りとして再び」

 言うや大きな翼が夜空を舞った。ハリーはそれを見た。翼を持った怪物、ワイバーンが館へ向かうのを。

 しかし、ハリーはその姿を見ても微動だにしなかった。むしろ彼はペルセウスに対して、刀剣を上段に構えて身を屈めると、ゆっくりと四肢に力を籠めた。

 そこでハリーの弧を描く精神刀剣が青白く燃え上がる。

「おお、貴様。背後の事なぞ、目もくれず、気にもしないとはなんと冷酷かつ冷徹。いやそれ程我らの戦いに集中するという事か」

 ハリーは瞼を静かに閉じて、半眼に開いて言った。集中力を上げて、彼は柄を強く握りしめた。

「後の奴にとってはあの竜はうってつけの相手。それに…」

 ハリーの剣が燃えあがる。巨躯の戦士の剣をも凌駕する炎を上げて。

「この戦いは直ぐに終わる、お前の死をもって」

「よくぞ、ふいたものよ!!」

 ハリーめがけて巨躯の戦士が走り出す。大地を揺らす戦士の力と怒号がハリーを襲う。垂直に伸びた剣が頭上へ持ち上げられ、やがて月に輝き、一層の輝きを増した。それは死を呼び込む、魔剣の一閃となって振り下ろされた。ペルセウスの怒りの叫びと共に。

「我が剣を受けよ!!呪われし戦士!!」

 剣風が熱を帯びてハリーに迫った。

 しかし何という事か、ハリーはその剣を躱すことなく肩に受けると血飛沫を上げて剣が身体にめり込んでゆくのを気にするとなく、冷静に大きく自らの刀剣を横に薙ぎ払ったのだった。

 それは確実にペルセウスの鎧ごと切り裂き、造魔の厚い心臓の胸を真横に薙ぎ払って二つに切り裂いた。

 ハリーの剣に驚いたのまさにペルセウスだった。この呪われし美しき戦士は自らの肉体を犠牲にして、自分を切ったのだった。

 それは何という自己犠牲の滅殺の剣だろうか。「貴様…、一体何者なのだ!!」

「せめてもの古き世界の勇者への慰めに、俺の血飛沫を浴びて滅びるがいい、ペルセウス」

 ペルセウスは驚愕と共に自分の力が身体から抜けて行くのを感じた。それは奇石から己自身の魔力が去って行く感覚であり、そう、それはまさに死を迎えたのだった。

 巨躯の戦士は叫び声をあげるとハリーの肉体に剣を深々と切り込んだまま、自らの盾と奇石『奇蹟(ミラクル)』を残して消滅した。

 ハリーは肉体に深々と突き刺さる剣を引き抜くと返り血飛沫を頬に受けながら、ペルセウスの残した盾を拾い上げ、やがて奇石を手にすると剣の柄で粉々に打ち砕いた。奇石を粉々にした後、盾を見つめる彼の貌は酷く美しく、また酷く寂しそうな眼差しだった。

 そこに去来する思いは何だったのか、その思いを掻き消すような怪物の断末魔の悲鳴が館から聞こえるとハリーは深く切り裂かれた傷口を手に抑え、風見鶏邸へと歩き始めた。

 もしその姿を誰かが見ればハリーの肉体の傷口が塞がるのを見ただろうが、誰も満月の下で見る者はいなかったし、また彼の呟きもまた誰も聞かなかった。

 彼の呟き、それは…


 ――密月は『造魔』の力を増幅する、ならばこそだ…ペルセウス


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