第15話 Eine Öffnung~はじまり(15)

父はひとつため息をついて時計を見た。



「絵梨沙。 小さい頃によく行っていたフランツの店。 覚えている?」



「え・・、ええ。 ピアノバーの、」



ウイーンを離れたのは6つの時だったが、住まいの近所にあった父の友人の店に何度か行ったことは何となく覚えている。



子供心にステキなピアノ演奏が流れている店だと思っていた。




「フランツに絵梨沙がこっちにいることを話したら、ぜひ連れてきて欲しいって。 行ってみよう、」



「え、でも・・」



「いいから。 たまには息抜きも必要だよ、」



父はニッコリ笑った。




フランツの店『Ballade』は小さい頃の記憶と全く同じたたずまいで残っていた。




そんなに広い店ではなくて、混沌と客が酒を飲みながら純粋に音楽を楽しんでいる。




「エリサ~~~。 久しぶりだなあ。 本当に大きくなって、」



太ったフランツおじさんもそのままだった。



いきなり抱きしめられて戸惑う。




「・・お久しぶりです。 おじさん、」



でもすぐにその温かさを思い出してホッとした。



「マリコの若い頃にソックリだね。 こんなに美しい娘を持ったらマークも心配だなあ。」



彼の冗談に



「いやいや。 娘には何もしてやれなかったから。 今、こうして絵梨沙にピアノを教えられるなんて夢みたいだ、」




父の本音のような



その嬉しそうな表情が



自分にとっても嬉しい。




「そうそう。 この前マークが紹介してくれたバイト。 なかなかいいね。 もうお目当ての客がついているんだよ、」



席に案内をしてくれたフランツが父に言った。



「そうか。 良かった。 とにかくバイトをしたいと相談されたので、フランツのところなら安心だと思ってね。 ただ言葉がまだ心配だったんだけど、」



「いやいや。 もう何の不自由もしないよ。 お客さんと楽しそうに話をしている、」



二人の会話に



「バイトって?」



不思議に思って聞いてみた。



「ああ。 もうすぐ来るよ、」



フランツは笑ってその場を立った。




意味がわからぬまま



彼が持って来てくれたジュースを飲んでいると。





ピアノの音が聴こえてきた。



ざわざわとしていたそこが



一瞬



空気が止まったかのように静寂に包まれた。



バッハ・・




その音に惹かれるように振り返った。



そして。



そのピアノの『主』を見て



息が一瞬止まった。

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