第2話 外の世界

「…私を外の世界へ連れて行って頂けませんか?」


「…はっ?」


それが、率直に口から出た返答だった。

慌てて、フランツは王女への言葉使いを詫びる。


「…何を仰いますか、エリーゼ様。これから大事な舞踏会でしょう! 王女様の大事な仕事だ。ささ、終わりましたよ」


震えそうな手をなんとか抑え、最後の一仕事を終えた。

深紅の美しい生地に、彩のある宝石が散りばめられたドレスを身に纏ったエリーゼ。今日もまた、完璧な仕上がりだった。


そして、彼女は何を思ったのか、初めて鏡で自分の姿を見た後、表情を変えた。

にっこりと口角が上がる。


「…ありがとう、フランツさん。今日もまた、美しい出来栄えですね」


エリーゼはそう言い残し、そそくさと廊下の方へ歩き出していった。長女と次女がまだ空間に残っているが、フランツはその場で呆然と立ち尽くしていた。


「…マズイ、惚れる」


そう、小さく呟いた。






–––––––––––––––





数日が経った、ある日。

この日もまた、舞踏会があるとの事で、フランツは屋敷に訪れていた。


着付けをする日以外は、他の顧客の服を縫ったり、王女用の新作のドレスを制作しているのだが、ここ数日はその仕事にも身が入らなかった。


あの日のエリーゼの言葉が頭をグルグルと巡回している。

それしか考えることが出来ない。


「(あれは、何だったんだろうか…)」


流れるように、染み込んだ挨拶の手は動かしながらも、彼の思考は明日の方向を向いていた。


その時、後ろからまた、声がかかる。


「あはようございます。フランツ殿、ここにいましたか。さぁ、また王女様たちがお待ちだ」


後ろを見ると、いつもと変わらないマクミラン卿が立っていた。







マクミラン卿といつもの部屋へ向かって歩いていると、いつもは会話が少ない彼が突然と口を開いた。


「そうだ、フランツ殿。今日は長女様と次女様の着付けが終わった後、三女様は特別に2人で話がしたいとの事で、終わり次第エリーゼ様のお部屋へ向かってくださいますかな?」


「はぁ??」


「はぁ、とは何ですか」


「あぁ、済みませんつい…」


何だ、この胸騒ぎは。

この前に続き、今日もだ。何かがある。


フランツは足早に長女と次女の元へ向かった。








「失礼します。エリーゼ様。お待たせ致しました」


2度軽くノックをして、部屋に入る。

大きな幕が張られたシングルベッドの隣には、黒く光るグランドピアノ。巨大な本棚もあり、そこには大量の本がびっしりと詰まっていた。


いかにも、貴族の部屋という場所にフランツは訪れている。


「フランツさん、良く来て下さいました」


大きな一つ窓の前に、ブロンドの姫は立っていた。

この前とは違い、ブルーの透き通るような瞳がこちらの目をしっかりと捉えている。上品な言葉遣い。昨日と今日で、他の娘たちとは何処か違う雰囲気をフランツは感じ取っていた。


「…とんでもございません。差し支えなければでいいのですが、エリーゼ様の個室へお呼びした理由は何でしょう?」


「勿論、今日も素敵なドレスを着付けて欲しいからです。しかしながら、今日は少しフランツさんとお話ししたくて。外の世界について」


–やはりか…。

とフランツは少し息を呑んだ。


いつも通り、大きなケースからドレスを取り出すと、ささっとエリーゼにコルセットを巻きつける作業から始める。


「…単刀直入に聞きます、エリーゼ様。なぜ、そんなにも外の世界にご興味が?」


年頃の異性と実りのある話をするためには、最初に答えをまず聞くのがセオリーとフランツは解く。

エリーゼは少し戸惑った表情をしながらも、続けた。


「…私は生まれてこの方、一度も外の世界に出た事がありません。広大に広がる大地、無限に続く水平線。慌ただしく商売を営む問屋、活気のある酒場。酸いも甘い噛み分けた老人、輝きに満ち溢れた子供…が、今日も自由に生きる外の世界。本や人伝てから知識は得ていますが、私にとってはまだ空想の域を出ていません」


エリーゼは続ける。


「ですから、一度出てみたいのです。この目でしっかりと、その姿を見てみたいのです」


しっかりと、外の世界を見ながら確かに紡ぎ出された言葉。

フランツは手を動かしながらも、やがて口を動かした。


「お気持ちは察しました。しかしですね、姫。貴女と我々はそもそも立場が違う。エリーゼ様はいずれ、国を背負って表舞台で輝かなければならない。何かあった時の事を考えると、とても叶えてあげられる願いじゃありません」


「…ですから、貴方に頼んだのです」


フランツの手が止まった。


「…私が非公式に貴女を外に出すと、国中が大騒ぎになる。私は勿論、斬首。貴女も、もう元には戻れないかもしれない。それでも?」


「…はい。覚悟は出来ております」


マジかよ、この娘…。

フランツはカマをかけたつもりで、半分脅し文句を言ったが、思わず天を仰ぎたくなるような返答が返ってきた。

彼は再び手を動かしていく。急に次の作業が気怠くなってきた。



エリーゼの顔に視線を移すと、彼女は少し露を含んだ目で下を見ていた。


「…もう、嫌なのです」


「えっ……?」


声が微かに震えている。


「決められた未来。代わり映えのない日常…。敷かれたレールの上を、ただただ歩き続ける運命…。もう、疲れたのです」


…助けて下さい。

と、最後に小さく紡がれた言葉。

彼女の頬を、一筋の涙が伝った。


この子は、明らかに他の子とは違う感情を抱いている。

フランツの手は、動かない。

呆気に取られていて、口も無様に開いていた。




「…ごめん、なさい」


エリーゼは目の下を指でなぞった。

その姿を見て、フランツは一つ大きく天を見た。俺に何が出来る…、とゆっくりと思考を巡らせる。

思考の中で、試行錯誤を重ねた。本当に、ありとあらゆる事象をゆっくりと想像していく。


彼女の力になるために。



しかし、答えが出ることは無かった。



「…済みません。お力になる事は、出来ません」


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