異世界で貴族と駆け落ちします
フレンチ10すと
第1話 その男、異世界にて
売れない物書きだった。
昔から、夢を見るのが好きだった。自分の頭の中で創造した世界を、筆一つで表現できる世界。
しかし、物書きを始めると同時に、世界は非情であることも知った。
嫁や子供にも逃げられた。
金はもう底をつく。
「何も、手に入れることが出来なかった」
走らせていた筆をゆっくりと置いた。もう続きを書くことはないだろう。
男は、ため息をつきながらカビが生えた小汚い寝床についた。
また、夢を見ることはできるのだろうか。
男は、深い深い眠りについた。
–––––––––––––
男は、飛び起きた。
人は無意識の世界でも、違和感を感じることができる生き物だ。第六感とでもいうのだろう。
それで、目を醒ます。
「…どこだ?ここは…」
視界には、いつもと違う光景が広がっていた。
石造りの白く趣きのある大理石が広がった空間。白く清潔な麻で出来たシーツ。今までと同じなのは、窓から燦々と差し込む日光ぐらいか。
男は、ベッドから起き上がり窓を開けた。
そこには、自分の夢見た心躍る世界が広がっていた。
石と木が積み上がって出来た建物。心地よく鳴り響く鐘の音。
全てが白と茶で統一された世界。
「…マジか」
それが、空いた口が塞がらない男がようやく紡いだ言葉だった。
驚きを覚えつつも、徐々に冷静さを取り戻した男は、ダイニングへ向かい、蔵の中から取り出した乾いたパンを、苺で出来たジャムを豪快に塗りたくり、口に運ぶ。
無表情で口を動かしていると、何故かこの世界の事を思い出してきた。
「名前は、フランツ…ね。仕事は、
良く見ると、ダイニングの周りでさえも、洋服を仕立てるための彩のある生地で埋め尽くされていた。どうやら、貴族お抱えの腕利きの職人らしい。
フランツは、記憶の中をゆっくりと辿っていく。
どうやら、物書きで夢見た華麗なる貴族の世界は存在するらしい。
彼は、味の薄いパンの最後の一欠片を口に入れると、窓を開けた。
視線の一番奥。
白と茶で埋め尽くされた建物の中に、一際異彩を放つ巨大な屋敷。山々で囲われた視線の遥か先に、巨大な屋敷は堂々と佇んでいた。
––––––––––––––
仕事の支度を終え、フランツは巨大な屋敷の門までやってきていた。
「ここが、俺の仕事場…」
とは言っても、記憶はある。
いつも通りの事をすればいい。
門番に軽く挨拶をして、彼は巨大な屋敷の門を潜った。
中に入ると、やはり非現実的な光景が広がっていた。
白い大理石で囲まれた巨大な空間。普通の民家より3倍は天井が高いだろうか。眩しいぐらいの日光が、万華鏡のような色彩豊かな天井のガラスを鮮やかに映し出す。
やがて視線を上から前に戻すと、左右から登る事ができる荘厳な階段が、2階且つ中心に向かって伸びている。
鉄の鎧を被った赤いスカートを身に纏う全ての兵士が、同じ歩幅で進んでいた。
圧巻の光景だった。
「これが、華麗なる一族ウィンサー家…」
「ここにいましたか、フランツ殿」
景色に圧倒されていると、後ろから声をかけられた。
後ろを振り返ると、屈強な男がこちらを覗いていた。体格もフランツより大きい。右頬から首筋にかけて、剣の切り傷が入った男。
「これは、マクミラン卿。いやぁ、景色に見惚れていました」
「…?? いつも見ている景色では?」
「何度来ても、ここの景色には慣れることはありませんよ」
適当な相槌で、やりきる。
少々不思議そうな顔をしながらも、マクミラン卿は本来の目的を思い出したようで、急かしながらフランツの肩に腕を回した。
「まぁ、いいですよ。それより、お嬢様方がお待ちだ。さぁ、行きましょう」
マクミラン卿の案内で、フランツはある部屋に辿り着く。
部屋とは言っても、それだけで大聖堂のような巨大な空間。無数の絵画が散りばめられた空間に、3人の女性は佇んでいた。
正直言って、この三女は好きではない。
何処か格式を感じるというか、貴族味があるというか、とにかく鼻につく性格をしている。
特に長女。
「おはようございます。さぁ、今日も着飾りましょう」
当たり障りのない笑顔で長女に挨拶をして、そそくさとフランツは衣装をケースから出した。シワが絶対につかないよう、大きなケースを用意している。
こう見えても、腕利きの
本来、男が女に着付けるのはあり得ない事だが、腕を買われて特別に許されていた。3人の王女たちもそれは了承している。
特に誰も得しない会話を軽く挟みながら、軽やかな手つきで着付けを終わらせた。
「今日のこの生地。何処製?ちょっと手抜きしてない?」
「何を仰いますか。北の島国から特別に譲っていただいた最高級の生地を使用しています。お気に召しませんでしたか? 急いで、スペアをご用意致しますが」
「いや、いいわ。お疲れ様」
必ず、何処かで嫌味を入れないと気が済まない長女の性格。
フランツもしっかりと会話には応じながらも、適当に流していた。
次女も問題なく着付けを済ませると、次は三女。
ようやく、最後だ。
「お待たせ致しました。エリーゼ様。どうぞ、こちらへ」
紳士にエスコートしながら、三女エリーゼをこちらへ手繰り寄せた。
三女は正直言って楽だ。
楽というか、今まで一度も会話をしたことがない。
毎回着付けを済ませた後に鏡へ誘導するのだが、表情一つ変えないのが玉に瑕である。美しいブロンドの髪に透き通ったブルーの瞳をしていて、とても綺麗な顔立ちなのだが、何を考えているのか一切わからない。
まぁ、会話をしない分他の娘よりは楽だが。
今日もパッパと済ませて家に帰ろう。と、フランツは素早い手つきでエリーゼのコルセットをギュッと縛り付ける。
その時、ふと子供の声がした。
窓の外から聞こえる。別に気にするような特別な声では無かったが、フランツはそちらの方に視線を移した。
外で遊ぶ貴族階級の子供の声。
小さいボールを、2人で蹴って遊んでいた。
「…」
優雅な空。雲ひとつない晴天。燦々と輝く太陽。
数秒の間、手を動かしながら子供の方を見ていた。やがて、視線を元に戻すと、エリーゼも同じく窓の外を見ていた。
そして、彼女の口が小さく動く。
「…外は、自由なのですか?」
ギョッとして、フランツの手が止まった。
一年ほど着付けをしてきて、初めて彼女が話しかけてきたからだ。
歌姫のような、中庸なトーンで淀みのない、美しく響く声。気の所為だろうか?
いや、確かに彼女は口を開いた。
「…そうですね。老人も子供も男も女も、今日の平和を享受しながら、自由に楽しく生きていますよ。まぁ、決して裕福な暮らしとは言えませんがね」
「…そうですか」
会話はそれ以上続かなかった。
それでも、フランツは心臓の鼓動が大きく脈打っているのを長く感じていた。それはそうだろう。一年も彼女の顔を見ながら、初めての会話なのだから。
心が躍りそうな衝動をどうにか抑え、手のスピードをより早めた。
後は、一番外側のドレスを着せれば作業は終了する。
深紅の麻で出来たドレスを彼女に着せ、体に沿わせていく。丸みを帯びながらもやや骨ばったくびれに生地を沿わせ、紐で絞っていく。
その時、エリーゼの左手がゆっくりとフランツに近づくのを視界が捉えた。
彼女の小さい手が驚くことに、フランツの左手首を掴む。
「えっ、??」
思わず、声が出てしまった。
幸いな事に、他の王女たちからは見えない位置で手を掴まれており、この一連の動きを見られる心配はない。
静かに、2人だけの特別な空気感が漂った。
エリーゼは再び口を開く。
「…私を、外の世界に連れて行ってくれませんか?」
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