第53話 めっちゃ柔らかかったなぁ……

 ──


 ……そして朝食も食べ終わり。彩花も洗濯した服に着替えて……俺らは解散する流れになっていた。玄関先で靴を履いている彩花に向かって、俺は言う。


「彩花、忘れ物ないか?」


「うん、大丈夫と思う」


「そうか。じゃ、気を付けて帰れよ?」


「うん……ありがとね、類」


 そう言いながらも、彩花の足は動かないままで……数秒後、彩花は振り返って無言のまま、俺の顔を見つめてきたんだ。


「どうした?」


「……いや、なんだか幸せだなって。帰りたくないなって思っちゃったんだ」


 顔を赤くしたまま、小さな声で言う彩花が何だかおかしくて……ちょっと可愛くて。思わず俺は笑ってしまった。


「ははっ、そっか。別にもう一日くらいいてもいいんだけど……お前、用事あるだろ?」


「えっ?」


「昨日、俺の家泊まりたくて『何も予定ない』って嘘ついただろ? 今なら分かるよ……だってあの時、変な間があったからさ」


「……」


 俺がそうやって言うと、彩花は大きなため息を吐きながら……。


「はぁ……あーあ。ほんっとどうでもいいとこだけ鋭いんだから、私の彼氏さんは」


 と。続けて彩花は、ケロッと白状してきて。


「そうだよ。今日、テストの日なんだ」


「……え、ええっ!? お前やべぇだろそれ!? 早く行けよ!?」


 その『予定』があまりに予想外過ぎて、俺の方が焦ってしまった……いや俺、大学行ってないからよく分かんねぇけど、テストって大事なヤツだよな!? 進級に関わる重要な要素だよな!? なのにどうしてお前は、そんなのんびりしてんだよ……!?


「うん、多分遅刻だけどね……行ってくるよ。じゃ、お邪魔しました」


 そう言った彩花は、しぶしぶ一歩前に踏み出して、ドアのノブに手を掛ける。そしてドアを開けようとした……瞬間。俺も一歩前に踏み出して手を伸ばし、彩花の肩を掴んでいたんだ。


「……えっ、類?」


「…………」


 絶対に引き止めちゃ駄目だって分かってたのに。引き止めるつもりなんか全く無かったのに……無意識に身体が動いていた。自分が自分じゃないみたいで怖かった…………いや。きっと俺はまた、気づかないフリをしてたんだ。俺も『彩花が帰ってほしくない』って。『彩花がいないと寂しい』って、心の奥底では思っていたんだ。


「……どうしたの?」


「…………いや、飯作ってくれたお礼、ちゃんと言ってなかったなって思って」


「えっ? ああ、いいよそんなの。またいつでも作ったげるから……」


「いや、言わせてくれ。本当にありがとな……彩花」


「えっ、わっ……!?」


 そこで俺は軽く彩花を抱きしめて……頭を撫でてやった。お礼なんて建前だ。彩花に触れてたかった。ただ、温もりを感じていたかっただけなんだ。


「……」


 それで彩花は驚いた様子は見せたものの、すぐに受け入れてくれたみたいで。俺の胸に体重を預け、背中に手を回した。そしてされるがまま……いや、彩花もノリノリで、俺の身体に頭をグリグリと押し付けるのであった。


「…………」


 そんな時間が何十秒か続いた。最初の内はそれが楽しくて、心地良くて、幸せな時間だったのだが……徐々に冷静さは取り戻してくるもので。何でこんな玄関先で、しかも彩花を引き止めてしまっていることを思い出した俺は、正気に戻って……撫でていた手を止めてしまったんだ。


「……?」


 それが不思議に思ったのか、彩花も顔を上げて……上目遣いで俺の方を見つめてきた。えっ、どっ、どうしよう……どうやって誤魔化せばいいんだっ……!?


「……え、えっと、あの、その……彩花、前に頭ナデナデされたいって言ってたの思い出したから……それで…………ごめん!!」


 途中からもう誤魔化せないなと思った俺は観念して、素直に頭を下げて謝った。だけども彩花は全然怒ってる様子もなく……ただ「ふふっ」と笑って。


「……やっぱり類はモテないなぁ」


 と、独り言のように呟くのだった。


「……えっ? それって……」


「でも、類にしては頑張ってくれた方かもね……そういう時はね。こうするんだよ」


「……?」


 そう言った彩花は俺にグッと近づいてきて…………そっと唇を重ねてきた。


「…………ッ!!??!!??」


「んっ…………」


「…………」


「…………ぱっ」


 俺から唇を離した彩花は、過去一番のしてやったり顔を見せて……小悪魔のような微笑みを俺に見せてきた。


「……えへへっ。恋人ならこれくらい普通でしょ?」


「…………あ、あわッ……」


 度肝を抜かれ、俺が何も言い出せないでいると……彩花は顔の近くで手を振って。


「ふふっ、それじゃあね、類! また遊びに来るから!」


 そう言って彩花はドアを開けて、俺の家から去って行った。呆然と立ち尽くした俺は、こう呟くのが精一杯だったんだ…………。


「………………めっちゃ柔らかかったなぁ…………」


 ──

 ──


 これにて1章完結です。2章もゆるゆると続けていく予定なのでお楽しみに~。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る