寄り添う小樽

 七月十八日、海の日。

 いつも以上に、精一杯のおめかしをして、札幌駅の改札前で待つ。

 今日は髪を編み込んだ。それでライラックのヘアピンを編み込み部分に差す。

 予報を見る限りではお昼の間も気温が上がらないようなので、青色のロングワンピースにシースルーの薄手の上着を羽織ってきた。

「…………」

 九時四十七分のエアポートに乗るために、待ち合わせをした時間は九時四十分。

 三十分も早く来てしまったが、そこで向こうも待っていた、ということはなく。さすがにどこかの主任みたいに遅刻をすることはないと思うが、ギリギリになりそうだ。

「ごめん! 待った?」

 三日前に初めて会ったときに持っていたスーツケースを引きながら福野さんが姿を現した。

「ちょっとギリギリなので、ホームに行きますよ」

「了解」

 四日しか会ってないのだから、おしゃれをしているとか普段と違うだとかはわからないかもしれない。

「あ、それもライラックだ」

 ただ一つ。この人は一昨日もライラックの髪飾りには目が行っていた。

「これはヘアピンですけどね。いくつか持ってるんです」

「うん。似合ってると思うよ」

 どくん。

「なんとなく、片岡さんって青とか紫が似合うよね」

「あ、ありがとうございます……」

 きっとこのコーディネートは間違っていなかったのだろう。


 小さい頃に男の子と二人で公園で遊んだことはある。

 恋愛感情のれの字もなかったからあれはデートでも何でもない。

 大学時代に、岩崎先生と二人で美術館へ行ったりバーへ行ったことはある。

 私は先生に憧れていた。勝手にデートだと思っていた。でも、先生はきっと何も思っていなかった。だから、あれ以上は何もなかった。

 では、今日のこれは?

 まだ付き合っていない。確実に言えるのは、福野さんと会えると嬉しいし、一緒に居ると楽しい。今日で帰ってしまうのが……すごく淋しい。

「あっ、これが拓銀の小樽支店だったのかー」

 じーっと案内板を読んでいる福野さんの姿を見て、笑みがこぼれてくる。

「先輩、楽しそうですね」

「この時代の建築は浪漫があって好きなんだよ。大正十二年か」

「わかりますよ。もう少し時間があれば、一つずつ中をめぐりたかったですね」

 福野さんの飛行機の時間を考えると、午後二時頃には小樽を出ないといけない。あまり時間がないのが残念だった。

「そうだね」

 もし……私達がお付き合いすることになったら。

 初デートはいつになるのかな。付き合った後の最初のデート? 今日のこれはデートじゃないのかな。一昨日の札幌ドームやバーはどうなんだろう。初めて会った日、はさすがに違うか。

「デートかぁ……」

 思考が思わず独り言として漏れてしまった。

「へ?」

「あっ」

 よりによって視線まで合ってしまった。

「な、なんでもないです!」

 ぷいっと視線をそのまま逸らす。私の馬鹿ぁ。

「このまままっすぐ行けば、有名な運河です。行きましょう」

「あぁ、うん」

 ものの二分で浅草橋街園に到着した。

「ここがかの運河かぁ」

 二人並んで小樽運河を眺める。

 空がどんよりと曇っているのが少し残念だけど、煉瓦造りの建物が並ぶ風情は何ら変わらない。

「一度来てみたかったんだ」

 ただ。

「ここってどちらかというと夜の方がいいのでは」

「ついでにいうと冬ですね」

「冬かぁ……」

 うーん、と福野さんは唸る。

「いや、冬は寒いよね」

「小樽はそこまで寒くないですよ」

「それは、道内比ってやつでしょう」

 福野さんと四日もいるとわかってきたことがある。この人、やっぱ理屈っぽいな。

「札幌ならもっと温かいですよ。外に出ずに地下街を移動しておけばいいだけなんですから」

「雪まつりやってるようなところを温かいと言わない!」

「まったく。だから東京の人はちょっと雪が降ったくらいでぴーぴー騒ぐんですよ」

「出た、北から目線」

 そして小気味の良い返しが楽しい。

「先輩。私を東京や京都に誘うなら、そちらももっと北海道へ来るよう努力してください」

「まったくもって正論だけど……てかさ」

「はい?」

「いつまで先輩って続けるの」

 そういえば、一昨日の一日限定って話だっけ。

「先輩は福野さん、と、先輩、のどちらがいいですか。お好きな方でこれからもお呼びします」

「…………先輩で」

 福野さん、いや、先輩とは三つ以上は歳が離れているのに、高校での先輩と後輩のような関係があまりにしっくりと来ていたのだ。

「一応聞いておくけど、黒田から何か聞いた?」

「先輩が後輩ヒロインのライトノベルがお好きという話ですか?」

「あいつ全部しゃべってるじゃねーか! 今度会った時覚えてろ……」

 主任に聞かなくても、なんとなくわかっていたけどね。

「そろそろ行きましょう、先輩。あまり時間もないですし」

 時間がないとまた言葉にして、胸が痛んだ。

「……そうだね」


 お昼ご飯を食べてから、私達は堺町通りをぶらぶらと歩く。

 オルゴールやガラスのお店、カフェやお土産店が並ぶエリアだ。

「先輩、お土産はもう買われました?」

「昨日いくつか買ったよ。六花亭とあとタイムズスクエア」

「あ、タイムズスクエアいいですよね」

 目の前にあった有名なガラス店に入ってみる。

 色取り取りのガラス製品はいつ見ても美しい。ゆっくりと歩きながら目で楽しんでいく。

「へぇ……こういう感じなんだ」

「お土産にどうですか?」

「いや、確かに、これとか好きなんだけどさ」

 先輩が立ち止まったのはスカイブルーに着色されたグラスだった。やっぱ先輩、青色好きなのかな。

「割らずに持って帰る自信がない」

「確かに」

「あと、家で割らない自信もない」

 先輩が歩き出したので、私も着いていく。

「先輩って一人暮らしですか」

「うん。一応言っておくけど、結婚はしてないからね」

「それは言われなくてもわかります」

 小物のエリアにやってきた。

「ガラスの万年筆もお洒落だなぁ。すぐ壊れそうだけど」

「こういうのって実用するものではなく、飾りとして置いておくものでは……あ」

 隣の机にはミニチュアが並んでいた。

「へぇ……かわいいですね」

 かわいらしい動物のミニチュアが並んでいたが……その中でも青とピンクの並んでいる二個のイルカが気になった。

「欲しいの?」

 じっと見ていたのに気が付かれたようだ。

「いえ、そういうわけでは……」

「こんなことを自分から言ってしまうのは、大変申し訳ないんだけど……」

 えぇっと、と先輩は頬を掻く。

「僕達、会ってまだ四日目でしょう。お互いどういうものが好きかって、まだよくわかってない」

「そうですね」

 なんだ。

「いきなりスマートに片岡さんが望むものをプレゼントできたらかっこいいとは思うけど、残念ながら僕はそのスキルを持ち合わせていないので」

 先輩も私と同じだったんだ。

「なので、これが好きだとか、これが欲しいとか、今は教えてほしいんだ。かっこ悪いかもしれないけど、今はそうやって片岡さんのことを知っていきたいから」

 相手のことをもっと知りたいと思うその気持ちは。

「素敵だと思いますよ。相手の気持ちに寄り添っていて」

 それなら、私は迷うことはない。

「私、このイルカのミニチュアが欲しいです。できれば……先輩とお揃いで」

「青が僕で、ピンクが片岡さんでいいかな」

「はい」

 先輩はイルカのペアのミニチュアを手に取った。

「あと、もう一つわがままを言っていいなら、そのヒヨコさんも欲しいです」

「いいよ。ていうか、安いプレゼントでごめんね」

「先輩。こういうのは値段じゃないんですよ」

 気持ちがこもっていることが一番大事だもの。

「ねぇ、先輩」

 この高揚感に身を任せて、言ってしまおう。

 大事な思い出として記憶したいもの。

「今日のこれはデートってことで、いいですか……?」

 先輩は小恥ずかしそうに一度こほんと咳ばらいをしてから。

「……いいと思うよ」

 そう言ってくれた。


「えへへ」

 買ってもらったプレゼントを大事に手にしながら来た道を折り返す。

「もう少し時間があればオルゴールも見ていくんだけどなぁ」

「オルゴールは次の宿題にしましょう。冬にお待ちしておりますね」

「春か秋じゃダメですか……?」

「ダメですよ。そこは私が野球を見に東京に行くんですから」

 運河の近くまで戻ってきた。気温計には二十度と表示されている。

「はぁ、この心地よい気候ともこれでおさらばかぁ」

「……もう少しこっちに居ていただいてもいいんですよ?」

「居れればいいけどね! 日常に帰りたくない」

 日常。

 隣に先輩のいないいつもの日常がすぐそこまで迫ってきている。

「先輩」

 小樽運河を背景にして、私は先輩と向かい合う。

「新千歳空港までお見送りしていいですか」

「もちろん。こちらとしても嬉しいな」

「それはそうと、今のうちに言っておきたいことがあります」

 さぁ、踏み出そう。


「私、先輩が東京に戻ったらお手紙を書こうと思います」


「今はまだぐちゃぐちゃですけど、先輩がいない日々を過ごして、心の中を整理して」


「それで、あなたに想いを伝えようと思います」


「ですから、それまでは待っていただけませんか。四日間の思い出を大事にしまっておいてくれませんか」


 何も伝えられなかった過去の自分を乗り越えて。

「ご自宅の住所とお名前を教えていただけませんか。それとも事務所宛の方がいいですか」

「家でいいよ……そっか」

 ふふっと先輩は笑った。

「スマホのメッセージがあるのにあえて手紙なんて……片岡さんも粋なことをするね」

「言ったでしょう。私は歴史好きなんですよ」

 笑顔には笑顔で返す。

「あと、これも今のうちに言っちゃいますね」

 結局、この四日間は太陽が照らすことはなかった。

 だけれど、私の心には一点の曇りもない。


「すごく楽しかったです! この四日間!」

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