進展する時計台
皐月ちゃんとは札幌駅で別れて、私は時計台ビルへと向かう。
待っていますから、とは言った。ただそれがいつなのかは言っていない。今日のお昼に行ったかもしれないし、明日に回すつもりなのかもしれない。口では行くよと言っていたが、行かないかもしれない。
一昨日の夜に連絡先を交換したのだから、メッセージを入れておけば確実だった。特急ライラックの中で何度かアプリも開いた。
ただ……それはついにできなかった。
福野さんにとってあくまで私は旅先で出会った友人の部下だ。いつまでも付き合う義理は無い。もし断られたらどうしようと思うとなかなかメッセージを打てなかった。
だというのに、一方で、福野さんなら来てくれるんじゃないかという淡い期待を抱いてしまう。皐月ちゃんの言葉でいうなら、ご縁みたいなものを信じてしまう。
時計台ビルは地下街とつながっていないので、一度外に出る。まだ雨が降っていた。
――言うほど君は過去のことを振り切れていないとは思わない、って話。
昨日の福野さんの言葉を思い出す。
確かに岩崎先生にもうこだわっているわけではない。岩崎先生が私のことを見ていないことくらい気が付いていたし、結婚したと聞いてはもうどうにもならないことくらい理解できた。
振り切れていなかったのは、先生に対する想いじゃなくて。
何も言葉にできずに想いを枯らすことしかできなかった、過去の自分だった。
時計台ビルに着く。
一階にある寿司屋には何人か順番待ちの客が並んでいて――。
黒いジャケットとジーンズ姿の男性がスマホとにらめっこしていた。
「先輩!」
すぐに声をかけた。
「……片岡さん?」
どうして驚いた顔をするの。待ってる、って言ったじゃないですか。
「よかった。来てくれて……」
「いや、それはこっちの台詞というか……」
福野さんはうろたえていた。
「大丈夫?」
「えっ?」
「片岡さん……さっきから震えてるよ」
福野さんの言葉でようやく自分の状態に気が付いた。
「あれっ、どうして……」
寒いわけではないのに体が震えていた。なんでだろう、自分のことなのに全然わからない。
「ごめん! 嫌だったら言って!」
福野さんは私の両手を取ると、そのまま覆いかぶせるような形て両手を添えてくれた。
震えを止めるために抑えつけるのではなく、ふわっと包み込むような、そんな手の添え方だ。
福野さんの手は固くて、大きくて、それでいて心地の良い温かみを感じる。
「ふぅ……」
福野さんの体温が私に直に伝わる。緊張がほぐれて震えも徐々に収まってきてくれた。
「ごめんなさい。気を使わせてしまって」
「気にしなくていいよ」
福野さんは何も聞かずに、しばらく手を添え続けくれた。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
名残惜しいけど、福野さんの手が離れていく。
「落ち着いた?」
「はい」
福野さんはえぇっと、だとか、んー、だとか唸って。
「まぁその、こういうとき僕はいったい何と言ってあげたらいいのかいまいちわかんないんだけど……」
突っ込んでいいのかだめなのか悩んでいるんだろうな。
私の方から説明をしてあげれば福野さんも余計な心配をしなくていいんだろうけど、あいにく私自身がどうしてあんなことになったのかわかっていないのだ。
「今日もあなたと会えて嬉しいです」
福野さんは気持ちをストレートに伝えることを選んだ。
「今日は会えないかなって思ってた。ヘアゴムを預かってるから、明日はどこかで会うつもりだったけどさ」
あのね、と福野さんは続けた。
「女の子に連絡するだけでも普段なら尻込みしちゃうんだけどね。やっぱ、旅先だと後のことを考えなくていいから積極的になれるのかな」
もしかしてだけど。
福野さんって私から見るとすごく大人に見えたけど。
彼は彼なりに緊張してたのかな。私と同じように。
「先輩」
それなら……私も想いを言葉にしよう。
「私も同じです。今日も先輩と会えて……嬉しいです」
福野さんの言葉のおかげで私が彼のことを少し理解できたから。
「本当はメッセージで待ち合わせをすればよかったんですけど……緊張しちゃって」
私のことも福野さんにわかってもらえるように。
「今日は日本酒にしようかなっと……この大雪乃蔵ってのを一つ」
私に触れていた福野さんの手を見る。力強いというよりかは指が細長くて華奢な印象だ。
「今日は一日何をされてたんですか?」
「お昼は北大に。ポプラ並木とかイチョウ並木とか見てた。あとは北海道庁かな」
ただ、と福野さんは苦笑いして。
「昼前からずっと雨だったんで、お散歩は早々に切り上げてホテルに戻ってた」
「せっかくの旅先なのに……」
「いや、本来は黒田と旭山動物園にでも行こうかって話をしてたんだよ。ただ一人で行くのもなぁって」
そっか。ニアミスしていたかもしれないんだ。
「私、今日は旭山動物園に行ってたんですよ。大学時代の友人と」
「へぇ、そうなんだ」
もし、黒田主任が熱を出さなかったら。動物園で私達は出会っていたのかもしれない。
お互いのことを自己紹介するくらいのことはあったかもしれないけど……今のように寿司屋で二人肩を並べあうことはあったのだろうか。
「旭川も雨なら大変だったんじゃない?」
「そうなんですよ。旭山動物園広いですし、雨ですし、疲れましたよ」
注文していた日本酒とお寿司が目の前に置かれた。
「せっかくだし飲む?」
「あ、はい」
お猪口をもう一つ頼んで、福野さんは日本酒を注いでくれた。
口に含むとすっきりとした味わいで美味しい。鮭のお寿司と合いそうだ。
「美味しいねぇ」
機嫌がよさそうに福野さんはお酒とお寿司を楽しんでいる。
遊びに来たのだから福野さんはだいたい楽しそうだ。彼は昨日、小難しいことは東京に置いてきた、と言っていた。
福野さんのことを知りたい。
「あの……」
でも、旅行気分を害するような、難しい話はしたくない。
「先輩の、ご、ご趣味は何ですか……?」
その結果、お見合いとしか思えない抽象的な質問が口から飛び出てしまった。
「や、野球観戦ですね……」
「ですよね!」
知ってました!
「すみません、変なこと聞いてしまって!」
「いやいや! 確かに僕自身のことをあんまり喋ってなかったし、ちょうどいい機会かもしれないね」
福野さんは手を組んで顎をのせる。
そして超早口かつ小声で。
「とりあえず読書って言っておく? でも、片岡さんがガチの読書家だったらどうするんだ、こいつにわかだって思われるじゃないか。かといって正直にライトノベルって言ってしまったら引かれるだろうし。その歳でまだラノベ読んでるんですかって。いつか明かすにしても今はそのタイミングじゃない。あとはそうだな、将棋? 藤井君強いよねぇとかでつなげるかな。一局どうですとか言ってみる? いやでも知らなかったら話題即終了だし」
「あのぅ……」
なんだかラノベとか将棋とか聞こえた気がするんだけど、触れないのが優しさだろう。
「あ、歴史は趣味といえるかも」
答えに辿り着かれたようだ。
「歴史、ですか」
「うん。旅先ではお城とか神社とか、近代の洋館だとか、そういう歴史スポットを巡るのは好きかな」
「いいですね、歴史は私も好きですよ」
二人で目線を合わせ、うんうんと頷きあう。
((歴史のどこがいいのかと聞かれると、答えるの難しいんだけどね!))
そこには触れずに会話を続けることにしよう。
「でも、北海道の歴史好きって何が好きなのかはちょっと気になるかな」
「別に北海道じゃなければダメってことはないですよ。新選組とか好きですし」
「ちなみに好きな隊士は?」
「土方歳三」
「滅茶苦茶北海道関係あるじゃん!」
ウケてくれたようだ。嬉しい。
「でも蝦夷共和国が成功していたら北海道の中心は札幌じゃなくて函館になっていたかもですね。そこは札幌市民としては複雑です」
「感謝すべきなのは開拓使だろうね」
「でも私、討幕派より佐幕派の方が好きです」
「それは僕もわかるけど!」
こんなところで意気投合してしまった。ちょっと嬉しい。
「じゃぁ、京都とか行ったら楽しいんじゃない?」
「修学旅行で行ったんですけど、あまりゆっくりできなかったので、いつかまた行ってみたいですね」
福野さんと一緒に京都を巡るのも楽しいかもしれない。
「……ちなみにさ、北海道の修学旅行は東京と京都と広島を一気に行くってのは本当?」
「うちは関西だけでしたよ……」
そういう高校もあるらしいけど。
お店を出たとき雨はほぼ上がっていた。
ライトアップされている夜の時計台の雰囲気が私は好きだ。ビルに囲まれていてがっかりスポットだという観光客の声はあるけど、街中にあるからこそ、気軽に楽しむことができるのだと私は言いたい。
「旅行も明日で終わりかぁ」
「……そうですね」
名残惜しくて、まだ帰路にはつけなかった。時計台をバックにしながら私達は会話を続ける。
「帰ったら仕事しか待ってないからなぁ。いや、帰るしかないんだけど」
旅行者にかけられた魔法はもうすぐ解ける。
「それで、明日だけど」
「はい」
そのタイミングで、二十二時の時計台の鐘の音が鳴り響く。
鐘が終わってから、福野さんは言葉を続けた。
「歴史好きとのことなので……一緒に小樽に行きませんか」
「……はい!」
福野さんは私の掌の上に、昨日ここで渡した紫色のライラックの髪飾りを置いた。
「おまじないはもう必要ないでしょ?」
「そ、そういうつもりではなかったんですけど」
ねぇ、福野さん。
紫色のライラックの花言葉をご存じですか?
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