無邪気な札幌ドーム
七月十六日、土曜日。
地下鉄東豊線の終着駅、福住駅の改札前で僕は人を待っている。
正直、昨日のことは黒田が仕組んだどっきりなのではないかと思わなくもない。女の子を待っていたら平然と黒田がやってきて、残念でしたー、みたいな。
昨日の晩に連絡して、この旅行中は外出するのは難しいとは聞いているのだけれども、それでも。
「お待たせしました」
ただ、僕の心配は杞憂に終わった。
白シャツと紺色のチェック柄のスカート。手には水色のサマーカーディガンを持っている。青系統のコーディネートのようだ。
それと、今日の片岡さんは髪を耳の裏のあたりで二つ結びにしていた。左右のヘアゴムに飾られている花は共に紫色で、確かこれは――。
「……ライラック?」
札幌市を象徴する花だ。
白い肌と青系統の洋服と相まって、この子自身からすごく北海道っぽさを感じるんだよな。
「そこに気付いてくださるとはさすがですね、ふく……先輩」
「あ、その設定続けるんだ」
コホンと片岡さんは咳払いをした。
「私が言い出したことですから、先輩が嫌じゃなければやり遂げますよ」
「嫌か嫌じゃないかと言われたら、嫌じゃないよね」
体格が小柄なこともあって、昨日会ったばかりだというのに確かに後輩感はすごくある。
札幌ドームへの道を歩きながら、ふとこの子と出会った場所のことを思い出す。
「そういえばだけど、片岡さんって住んでるのは札幌じゃなくて北広島?」
「いいえ、札幌市民ですよ。北広島には高校の先輩が住んでいるので昨日は遊びに」
「あ、そうなんだ」
北広島から新球場の話題を広げようと思っただけなので、本人と関係ないならこの話題を続ける必要もない。
「それだったら、ますます昨日は悪かったね」
「夕方には退散するつもりだったので問題ないです。それに……」
ちらっと片岡さんは僕の方を見つめた。
「いや、今はやめておきます」
少しばかり陰のある笑みを片岡さんは浮かべた。
なぜだろう。心がちくりとしたのは。
野球場に来るのは初めてではない。それでも、スタンドに上ったときに目に飛び込んでくるパノラマ空間には気分を高揚させられる。それが初めて来る球場ならなおさらだ。
「お、結構前の席じゃん。当たりだな」
「うわぁ……」
片岡さんはというと、目をぱちくりとさせながら周りを見渡していた。
「野球場は初めて?」
「小さい頃に両親と来たことがあるらしいのですけど、あまり記憶になくて……」
「あるある」
ちょうど試合が始まるところだったようだ。真っ青なユニフォームを身にまとった日本ハムの選手がグラウンド上に散らばっていく。
「先輩は野球はよく見に行かれるんですか?」
「年に数試合だけどね。ハマスタとか神宮に」
しまった。片岡さんの野球知識がどこまでかわからない。詳しくないって言ってたよね。
「セリーグのファンですか?」
あ、よかった。そこは通じるのか。
「そう。ハマスタは贔屓の本拠地だし、神宮は職場から近いから」
西武の先頭打者が出塁する。
「だからあんまりパリーグの選手はわかんないんだけどね。野球見られるならなんでもいいやってことで」
なんだったら今日ここで勉強していくつもりだ。
「それなら任せてください」
片岡さんはポーチから青い装丁の手帳を取り出した。
ぱらぱらとページをめくると、びっしりと丸文字が書きこまれている。
「今日のために勉強してきたんで!」
今日のためにって……野球行くって言い出したの昨日だったよね!?
そんな疑問をよそに片岡さんはうずうずとしながらこちらを見つめている。何か聞いてくださいという顔だ。
「それじゃぁ、今日の先発の上沢ってどんな投手?」
女の子の期待には応えてあげよう。さすがに上沢が日ハムのエースであることくらいは知っているので、単語が出てきたら百点満点で。
「えっと……」
手帳のページを指差しして確認してから。
「コントロールが生命線のエースピッチャーですね。変化球は多彩ですけど、特に抜けスラが魔球です」
「君、絶対野球詳しいよね!?」
マネージャーか。
「そんなことないですよ」
そんな素人がいるか。
「でも今日は立ち上がりは苦労してますね。まぁ、山川だからここは無理しないで、次で抑えてくれれば」
「あ、はい。それくらいは僕でもわかります……」
一応聞いておくか。
「片岡さん、実は日ハムファンでしょ」
「そ、そんなことないですよ」
「……今日なんで清宮出てないの?」
「前の試合でバント失敗したのでビッグボスのお仕置きかもしれません。あと、王を今のうちにテストしておきたかったのかもしれませんね」
もはや手帳見てないし!
「あ、抑えました」
片岡さんの謎は深まるというか、ぶっちゃけ興味深いところではあるけど。
「せっかくだし、今日は日ハム応援するかぁ」
楽しかったらいいや、何でも。
「じんじんじんぎすかーん……あぁっ……」
ジンギスカンのチャンステーマもむなしく無得点に終わり、三回裏まで終了して0対0。
ところで、札幌ドームまで来たからには見ていかないといけないものがある。なんだったらこれを見に来たといってもいい。
軽快な洋楽のBGMとともにチアリーディングの女の子達がグラウンドに登場する。
ちらっと横にいる日ハムファンの女の子(おそらく)を見やる。
「な、なんですか……?」
「きつねダンスやらないの?」
「やらないですよ。は、恥ずかしいですし……」
いやいや、わかっているんですよ。さっきから手をにぎにぎとさせてるってことくらい。
「こういうのってその場のノリでやっちゃった方が思い出に残るよ」
「じゃ、先輩がやってくれたら私もやります」
What Does the FOX Say?
「いや、僕振付わかんないし……」
「その場のノリでやっちゃった方が思い出に残る、ですよね?」
What Does the FOX Say?
「じゃ、見ながらでいいからでやってくださいね? りんでぃんでぃんでぃんでぃんりでぃん♪」
「わわっ」
What Does the FOX Say?
「わぱぱぱぱぱぱう♪ ふふっ」
What Does the FOX Say?
やる前は恥ずかしがっていたけど、なんだかんだで片岡さんは楽しそうだ。今日の髪型が昨日よりも幼く見えるからか、まるで純粋無垢な少女のようで。
「はてぃはてぃはてぃほー♪ こら、止まってますよー」
What Does the FOX Say?
本当に学生時代に後輩として出会っていたような。ありえないんだけど、そんな気すらして。
やけに脳にへばりつきそうなこの音楽とともに今の片岡さんの笑顔が強く記憶に焼き付いた。
「あぁもぅ、どうやって点入れるんですか、これ……」
なかなか点を入れられない打線にやきもきとし。
「これはアウトですよね!? アウト! やった!」
ライトからの好返球に思わず声を上げ。
「ここでなんとかして……。んんんっ!?……や、やったぁぁぁぁっ!」
六回裏の一死二塁から今日二安打の野村のタイムリーヒットが出て、ついに虎の子の一点をもぎ取った。そのときの片岡さんの喜びようといったら。
「ふわぁ、いいところに飛んでくれた……良かった……」
七回表の二三塁のピンチは打球が前進守備の二塁手の正面を突き、三塁ランナーも併せてのダブルプレーに安堵する。
片岡さんの表情がころころと変わる。今日一日だけで、彼女の喜怒哀楽を隣で堪能できていた。
なるほど。野球好きな女の子と試合を見に行くとこういう楽しみ方ができるのか。今日のところはありがとう、黒田。
試合はそのまま1対0で日ハムが勝利した。
得点シーンが一回だけだったし、ホームランも無かったしで、初心者向けの試合ではなかったが、隣にいる野球にそんなに詳しくない方(自称)が楽しんでいただけたようで何よりだ。
「今日はありがとうございます。いい試合を見せてもらいました」
「良かったね。日ハムファン的にはナイスゲームだったんじゃない」
「はい。べ、別に日ハムのファンじゃないですけど」
だからなんでそこを頑なに否定するのか。ここまで来ると面白くなってくる。
「そうだ」
僕も片岡さんにつられて少しばかり気分が高揚していた。
「せっかくだし、記念写真撮らない?」
「いいですね」
隣に陣取っていたお客さんに頼んで、僕のスマホで二人の写真を撮ってもらった。
片岡さんは子供のような無邪気な笑顔を浮かべていた。
「この後はどうされます?」
「特に決めてないんだけど……そうそう。せっかく、すすきのに行くならお洒落なバーとか行きたいなぁって」
適当に調べようと思っていたところだ。
「それなら、私、いい店知ってますよ。よければこの後もご一緒しませんか」
「いいの?」
片岡さんは少し顔を赤らめて、そして頬を掻いた。
「今日のお、お礼、です」
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