はじめまして大通
今一度、状況を整理したいと思う。
僕の目の前のテーブルにはチューハイのジョッキ二杯、お刺身の盛り合わせ、カルパッチョサラダ、鶏のから揚げ、そしてメインディッシュである石狩鍋が置かれている。
そしてそして。鍋の向こうにはちょこんと座った女の子が一人。
「…………」
「…………」
えぇっと。なんなんですかね、これ。お見合いですか?
「ほ、本日はお日柄もよく……」
一体僕は何を口走ってるんだ。それは結婚式の挨拶だ。
「いや、黒田がこんなことになっているのでお日柄はよくないんですけど……とりあえず、乾杯」
「……乾杯」
僕を北海道に誘った張本人は今朝から熱を出してぶっ倒れていた。
だったら早く連絡しろよという話だ。半分くらいは彼と会うための旅行だったが、当日に連絡されたらキャンセルをするわけにもいかない。いないならいないで一人旅になるだけのこと。
だったのだけど。
「すみません。主任がこんなことになってしまって」
「あなたが謝ることじゃないですよ。全部あいつが悪いんで」
僕と彼女の話題の共通集合は今のところ彼しかいない。寝込んでいようがしばらくこき使わせてもらうことにする。
「しかし、一丁前に主任なんかやってたんだ、あいつ」
「そうです、ね……」
目のハイライトが消えた気がする。
「もしかして三十分遅刻が当たり前だったり、大事な時に限っていなかったり、細かい作業全部押し付けてきたり、人使いが荒かったり……今でもそうだったりするんですか?」
学生時代の黒田で思いついたことを片っ端からあげてみた。
「そう、それですよ!」
ひときわ彼女の声が大きくなる。
「何なんですかあの人! 始業時間に来るのは水曜日だけですし、いつも机が散らかっていて大事な書類無くしますし、倒れるときは前のめりとか言い出して無鉄砲に突撃しますし、それから――」
「あぁ、うん。だいたいわかりました。昔から変わっていないです」
彼の元で働くとなったら大変だろうな。
「でも彼、仕事はできるでしょう?」
「そうなんですよ。理解しがたいです」
そう言いながら、彼女は目の前の鍋に火をつけた。
「黒田主任って昔からあんな人なのですか」
「昔からですよ。生徒会長だったんだけど、周りの後輩はいつも振り回されていました」
「あれで生徒会をやられていたのですか……」
彼女が鍋をかき混ぜると味噌のいい香りが漂ってきた。
「そう思うでしょう。でも、人望はありましたから」
「それはわからなくはないですけど……」
「ちなみにあなた」
ここまで言って、一旦停止。
「今気づいたんだけど、まだ名前を聞いてなかった気がする。僕は福野」
「片岡です」
名前を教えるのも聞くのもまだ早い気がして、とりあえず苗字だけをお互いに言い合う。
「それで片岡さん。あなたももしかして学生時代は生徒会だったりします?」
ぴたっと彼女の手が止まった。
「どうしてわかったんですか?」
「片岡さん真面目そうだし、黒田よりはよっぽど生徒会役員っぽいよなって」
僕がリクエストした石狩鍋がいい塩梅に煮立っていた。
「お鍋できましたよ」
「ありがとう。いただきます」
夏なのに鍋かと思うかもしれないが、札幌の今の気温は二十度に届くか届かないかといったところ。味噌が染みた熱々の鮭が美味しい。
「あえて石狩鍋を選ぶとは福野さんも通ですよね」
「そうですか?」
この店を選んだのは黒田だが、石狩鍋を食べられる居酒屋がいいとリクエストしたのは僕だった。
「道外の人ならジンギスカンとか札幌ラーメンとか……あとはスープカレーとか……」
「そのあたりは他の日でもいいかなって。とりあえず黒田とはまず居酒屋で一杯やりたかったんですよ」
だいぶ空気も温まってきたし、そろそろ口にしてもいいだろう。
「ところで、どうして今日は片岡さんが代打で来ることになったんです?」
「主任からお昼にメッセージが入っていたんです。東京から来る友人と飲む予定だったけど行けなくなったから代わりに行ってくれないかって」
実にあいつらしい無茶振りだ。
ただ初対面の女子を選ぶとはなかなか挑戦的な采配だ。普通は男の方が無難じゃなかろうか。
「話があったのは片岡さんだけ?」
「それはわからないです。今日は私、有給休暇だったので」
あぁそうだった。この子、北広島から乗ってきていたな。
「そのあたりは福野さんが直接主任に聞かれた方が早いんじゃないですか」
「確かに」
後で今日の報告がてらに聞いてみるか。
「……迷惑でしたよね。福野さんからすればご友人と楽しくお酒を飲むつもりが、見ず知らずの人とご飯を食べることになるなんて」
「いやいや。むしろこちらこそ貴重な休日を潰してしまって申し訳ないです」
正直なことを言おう。
ぶっちゃけ片岡さんは可愛い。内面は今日会ったばかりだから全然わかっていないけど、見た目だけなら僕の好みだといってもいい。
旅先で可愛い女の子と一緒にご飯を食べるのが楽しくないはずがない……ということをストレートに伝えるのはあまりに露骨なので。
「せっかく北海道に来てずっと一人というのも淋しいですからね。一緒に美味しいご飯を食べる相手がいて助かりました」
「……そう言ってもらえるとありがたいです」
ふわっと浮かべた柔らかな笑みを目にして、あぁやっぱりこの子可愛いなと思った。
僕はホテルへ、片岡さんは札幌駅へと向かうために北へと歩く。
札幌の南北の基準線である大通公園は店から歩いて数分のところだった。東にテレビ塔が見えたのでスマホで写真を撮っておく。
「夜の街ってやっぱりいいですよね」
「大通のイルミネーションは私も好きですよ」
男女二人でテレビ塔のライトアップを見つめる。今日一日くらいはどきどきする経験をしたっていいだろう。
「明日からは夜にもいろいろ探検してみようかな。今日はさすがに疲れたからもう帰るとして」
さて、明日はどうしよう。黒田と一緒に行く予定だった場所はあるにはあるが、一人で行くのはどうなのだろう。
「明日はどこへ行かれるのですか?」
「んー……」
考えがまとまっていないのでとりあえず当初の予定をそのまま言うか。
「黒田と一緒に札幌ドームに野球見に行こうって話してたんですよ。でも一人になっちゃったからどうしようかなと」
「行きます」
即答だった。
「へ?」
「あ、いや……」
食い気味な反応をしたことに気付いたのか、わたわたと手を振る片岡さん。
「いや、その、野球にそんなに詳しいわけじゃないのですが……行ってみるのもいいかなって」
「…………」
「福野さんさえ良ければですけど……」
女子は野球に興味ないだろうと思っていたら、予想外に釣れてしまった。ともかく、僕にとってはもちろん悪い話ではない。
「いいですよ。一緒に行きましょう」
「あ、ありがとうございます!」
野球好きなのかな? それとも実は筋金入りの日ハムファン? まぁ、いいや。
「それじゃ連絡先交換しておこ……おきましょうか」
「あの……無理に丁寧語使わなくていいですよ」
友人の後輩というポジションからかつい口調が砕けそうになってしまう。
「いや、でも」
「むしろタメ口でお願いします。年上の人からずっと敬語使われるのもなんだかむずがゆいので」
「そうは言うけど……」
さすがに年下とはいえ赤の他人にタメ口は失礼じゃなかろうか。自分の友人であるとか部下であるとか後輩であるとかならともかく。
じーっと片岡さんは僕の顔を見つめてくる。
「会ったばかりでいきなりタメ口は失礼じゃないかって話ですよね」
「その通り」
うぅ、という声が聞こえたのが一瞬聞こえたのは気のせいだろう。
「……それでは、今だけ関係を作ってしまうというのはどうですか?」
「えっ」
どくんと胸が高鳴る。
今だけの関係。タメ口でも呼んでもいいような関係。
それって……。
「人生の先輩なので、略して先輩で」
あぁ、そういう。
「ダメですか……先輩」
上目遣いで見つめられて僕はなすすべがなかった。
「……とりあえず明日だけだからね」
「ありがとうございます!」
黒田様へ。
札幌まできて会ったばかりの女の子に先輩と呼んでもらうプレイをすることになりました。それもこれもあなたのせいです。後で責任取ってください。
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