第2話 それは見せしめに……お小遣いは欲しいのよ
突然の犯罪行為(どっちが? どっちも)に、仕方なく電車を乗り換える。
後少しなので、総武線で吉祥寺を目指す。
やり切ったイチカさんは、既に御機嫌だ。
なんか損した気分だよ。
やっぱり母娘なんだなぁ、若い頃の
「イチカ、これって不思議じゃね? 毎回思うけど、要らないと思うんだよなぁ」
気分を変えようと、目の前の優先席をアゴで指す。
「これ……って、優先席? いや、要るでしょ。体が不自由な人用だし」
本当に必要なのだろうか。
「優先席じゃなかったら席を譲らないのか? 譲る理由は相手の状態ではなく座った席次第なのか?」
「あ……え、いや、えぇ?」
「違うだろぅ? 別に他の席でも譲るだろ。なら、要らないじゃないか」
「要らない……の?」
「刑法と一緒さ。罰があるから、人を殺さないわけじゃないだろ? 罰が無くたって、人の物は盗らないし、人の物を騙しとったりしないだろ」
「あぅ……し、しない……かな」
「刑罰関係なく、無闇矢鱈に怪我をさせちゃいけないよな?」
「むぅ~……ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」
ふくれっ面で謝るイチカに、少しは溜飲が下がった。
これで、すぐに暴れ出すのを控えて貰えると助かるのだけれども。
目的の一つ前、西荻窪駅が近付く。
どこに居たのか気付かなかったが、派手な格好の若い女性がドアの前に立つ。
俺とイチカは反対側のドアに寄るが、よく見ると、そう若くもないかもしれない。
駅に止まった電車から、派手な女が降りていく。何気なく、見るともなく見ているとドアが閉まり、電車が走り出す。
ゆっくりと走り出す電車から、女性の顔が見えた。
「うおっ、夢の島だ」
その女性を見て、ついうっかりと声を漏らしてしまう。
「夢の島ってどこの島? 知ってる女なの?」
聞こえてしまったようだ。
ええい面倒な。イチカが目を細めて睨むようにみつめてくる。
「いや、知らない人だけどな」
「あ~、エッチなお店の人なんでしょ~」
どんな店だと思っているのだろうか。
いや、本当に知らない女だし、彼女ならまだしも姪っ子に疑われるのはどうなんだ。弁解しがいもない。
「久しぶりに見たと思ってな。20年ぶりくらいかな」
「そんな昔の人? あの人そんな歳なの?」
「いや、あの人個人ではなくてな。昔は偶に居たんだよ、あんな格好と化粧の人が」
今の子は夢の島さえ知らないかもしれないが、昔はいっとき流行ってた。
「ふ~ん。なんで夢の島なの」
「ああいう人の化粧を、昔は顔が夢の島って言ってたんだよ」
「ぶふっ……」「くっ……」「ふふっ」
たまらず吹き出す音や、忍び笑い、失笑が漏れる。
会話が聞こえた数人のおっさんが、堪え切れなかったようだ。
注)
良い子の為に念の為。
この場合の『失』は失うと意味ではありません。
失態、過失、と同じく『ついうっかり』という意味となります。
笑ってはいけない状況、時や場所で、耐え切れずに吹き出す
「夢の島が何かは知らないけど……なぁんか、女性をバカにしてそう」
鋭い子だよ。まぁ、俺が言い出した言葉じゃないけどな。
「そんな事ないさ。それに、個人的にそう思ってる訳じゃないぞ? ただ昔は、そんな言葉があったなと、急に思い出したってだけだ。俺が言ってた言葉じゃないからな。間違っても
イチカの母、俺の姉の
幼い頃から姉には殴られ続けてきた所為で、俺は未だに逆らえない。
都内近郊で姉と同じ年ごろの男性なら、奴に殴り倒された経験がない男子はいなかったと、そんな無茶な噂すらある程、手当たり次第に殴り飛ばしていた。
そんな頭のおかしい姉には知られたくない。
喧嘩なんかした事ないくらい大人しいのに、本当に
「ふ~ん……やっぱり、良くない言葉なんだ」
じっとりと睨みつけるのをやめなさい。
叔父さんは、お前の母さんと違って草食系なんだから。
確かによろしくない言葉だが、本当に俺の言葉じゃないんだ。
本当に昔、いっときだけあった言葉なんだよ。
そんな歌詞もあったくらいだ。俺の所為じゃない。
そうだ。顔が夢の島とか歌ってた、あの三人組の所為だ。俺は悪くない。
なんとか誤魔化していると、やっと到着、吉祥寺だ。
吉祥寺で降りた俺達は、駅前の商店街を抜けてデパート脇の狭い階段を降りる。
短い階段を降りると電源の入ってない自動ドアがある。
まだ開店前のドアをコンコンと叩くと、中から男性が顔を出して、鍵を開けた自動ドアを手で開けてくれる。
「やぁ、待ってたよ」
「お待たせ。ちょっと途中で電車を乗り換えてね」
チラっと見ると、イチカが膨れている。
あまりからかうと必殺の蹴りが飛んで来るから、気を付けなくてはいけない。
「おや、
「おじさんっていうな。俺はまだ、そんな歳じゃない」
「はははっ、まだそんな事を言っているのかい」
「ね~。姪がいるんだから歳は関係ないのに。未だに独り者だから僻んでんのかな」
くそっ。せめて睨みつけてやるが、なんの効果もない。
しつこく言い争うと母親譲りの気の短さで、殺人キックが飛んでくるから、この辺で我慢して、やめといてやる事にしてやる。大人な対応ってやつだ。
あまり叔父さんを虐めると泣くぞ。
普段はこのパチンコ屋の店長をしている
実はギターが巧かったり、情報屋みたいな事もしていたりと、謎なおっちゃんだ。
トレジャーハント関係の、依頼の元締め、みたいな事もしている。
今回は、そんな依頼があったと連絡をもらったのだ。
店も開店準備で忙しいだろうから、早速仕事の話をしようとするが、どうしても気になるどうでもいい事に気付き、話はいきなり逸れてしまう。
「なんで台が全部開いてんの? 故障でもした?」
店内に並ぶスロットの台、その全てのドアがひらいていた。初めて見る光景に、つい仕事を忘れて訊ねてしまった。
「あぁ、今日は視察の日なんだよ。開店前におまわりさんが見に来るんだ」
「ええ! 違法カジノってやつ? 凄い! つかもっちゃん捕まっちゃうの!」
どんな想像をしたのか、イチカがいきなりピョンピョン跳ねながら叫び出す。
「捕まらないよぉ。カジノじゃなく銀玉遊技場だからね」
困った顔で、笑いながら否定する塚本ちゃん。
そういえばゲームセンターなんかの遊技場とも、扱いが違うとか言ってたっけ。
「違法な台がないか見に来るのかぁ……あれ? 違法じゃないんだっけ?」
「合法な店はないだろうねぇ」
ふと湧いた疑問に、塚本ちゃんが応えてニヤリとする。
そうだ。確認に来るっていう基盤。裏基盤とかいう奴で、違法なものだった筈だが、塚本ちゃんは余裕で笑っている。
「基盤を見られたら不味かったんじゃなかったっけ?」
「今あるのは注射だけだから、見た目ではバレないよぉ」
そんな余計な会話をしていると、制服警官が押しかけて来た。
いや、警官が視察に御越しになりました。
まさかイチカの件で追って来たわけじゃないよね?
「ご苦労様です」
爽やかに出迎えた塚本ちゃんが、警官に何か封筒を渡してる。
邪魔にならないように、イチカを連れて奥へ引っ込んで居よう。
奥の事務所で大人しく待っていると、奥にも警官が来た。
「これはなんですか?」
入って来た警官が、床に置かれた段ボール箱を気に留める。
「台の検査をする機械ですよ」
咄嗟のハプニングにも、慌てず騒がず冷静に答える塚本ちゃん。
「……そうですか」
それ以上何も言わず警官は出て行った。
「塚本ちゃん……それって……」
戻って来た塚本ちゃんに、その段ボール箱を指差す。
「あぁ、打ち込み機だよ。仕舞うの忘れてたんだ。ははっ、危なかったね」
がっつり違法な機械だった。
でも、なんとか誤魔化して、見逃して貰えたようだ。
「おおーっ。逮捕? 逮捕されるの?」
一番、犯罪者なイチカが、何故か嬉しそうにしている。
「捕まらないってば。パチンコ屋でもカジノや風俗店でもさ、たまに摘発される店があるだろ? 隣近所の店も同じ事をしているのに、何故一店舗だけなのか、イチカちゃん知っているかい?」
「え~、しらなぁい。運?」
「はははっ。金だよ。払いが悪かった店が見せしめに摘発されるのさ。うちはきっちりと警察に袖の下を渡してるから大丈夫なんだよ」
「おお~! 賄賂だ。癒着だぁ」
何故かイチカははしゃいで興奮している。
誰でも金の為なのは、分かりやすくて良い事だよ。
取り締まる側だって、締め付ける事じたいが目的じゃないしね。
儲かってるんだから、ちょっとこっちにもまわせよ。ってのが取り締まりの目的なので、しっかり金だけ握らせておけば心配はいらない。
金の払いが悪いと、見せしめに摘発検挙される。
袖の下って大事だな。
ふと、気になったのでイチカに確認してみる。
一応彼女も学生なんだし、少しは勉強してたりしているのだろうかと、心配になったりなかったり。どこまでなのか確認してみよう。
「イチカ。見せしめの『しめ』って助動詞は五段活用の何形だい?」
「へ? 助動詞ってなんだっけ?」
そっからかよ。
「そうか……良く分かった」
無理があったようなので諦めた。
五段活用ってのが昔あった。
未然、連用、終止、連体、仮定、命令の何故か6個。五段なのに。
ア オ イ ウ ウ エ エ
例えば……違い、違う、違うとき、違えば、違え!
見せしめの『しめ』は使役の助動詞『しむ』の連用形からだって。
何いってるのか分からないけどね。
上一段活用ってのもあった気がする。
見ない(未然)見ます(連用)見る(終止)見るとき(連体)見れば(仮定)見ろ(命令)全部イ段だからとかいう意味の分からない理由だった。
他にも下一段活用、上二段、下二段、カ変、サ変等々、卒業してから一度も使ってない、明日役に立たない無駄知識トリビアだ。
知らなくても暮らしていけるし、そんな知識がなくても立派に、都内に一戸建てを建てた奴もいる。
「ところで仕事の話だけど」
「おっ、そうだった。ほら、下村さんって居たじゃん?」
「下村って、あのどっかの侍の子孫だっていう人? 懐かしいねぇ」
「そうそう。あの人からの依頼なんだよ。詳しくは本人に会ってくれるかな」
「そうなんだぁ。あの人、今何処にいるの? 確かどっかの役所だったよね」
「ちょっと遠いけど、東村山の市役所にいるんだってさ。近い内に顔出してよ」
「そうなんだ、分かった。早めに行ってみるよ」
会うのは久しぶりだが、御三家のどっかの家来だったとかいう、面白い人だ。
次の目的地は東村山だな。
なんか行くの面倒くさかった気がするけれど。
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