夢と浪漫と江戸のまぼろし

とぶくろ

第1話 車内暴力はやめましょう……外ならいいの?

 久しぶり! 俺の名はタチバナ 尹尹コレタダトレジャーハンターだ。

 都内近郊を股に掛け、各地に眠るお宝を手に入れる、浪漫溢れる仕事だ。


 早速、今回も仕事の依頼が入ったとこなんだ。

 やはり優秀な俺は、業界で有名なんでね。どうしても俺じゃないとって依頼が途絶える事がない……といいなぁ。

 日頃は肉体労働に精を出す毎日だが、今回は久しぶりにトレジャーハントの仕事が入ったのだ。やはり、あちこちに顔を繋いでおくもんだね。


 そんなこんなで、依頼を持って来てくれた塚本さんに会いに行く。

 吉祥寺でパチンコ屋をやってるんで、ちょっと遠いけれども仕方ない。

 北区赤羽から、武蔵野市吉祥寺へ。もちろん電車で。

 乗り換えが地味に面倒くさい。


「ねぇねぇ。今度は、どんなお宝かな?」

 何故かついて来た女子高生。

「なんでついて来てるんだよ、イチカ」

「いいじゃ~ん。塚本さんに会うんでしょ? アタシも会った事あるし、叔父さんだけじゃ心配だから一緒に行ってあげるよ。嬉しいでしょ?」

「嬉しかないわ。あと、おじさんって呼ぶな。まだ、そんな歳じゃない」

「え~。ママの弟なんだから、幾つだろうと叔父さんじゃん」


 この生意気なのは姉の尹尹コレチカの娘なので俺の姪。

 紛らわしくも柚木 尹尹イチカだ。

 どうせ言う事なんて聞くような親子でもないしな。

 仕方なくイチカを連れて吉祥寺へ向かう。


 新宿から中央線へ。

 油断してると、特快とか乗ってびっくりする事がある。

 何故か吉祥寺に止まらないんだよな。

「そういや昔、国分寺から吉祥寺へ行くのに特快に乗った事があったなぁ」

 走り出した快速電車の中で、昔やらかしたのを思い出した。

「吉祥寺って、特快止まらないの?」

「何故か止まらないんだよ。乗り換えもあるのにな。しかも乗ったのが通勤特快でな。走り出した車内のアナウンスで『次は新宿です』だってよ」

「うわ……ただにぃ恥ずかしい」

 尹尹イチカが呆れた目を向ける。

「仕方ないだろう。通勤特快も、特急成田エクスプレスだって止まるんだぞ。井の頭線の乗り換えだってあるのに、とばすとは思わないだろう」

「せめて中央特快なら、隣の三鷹に止まったのにねぇ」

「あの時は泣きそうになったなぁ。何も出来ずに窓の外を眺めてたよ」


 そんな悲しい記憶を懐かしんでいると、急に殺気を感じる。

 隣のイチカが、猛禽類の様な目で何かを睨んでた。

 それほど混んでもいない車内、椅子が埋まり、数人が立っているくらいだ。

 隣の出口付近。二人の女子高生が喋っている方を殺気立って睨んでいる。

 それほど騒いでいる訳でもないが、何が気に入らなかったのだろうか。

 ヤバイ……母親のチカ(コレチカ)そっくりの殺気に、竦んで動けない。

 逃げて! お願い、お嬢ちゃん達にげて~!


 冷たい殺気を振り撒きながら、イチカは制服姿の女子高生に向かっていく。

 そういやこいつも女子高生だったな。知り合いか? 知り合いなのか?

 車内を進むイチカに気付いた人は皆、凍り付いたように固まっていく。

 別に鬼の形相というわけではない。

 表情を失くした冷たい顔だ。

「やばい……あれはやばい。本気だ、なんでキレてんだよ」

 どうにかしたいが体は動かない。

 叫ぼうにも、かすれて囁くような声しか出ない。


 あいつの母親、姉のチカならしょっちゅうキレてたが、イチカは幾らか大人しい筈で、簡単に人を殺そうとしたりはしない子だ。

 まぁ、すぐに蹴りはするが。

 俺は気ばかり焦り、動けない。女子高生が蹴り殺される場面は見たくない。

 見たくはないが、これはどうしようもない。

 姉のチカに植え込まれた恐怖の記憶が、体を竦ませ自由を奪う。


 何も出来ないまま、イチカの脚が上がる。

 制服ではないが、今日も短いスカートを履いている。

 屈むまでもなく、少し動いただけで見えてしまいそうな、短いスカートがふわりと舞い、鍛えられているが、ぱっと見は細い脚が鞭のようにしなる。

 本当はしならしいけど、そんな事は今、どうでもいい。


 衆人監視の中、ひらひらと舞うスカート。

 何故か、誰にも中は見えない鉄壁のスカート。

 スパーン! と、甲高い音が車内に響き、イチカのミドルキックが炸裂する。

 固まって見ていた車内の人々が、ビクッと跳ねる。


「ひぎぃ!」

 そんな一撃が尻にヒットした男性が、悲鳴を漏らし立ち竦む。

「え?」

 狙いは女子高生達ではなく、後ろに居た若者だったようだ。

「な、なっ、何するんだっ」

 何が起きたのか理解できずに固まっていた若者が、やっと意識を取り戻したようにイチカに振り向いた。

 いきなり後ろからケツ蹴られたら、そうなるだろうね。

 痩せてひょろっとした若者だが、身形から金は持ってそうだ。


 イチカは無言で男性の背負ったバッグを掴んで、そのままローキック。

「いぎぃ! な、何するんだ。放せよぉ」

 もう、泣きそうな声を出しているが、足が折れてたりしてないかな。

 そんな心配をしてみても、まだ動けない。

 イチカは跪いた男性のバッグを開けて、中を漁り始めた。

 何だ? 何か起きてるんだ。何をしているんだ。

 何が起きているのか、頭の中が『?』で埋まるが怖くて近寄れない。

「お、お~い。何をしているのかなぁ? いちかさぁん」

 震える声で必死に呼びかけてみるが、聞こえていないのか反応はない。

 残念だが今はまだ、これ以上の声は出ないようだ。


 蚊の啼くような声だけで俺がプルプルしていると、イチカが男性のカバンから何かを取り出した。小型の電子機器のようだが、彼女は何かいじっていた。

 あぁ、人様を蹴り倒して、持ち物を奪うなんて。

 なんて言ったっけ……ハイウェイスターだっけ?

 姪が追剥ぎになってしまいました。


「やっぱり……ねぇ貴方たち、コイツ知り合い?」

 何かを確認したのか、イチカは傍に居た二人の女子高生に声を掛けた。

 二人は声が出せないのか、必死にフルフルと頭を横に振り、否定を伝えている。

 確認する前に蹴るのは、やめていただきたい。

「やめて……逃げてぇ」

 細く、儚げな声が漏れる。何故か俺の口から。

 必死に声を張り上げようとするが、出たのはかすれた囁きだけだった。


「おい。今、盗撮してたろ。スカートの中が移ってんぞ」

 イチカが男性のバッグから出したモノを突き出していた。

 彼の靴には小型カメラがついていた。

 無駄に高そうな機材だな、もったいない。

 どうやら盗撮していた現場を目撃してキレたようだ。


 よかった……少なくとも女子高生は、無事に済みそうだ。

 盗撮犯なら、多少は仕方ないよね?

 最悪、死ななければなんとか、なるんじゃないか……な。

 殺したら駄目な気もするけれど。


 被害者の未来に興味はないけれど、加害者の未来は心配する変な国だし。

 なんで、被害者や被害者遺族よりも、加害者の未来を重要視するのだろうか。

 加害者を心配する人の『大事な人』を浚ったらどうするか見てみたい。

 ……おっと、あまりの事に関係ない事に意識が逃げていたようだ。


「盗撮ですって、やぁねぇ」

「真面目そうなのに、とんでもないな」

「うそ、きもっ」

 車内に響き渡るイチカの怒鳴り声に、好き勝手に囁く乗客たち。


「おねがい……ころさないで」

 捕まっている若者ではなく、かすれた声は俺の声だった。

 それでもまだ声がかすれる、少し情けない叔父さんでごめんよ。

 祈るように声を絞り出すが、すぐそこに居る彼女たちにも聞こえない。


「ちょっとパンツを撮っただけじゃないか。減るもんでもないんだし騒ぐなよ」

 やめて、くちごたえしないでぇ。

 盗撮犯の男性は開き直って、訳のわからない事を言い出した。

「そうかい。なら、顎くらい砕けてもいいよね。数は減らないし」

「え……」

 何を言われたのか理解できない盗撮犯。

「ひぃぃ……やめてぇ」

 良いわけない。顎は大事だよ? 必死に止めようと叫ぼうとするが、俺の口から漏れたのは悲鳴のような懇願だった。

 ボグッ……先程の甲高い音を立てた威嚇とは違う、低く響くいや~な音。


 斜め下から突き上げる、の三日月蹴り。

 人体の急所、顎の三日月を蹴り砕く無常の一撃。

 顎の骨を砕き、蹴りぬいた足が音もなく戻る。

 一撃で意識を刈り取ったところへ、トドメとばかりに追撃が入る。

 返しのかかとが、顔面に突き刺さり薙ぎ倒す。

 顎が砕けた口からは、とめどなく血が溢れ出し、鼻も砕けて片目も飛び出しているが、あれは生きているのだろうか。


 俺は這うように、倒れた男性に慌てて駆け寄る。

「おねがいおねがい……ふぅ~……生きてるぅ」

 首筋に指をあてると脈はなんとか動いていた。

 周りからも、ほっと息を吐く音が幾つか聞こえる。

 被害にあった女子高生たちは、目を見開き固まっていた。

 まぁ、それはそうだろう。

 何故かイチカは得意気だ。

 何故か、やりきった顔で満足そうだ。

 はらだたしい。


「あっ、もしもし。仕事中にすみません。俺です、コレタダです」

 俺はスマホを取り出して、すぐに電話する。

 電車が止まる前にどうにかしなければならない。

義兄にいさん。またイチカがやらかしました。なんとか生きてますが……」

 電話の相手はイチカの父親、姉の旦那だ。

 このままでは過剰防衛にすらならない。

 ただの傷害か殺人未遂だ。


「そんなに騒がなくても、正当防衛でしょ」

 イチカは悪びれずに、おかしな事を言って胸を張る。

 掴まれた腕をふりほどいた時に、相手が転んでケガをしたとか、そんなのが正当防衛であって、手や足を出したら防衛ではなく攻撃だ。

 相手が銃でも持っていれば、殴るくらいは許されるかもしれないが。


 倒れた男性の服と荷物を漁るが、武器になりそうなものは、残念ながら所持していらっしゃらないご様子。今は俺も武器はないので仕込めない。

 この若者は、なんでナイフくらい隠し持っていないのか。

 実際、相手が武器を所持していても、許されないだろうがこれは不味い。

 しかも、尹尹こいつは何もされていないのに。


 なんとか電車が止まる前に、義兄に報告を済ませる事が出来た。

 姉も娘も揃ってで慣れているだろうが、電話の向かうからは義兄の乾いた笑いが聞こえる。とても痛々しい。それでも後はなんとかしてくれるだろう。

 本当にごめんなさい義兄にいさん。

 心の底から尊敬してます。


 俺達は車内の人達が向ける恐怖の視線から、逃げるように電車を降りた。

 恐怖に固まっていたおかげで、誰もカメラのたぐいを取り出す事も忘れてくれていたようで、イチカの姿は映像に残っていないだろう。

 証拠の映像さえなければ、後は義兄さんがなんとかしてくれる。

 そう祈るしかない。


 今は、一刻も早く此処を離れよう。

 ……なんでこんな事に巻き込まれてるんだ。

 無事に塚本さんに会えるのだろうか。

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