三章――③
どういうことだ。「は?」と顔をしかめているのは壮悟だけではなく、美希も渋面を浮かべている。
「え、でも、暗号の答えって人に教えたらあかんのやろ。祟りがあるとか聞いたぞ」
「そんなの信じてる奴いるわけないだろ。やっぱりビビりだな」
ふん、と鼻を鳴らして笑うダイスケの耳を再び引っ張ってやったところで、壮悟は話の続きを促した。
「〝糸探し〟に参加出来るのって運次第だし、みんな――っていうか男子のほとんどは、いつ選ばれてもいいように参加したことある奴から先に答え聞いとくんだよ」
「……ええんか、それ」
「だってあんな短時間で暗号解いて、そこからまた糸探しに行くって、普通に考えて時間足りないだろ」
ダイスケの言う通りではある。実際、榛弥は制限時間内に戻ってこられなかった。
ということは昨日の〝糸探し〟の参加者のうち、六人は事前に答えを知っていたことになる。馬鹿正直に解読に挑んだのは、壮悟と榛弥の二人だけだったのだ。
よくよく考えてみると、速度に違いはあったものの、六人が向かった方向は同じではなかったか。山の中を探し回るのは体力勝負になるだろうが、ダイスケ以外の五人は年齢層が高かった。ゆったり歩いていたのは、最初から「体力では彼に劣る」と判断して力を抜いていた可能性がある。
「なんだよ、糸がどこにあるか分からなかったから悔しいのかよ。どこにあったか教えてやろうか」
「そういうわけと
暗号の答えは榛弥から聞いたし、別にいいと言いかけて、壮悟は寸前で口をつぐむ。
――ハル兄が持ってきた糸はダミーや思てたけど、〝花婿〟に選ばんたんがほんまにハル兄なんやったら。
――こいつが持ってきた白い糸の方がダミーやったてことにならへんか。
となると、そこに至るまでの道筋も違うはずだ。参考までに聞いておけば、なにかしらヒントになるかもしれない。少し迷った末に、壮悟はダイスケの言葉にうなずいた。
「最初の『消えた末子はうしとらに』ってとこ、地元の奴らの間やとどういう風に伝わってんねん」
榛弥の解釈では「狛犬が見える位置まで北東に進め」だった。ダイスケが語るものも、それと同じだろうか。
「消えた末子っていうのは狛犬だって聞いてる。なんでかは知らないけど、そういうもんなんだってさ」
「ふうん……うしとらは?」
「歩いて行く方向だよ。〝うしとら〟があるっていうか、あった方向」
「ん?」と即座に反応したのは美希だ。壮悟も同じタイミングで引っかかり、眉間にしわを寄せる。
――うしとらがあったところて、どういうことや。ハル兄は「八卦では
兄妹が困惑しているのをどう受け取ったのか、ダイスケは――特に壮悟を見ながら――嘲笑を浮かべていた。
「あ、そうか。よそ者だから知らないよな。今はもう潰れたからないんだけどさ、昔この辺にそういう名前のスーパーがあったんだよ」
「……つまり、なんや。そのスーパーがあった方角に歩いてったら、狛犬があるてことか?」
そうそう、とダイスケはうなずいているが、いまいち納得がいかない。
祭りがいつの時代からあるのか知らないが、石碑に刻まれていた文字の劣化具合や那壬恵の祖母が先々代の〝舞姫〟だった経緯を考えると、かなり昔から行われていたと思われる。
――そんな祭りに、スーパーの名前なんかヒントに使うか?
「じゃあ次は?」と美希が紙を指さしながら問う。「『まなこが見すえる父の首』はどうなん?」
「まなこが見すえるってのは狛犬が見てる方向なんですよ。その先に、うしとらの創業者のお父さんじゃないかって言われてる人の銅像があってですね」
「なんやねん、その曖昧なん」
「だって誰も詳しいこと知らねえんだもん。そこに向かって進めばいいってことだけ分かってれば充分だし」
では次の「次男が招く水の中」も似たような理由付けがされているのかと思っていたら、果たしてその通りだった。
「銅像の人の次男はお父さんの会社を継いで、同じように銅像が作られたんだけど、社員の人と揉めちゃったからそれが近くの川に捨てられたらしくて。まあ正確な位置は誰も知らないんだけど、とりあえずその川に糸が隠されててさ」
「隠されとるって、むき出しで? そんなん流されてしまわへんの」
「そのまま隠されてるわけないだろ。重りのついた筒の中に入ってんの。だからそれをひたすら探して、誰よりも早く神社に戻ったやつの勝ちってわけ」
「……ハル兄が解いたんとだいぶ違うな……」
「は? お前の従兄、これ解いたわけ?」
壮悟は榛弥から説明されたそのままの答えをダイスケに教えたが、「ハッケとかなにそれ?」と首を傾げられるばかりだった。
赤い糸を見つけていたことも教えてやると、むしろそちらが偽物だろうと笑われる。
「ほんならなんでハル兄が〝花婿〟に選ばれんねん」
「知るか。そんなの俺が聞きたいっての。ていうか、そいつどこに行ったか分からないんだろ。まさか〝花婿〟になりたくなくて逃げたんじゃねえの?」
「ハル兄に限って、そんなわけあらへんと思うけどな……」
むしろ「またとない機会だな」と喜んで受け入れそうだ。うきうきと〝婚姻の儀〟に臨む榛弥の姿が目に浮かぶ。
「……あ、そうや。〝婚姻の儀〟って具体的になにすんの? 結婚式のまねごとなんと違うかとは聞いたんやけど」
「まあね。さっき見せた本に〝ジョロウさまが滝にやってきた〟って書いてあったろ。その滝の岩の近くで、〝舞姫〟と〝花婿〟が並んで踊るんだよ。で、集まってくれた人にお礼だって言って飴玉ばらまいて、最後に〝ジョロウさま〟からのお告げを伝えて終わり」
「そのお告げって、今までどんなんがあったん?」
美希が訊ねると、ダイスケは「ええっと」と顎に手をそえながら天井を仰いだ。ここ数年分のお告げを思い出しているようだ。
「一昨年は『来年は雨が多く降り、穀物がよく実るでしょう』だったと思います。去年は『冬に雪がうず高く積もるでしょう。備えを怠らぬように』って言ってました」
まあでも、とダイスケは眉を下げて困ったようにくすくすと笑う。
「お告げってほとんど適当なものだと思いますけどね。あくまで祭りを盛り上げるための要素っていうか」
「なんでそう思うん?」
「だってあれ、当たったことないですもん」
「……は?」
「一昨年から考えて来年……まあ去年ですね。雨がたくさん降るって言ってたのに、結局降らなくてむしろ実りが悪かったってじいちゃんが困ってた。冬に雪が降るってのも、友だちと雪合戦したいなあって楽しみにしてたのに、結局一ミリも積もらなかったんですよね」
べりべりとフィルムをはいで、壮悟はおにぎりにかぶりついた。味付け海苔の塩気がちょうどいい。具の梅はちょうどいい酸っぱさで、夏の暑さに疲れた体がじわじわと癒された。
「今日中に帰るんは無理そうやんなあ」
助手席の美希が残念そうにため息をついて、アメリカンドッグをもぐもぐと頬張る。たっぷりかかったケチャップとマスタードが口の端を汚していた。
もう一回上松さんに話を聞いてくる、と意気込むダイスケと別れてから数時間後。壮悟は適当に目についたコンビニに車を停め、美希と二人で夕食を取っていた。
壮悟はおにぎりを三つ、美希はサンドイッチとアメリカンドッグを選んだのだが、今朝までの豪勢な食事に比べると落差がひどい。魚続きで飽き飽きしていたけれど、壮悟は早くもホテルの食事が恋しくなった。
「榛弥兄ちゃんも、結局どこ行ったか分からへんし」
「〝花婿〟に選ばれた感じやったし、資料館の次に可能性ありそうなんは神社やったんやけどな……」
ダイスケと別れたあと、二人はいったん神社にも足を運んでいた。
正確に言えば、運ぼうとした。
神社に続く細い道が封鎖されていたのだ。木製の柵が置かれ、その手前には監視員なのか、男が一人立っていた。壮悟たちは車のまま近づいて「観光で来たので参拝したい」と適当な理由をつけて通してもらおうとしたのだが、「儀式の準備に邪魔が入るといけないから」と追い返されたのである。
さすがに強行突破するわけにはいかない。仕方なく引き返し、どうしたものかと考えているうちに時間はどんどん過ぎていった。
「儀式って、絶対〝婚姻の儀〟のことやんね」
「多分な。そんだけ大事なんやろ」
「岩の前で踊って、適当なお告げ言うだけの儀式が? アホらし」
は、と小ばかにしたように笑って、美希はアメリカンドッグを平らげる。壮悟もおにぎりを食べ終えると、ぐったりとハンドルにもたれかかった。
「とりあえず今からどうしよ……家には電話した方がええよな」
「今日帰ってくると思てるはずやしね。なんて説明する? 『榛弥兄ちゃんが居らへんようになったので帰られへん』てそのまま言う?」
「……いや、『ハル兄がまだ調べ足りへん言うてるから、あと一泊するわ』て言うとけ」
旅行を持ちかけられた際に、榛弥からは日程の延長を示唆されている。そのため壮悟も美希も、念のためもう一泊分の着替えを持参していた。
母に電話するのは美希に任せ、壮悟は榛弥のスマホを取り出す。
壮悟たちと違い、榛弥は実家で暮らしていない。職場に近い名古屋市内で、彼女である
「どうしたん、お兄ちゃん」
「……ハル兄のスマホ、勝手に見てええと思う?」
「なんで?」
「いや、俺もお前も、ハル兄の彼女さんの連絡先なんか知らへんやんか。連絡しよと思たらハル兄のスマホからするしかないんやけど、勝手に操作してええもんかなって」
「ええやろ。それしか方法ないんやし、別にやましいもん見るわけと違うんやから」
壮悟がもたもたとしている間に、美希にスマホを抜き取られる。
パッと灯った液晶画面には可愛らしい柴犬が表示されていた。そういえば実家で犬を飼っていると聞いた覚えがある。被写体はそれだろう。
画面にロックはかかっていなかった。美希がタップすると、あっさり待ち受け画面に変わる。それを見た美希がにやにやと唇を歪めていた。
「なんやねん、気色悪い笑い方して」
「榛弥兄ちゃん、ほんまに茉莉ちゃんのこと大好きなんやなあと思て」
ほら、と見せられたそこには、どこかの夜景をバックに笑顔を浮かべる茉莉が写っていた。彼女の顔が隠れてしまわないよう、アプリはご丁寧に端に寄せられている。
美希は茉莉の電話番号を表示して発信ボタンを押すと、はい、と壮悟に渡してきた。説明は任せたと言いたいらしい。なんで俺が、と躊躇っているあいだに、表示された文字が発信中から通話中に変わってしまう。
慌ててスマホを受け取ると、「もしもし!」と快活な声が聞こえてきた。茉莉の声だ。
「も、もしもし」
「ん? あれ、榛弥くんの声じゃないね。壮悟くんかな」
「あ、はい。そうです。久しぶり」
茉莉とは何度か会ったことがあるが、けっして回数は多くない。それでも声と名前をしっかり覚えてくれているあたり、なかなかの記憶力だ。
「どうしたの? 今日って旅行から帰ってくる日だよね。榛弥くんと、壮悟くんの妹さんと三人で行ってるんでしょ?」
「そう、なんやけど、ちょっと事情があって、今日中に帰られへんようになってしもて」
「そうなんだー。取材が延びた感じかな」
てっきり理由を聞かれるかと思っていたのに、茉莉はすんなり受け入れている。榛弥と付き合いが長いだけあり、日程の延長など、そう珍しいことでもないと感じているのかもしれない。むしろ「付き合わせちゃってごめんねー」と労われる。
「私が行けたらよかったんだけど『無理させたくないから』って言われちゃってさ」
「? 二人って喧嘩しとったわけと違うの? ていうか、無理させたくないからって、風邪でも引いたん?」
「喧嘩なんてしてないよ? 昨日の夜も普通に電話したし。ちなみに風邪もひいてないから大丈夫」
どうやら二人が喧嘩をしていたと思ったのは、榛弥の言い回しから勝手に連想した壮悟の勘違いだったようだ。ほっと安心した瞬間、彼女にだけは正直に伝えた方が良いのかもと思えてきた。
「……あのさ、茉莉ちゃん」
「なに? どうしたの?」
「帰られへんの、ハル兄が
えっ、と驚いた声を上げたのは美希だ。
一方で、茉莉は特に反応を示さない。衝撃を受けてなにも言えないのかも知れなかった。
「今日の朝から、ハル兄どっか行ってしもて。スマホとかパソコンとか、全部置きっぱなしでさ。やから茉莉ちゃんにも連絡できたんやけど……」
「うんうん」とようやく声が聞こえる。特に焦っている様子はない。
「……警察とか、相談した方がええんやろか。行方不明なわけやし……」
「うーん。認知症で徘徊してる人とかだったら心配するけど、榛弥くんだしね。もう一日様子を見て、それでも戻ってこなかったら相談すればいいと思うよ」
「……うん、そうするわ」
ひとまず榛弥が見つかった時と、帰る際に改めて連絡すると伝えて通話を切ろうとしたのだが、間際に「あ、ちょっと待って」と止められた。
「ごめんごめん。榛弥くんと電話した時に、一つ伝言預かってたんだった」
「伝言? 誰に?」
「壮悟くんに」
「……俺? なんで?」
さあ、と茉莉も首を傾げているようだ。
「『壮悟くんの連絡先知らないけど』って言ったのに、『それでもいい』って言われてさ。いつ伝えればいいのか分からなかったけど、今教えたらいいのかな」
「た、多分。ハル兄、なんて言っとったん」
「『待ってるから』って」
「……え。それだけ? どこで、とか、そういうのは無し?」
「うん。本当、それだけ」
意味がよく分からない。榛弥はどんな意図があって、茉莉に壮悟宛ての伝言を託したのか。
――そんなん、まるで。
――俺が茉莉ちゃんに連絡すんの分かっとった、みたいな。
じゃあまたね、と茉莉が通話を切る。
真っ暗になった画面に目を落として呆然としたまま、壮悟はしばらく動けなかった。
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