三章――②
玄関先で少年に詰め寄られているのは、神社と榛弥であれこれ話していた男性だ。上松は母屋だと言っていたし、もしかすると彼は上松の夫なのかもしれない。男性は「落ち着きなさい」と少年をなだめようとしているが、あまり効果はなさそうだ。
「糸を見つけてきたのは俺だろ。なのになんで!」
「仕方ないんだよ。チヨミさんが『彼の方がふさわしい』と判断したんだから」
「そんな説明で納得できるわけないだろ! だいたい、あいつが戻ってきたのは制限時間過ぎてからだったじゃんか。糸だって持ってなかったし、なんでそれで選ばれるんだよ。おかしいだろ!」
「と、とにかく少し冷静に……あ」
ふと男性と目が合った。壮悟が反射的に会釈すると、少年も気配に気づいたのか振り返ってきた。
瞬間、彼は顔を真っ赤にして壮悟に詰め寄ってきた。
「お前! 昨日のポンコツな方のよそ者!」
「誰がポンコツや」胸ぐらを掴まれる寸前でひょいっと身をかわして、壮悟はため息をついた。「ていうか、会うんが二回目のやつにポンコツ呼ばわりされる筋合いないねんけど」
「知るかよ。……おい、お前と一緒にいたもう一人のよそ者はどこだよ。髪が黒かった方! 教えろよ。なあ!」
「そんなんこっちが知りたいわ。ええから落ち着け。怒鳴り声があっちまで聞こえとったぞ」
「うるさい。いいからさっさと教えろ。早く!」
「……さっきからこっちが大人ししとったら……」
けっして気が短いわけではないが、ここまで聞く耳を持たれないとさすがに腹が立つ。
壮悟はゆらりと手を伸ばして、少年の耳を掴んだ。そのまま横に引っ張ってやる。
「痛ぇっ! なにすんだよ!」
「やかましい! ちょっとは人の話聞け言うてんねん! もう片方も引っ張ったろか」
「ふざけんなよ。喧嘩売ってんのか!」
「どっちか言うたら売ってきてんのお前やぞ」
「売ってねえし!」
少年は憎らしそうに壮悟を見上げてくるが、間近に立たれたことで身長差や体格の違いを実感したのだろう。彼の目からでは、呆れ顔で見下ろしてくる壮悟の視線は睨んでいるようにも受け取れるはずだ。ぐっと言葉に詰まって、ようやく大人しくなった。
ちょうどその頃、上松も母屋までやってきた。「あら、ダイスケ君じゃない」と呼びかけられると、彼はばつが悪そうに無言で視線を外す。
「どうしたの。なにがあったの?」
少年に問いかける上松の口調はずいぶん親し気だ。恐らく少年はこのあたりの小学校出身だし、資料館ではたまに授業が行われたりすると聞いたばかりである。上松がいつからボランティアガイドをしているのか定かではないが、少年はそういった機会に彼女と何度も顔を合わせたことがあるのだろう。
しばらくもごもごと言い淀んでいた少年だが、やがて心底不満そうに荒れていた理由を述べた。
「……〝花婿〟が俺じゃなくなったって聞いたから……」
「ああ、そうね。ダイスケ君、やっと選ばれたって言ってたものね」
「なんでって聞いてもおじさんは『仕方ない』とか『決まりだから』ばっかりでちゃんと説明してくれなかったんだ」
キッと鋭い目つきで睨まれて、男性は困ったように眉を下げる。
「ねえ、なんで? なんで俺じゃないわけ。昨日は俺に決まったって言ってたじゃんか!」
「だから、仕方ないんだよ。今回は残念だけど、納得してもらうしか……」
「でも俺はもう来年から参加できないんだろ。納得できるわけないじゃんか! 糸を見つけたわけでもないよそ者が〝花婿〟になんて、そんなの絶対おかしい!」
少年は怒りをぶつけるように、植木鉢の破損にともなって散らばった土を何度も蹴り上げる。上松が大切に育てていた花が植わっていたに違いない。どんどん荒らされていく様子を、彼女は悲しそうに見つめていた。
――ここで「ハル兄も赤い糸見つけとったぞ」て言うたら、こいつもっと荒れるやろな。
このままでは上松たちに殴りかかりかねないと判断して、あまり気は進まないながら、壮悟は少年を羽交い絞めにした。まさか拘束されるとは思いもしなかったのか、一瞬だけ少年が怯む。
「ちょっ、なにすんだよ!」
「やかましい」と声を低くして凄むと、少年が奥歯を噛みしめる音がした。「話やったら俺が聞いたる。ちょっとこっち来い」
「はあ? なんでお前に指図されなきゃいけないんだよ!」
少年は無理やり壮悟から逃れようと、腕を振り回したり踏ん張ったりしているが、力は壮悟の方が強かった。なすすべもなくずるずると引きずられていく。壮悟はぽかんとしている上松夫妻に「すんません、ちょっと資料館の部屋お借りしてええですか」と問いかけた。
「え、ええ。構わないけど……」
「ありがとうございます。あ、お二人は片付けとかしとってください。俺がこいつから話聞くんで」
壮悟が少年を解放したのは、資料館の入り口についてからだった。
そこで腕を組んで待っていたのは、あまり心配していなさそうな顔をした美希だ。
「あ、戻ってきた。どうやったん?」
「こいつが騒いどったんや。さっきの音は植木鉢壊した音やったっぽい」
「ていうか、この子、誰?」
「神社で俺に喧嘩売ってきた奴
ふうん、と相づちを打って、美希が少年の顔を覗きこむ。
先ほどまでの攻撃性の高さとよそ者への敵意を考えるに、少年が怒り散らす可能性がある。いつでも羽交い絞めできるよう備える壮悟の前で、少年は意外にも大人しい。
かと思うと、ぽつりとなにか呟いた。
「……か……」
「か?」
「かわいい……」
「は?」
急になにを言い出すのか、と顔をしかめる壮悟に対して、美希はきょとんとしたのち、嬉しそうに目元を和らげた。
「あたしのこと言うてくれてんの? 嬉しいわ」
「な、なあ、おい。この人誰?」
「誰て、俺の妹や。美希、俺らが出てってから他に誰か来たりした?」
「ううん。あたしら以外居らへんけど、なんで?」
「こいつからちょっと聞かなあかんことあんねん」
壮悟が目指したのは資料館の最奥の部屋だ。中に入ると、室内には小学生にあわせたサイズの机と椅子がずらりと並んでいる。大人の自分たちでは座りにくいけれど、他に腰を掛けられそうなものもない。壮悟と美希は適当なそれを選んで座るが、少年はなにやらもじもじと指を組んでいる。
早く座れ、と伝える代わりに手招きすると、少年は美希の真横を選んで座った。ちらちらと横顔をうかがうその頬は、少しばかり朱色に染まっている。
――感情が分かりやすい奴やな。
視線を受け止める美希はと言えば、嬉しいと言っていた割に、今はどうでもよさそうな顔をしている。そういえば好みのタイプは年上だと聞いたことがある。だが少年は美希より年下のはずだ。要するに、熱視線も興味なしというわけだ。
さて、と気を取り直し、壮悟は前かがみになりながら少年――ダイスケから話を聞くことにした。
「〝花婿〟が変更されたてどういうことや。さっきのお前の言い方やと、どうもハル兄に変わったみたいやったけど」
「なんか白々しいな」とダイスケは仏頂面で壮悟を睨んでくる。「あのよそ者、お前の知り合いなんだろ。なのに変更されたこと知らないわけないだろ」
「知り合いっちゅうか、ハル兄は従兄や。ほんで、悪いけど、〝花婿〟が変わったんも全然知らん。初耳や。肝心のハル兄も、どこ行ったか分からへんしな。ここに居ったりせえへんかな思て来たら、お前が怒鳴りこんできたんや」
「……どこ行ったか分からないって、どういうことだよ」
壮悟は榛弥が今朝から行方不明なことを教えてやった。一応ダイスケにも彼を見かけていないか聞いたが、首を横に振られた。
一方ダイスケは、〝花婿〟としての準備をするために、朝は神社に行っていたという。しかし那壬恵の祖母になぜか追い返され、ひとまず家に戻って待機していたところで、〝花婿〟の変更を知らせる電話があったそうだ。
「だから俺、ふざけんなって思って。けど神社に行ってもまた追い返されそうだったし、話を聞いてくれそうなの、上松さんくらいかなと思ってさ。あの人、今年の祭りの実行委員だし」
「なるほどな……けど結局、ろくな理由を教えてもらえんかったからキレた、と」
「別にキレてねえし」
「どう考えてもキレとったぞ、あれは」
言い返したものの、自覚は少なからずあったのだろう。ダイスケはわずかに肩を縮めてうつむいた。
「なあ。お前なんでそんなに〝花婿〟になりたいん」
ちょうどいい。本人に会えたのだから、ずっと気になっていたことを聞けるいい機会だ。
祭りの由来となった伝承の仮説は、道の駅で榛弥から聞いている。ついでにこれが正解だったかも確かめたい。壮悟が問いかけると、ダイスケは急に席を立った。しかし部屋から出ていくわけではない。
室内には本棚が一つだけ置かれている。ダイスケはそこから一冊引き抜いた。
ちゃんとした本というより、二つに折った紙を何枚か重ねて端に穴をあけ、紐を通しただけの冊子だ。紙の端は黄ばみと折れが目立ち、ずいぶん前から置かれていたことがうかがえる。
「なんやそれ」
「この辺の昔話をまとめた本だよ。だいぶ前の小学生が自由工作で作ったやつって聞いた。確かこれに〝ジョロウさま〟の話ものってたような」
ダイスケの手元にある冊子を開いて渡してくる。目を通してみると、物語はすべて手書きで記されていた。小学生らしいどこか拙い文字は不安定で、行間も文字間隔もばらばらのためかなり読みにくい。
それでもなんとか解読して、「どうやった?」と訊ねてきた美希に説明してやる。
「『昔々、神社の滝に〝ジョロウさま〟がやってきました。〝ジョロウさま〟は遠くから旅をしてきて疲れていたので、とてもお腹をすかせていました。食べ物が欲しくて〝ジョロウさま〟は暴れました。水があふれて洪水が起き、たくさんの家が流されました。困った村人は、〝ジョロウさま〟に食べ物をあげることにしました。食べ物を渡すことになった村人は、たいそう強くて気前がよく、頭のいい男でした。〝ジョロウさま〟は食べ物と男を気に入って、もう暴れないと約束してくれました。そして、これからも食べ物をくれるなら、村をずっと守っていくと言ってくれました。そうして村では、毎年〝ジョロウさま〟に感謝をささげるようになったのです』……て書いてある」
「子どもがまとめたんやし、だいぶぼかされとる感じするけど、榛弥兄ちゃんが言うとったみたいに、話のニュアンスはやっぱ生贄っぽくない?」
「俺もそう思うわ」
「あー、俺の父ちゃんが子どもの頃に聞いた話は、これよりもっと怖かったらしい。村人を食べるシーンとかあったみたいだけど、子どもが怖がるからって、苦情が来たりしたんだって」
どうにか和らげて、それでも伝承が伝わるように、と出来上がったのが、この冊子に書かれているような話なのだろう。確かにこれなら子どもも安心して読める。そこに含まれた意味に気がつくのは、大人になって知識が増えてからというわけだ。
「けど、生贄うんぬんが由来になってんのなら、いくら〝花婿〟て美化された呼ばれ方しとっても、選ばれんの嫌と
「ビビってんのかよ」
「ビビってへんわ。単純に疑問なだけや。いちいち喧嘩売ってくんな」
「どうでもええで、早よ話進めてくれへん? こっちも暇と違うんやから」
男二人の間で見えない火花が散っていることなど、美希は興味ないのだろう。じろりと横目で睨まれて、ダイスケは「はいっ」と素直に言うことを聞いていた。
「えっと、ですね」と彼の口調が、美希が相手だからか敬語に変わる。「村で今やってるのは単なる祭りですし、〝花婿〟だからって本当に食べられるわけじゃないし。むしろみんな、〝花婿〟に選ばれて那壬恵さんと仲良くなりたいと思ってるっていうか」
「ふうん。君らからしたら、那壬恵さんは憧れの存在なんやね」
「そうなんです! 俺らが小学生の時とか、ここで勉強したり駄弁ったりしたんですけど、その時に〝舞姫〟やってる那壬恵さんの写真とか見たんですよ。見ました? 隣の部屋に飾ってあるやつ。全部すごく綺麗だったでしょ」
無自覚だろうが、ダイスケの鼻息は荒い。
他にも彼は、このあたりに住む同年代の男子なら、だいたい初恋の相手は那壬恵だと語った。確かに〝舞姫〟の衣装をまとう彼女は清らかで神々しいし、一目ぼれするのもうなずける。
――そのわりにさっき美希のこと「かわいい」とか言うとったけど。
――もしかしてこいつ、単なる面食いなんと違うか。
壮悟が勝手に予想してにやにやを堪える前で、でも、と続けたダイスケの肩は、しょんぼりと落ち込んでいた。
「那壬恵さんは基本的に神社の敷地からっていうか、山から下りてこないし、俺たちもそんな頻繁にあそこまで行くわけじゃないから、全然話したことないんです。だからちゃんと話せるのって祭りの時とか〝花婿〟に選ばれた時くらいしかなくて」
「ちょい待って。山から下りて
「そういうのは全部、那壬恵さんのばあちゃんがやってるんです。たまにスーパーとかで顔を合わせた時に、うちのばあちゃんとか話をして那壬恵さんの様子を聞いたりしてるみたいなんですけど、『あの子は修行で忙しい』しか言われないらしくて」
「……あれやな。神さまに仕える人みたいやし、しゃーないんかもしれんけど……なんか、箱入り娘っていうより、山に閉じ込められてる感じするわ。あたしの勝手な感想やけどね」
「いや、でも、だいたいみんなそう思ってますよ。中学は卒業してるみたいですけど、『修行しなきゃいけないから』って高校から先は通わせてもらえてないって聞くし」
だとすると、那壬恵は中学を卒業してから十年近くも、神社に閉じこもった生活を送っていることにならないか。
――もしそうやったら、だいぶ窮屈な生活なんと違うやろか。
仮に壮悟がそんな生活を強いられたら、ひと月もしないうちに嫌気がさして逃亡するだろう。しかし本人にとってはそれが普通なのかもしれない。
「だから俺、決めてたんです。〝花婿〟に選ばれたら那壬恵さんに告白して、大人になったら本当に結婚して、山の下で暮らそうって。……だから今回、すごく嬉しかったのに、よそ者に横取りされて……」
ダイスケは唇を噛む。その表情からは悔しさがにじみ出ていた。
「なあ、ちょっと聞きたいんやけど」
壮悟はズボンのポケットから紙を取り出す。例の暗号を記したものだ。それをダイスケに見せる。
榛弥がこれを解読し、赤い糸を見つけてきたことは伏せつつ、「お前はこれ解けたんやんな?」と問いかけた。しかしダイスケは「いや、別に」と首を横に振った。
「……は? なんでや。解けたでお前は糸見つけてきたんと違うんか?」
「解けるわけないだろ、こんな文」
だとしたらどうやって彼は糸を探しだしたのか。やがて口から飛び出したのは、予想外の一言だった。
「だってこの辺の奴らだいたい、糸がある場所聞いたことあるし」
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