二章――④

 七輪の上でチリチリと干物が焼けていく。壮悟はそれをひょいと自分の皿に乗せ、茶わんに盛られた白米とともに口の中に迎え入れた。

 噛めば噛むほど旨味があふれ出す、とはこういうことを言うのだろう。

「魚ばっかりやし、ちょっと飽きてきとったけど、この干物は美味いな」

「その魚なに?」

 そう訊ねてくる美希の手元の皿には、これから焼かれる予定の干物がたっぷり積まれていた。

「お前ほんまに一人でそれ全部食うんか。他のおかずもあんのに」

「食べるに決まっとるやろ。やから持ってきたんやんか。ほんで、さっき食べとった魚なに?」

「サメの干物。多分お前の皿にも乗っとる。ちゃんとバイキングのとこに書いてあったやろ。なんや、自分がなに取ってきたんか見てへんの」

「全部おいしそうやなー思て、片っぱしからお皿に乗せてった」

 サメはこれやな、と干物の山を丁寧に解体して、美希は目当てのそれを七輪の上に乗せる。変なところで適当な妹に内心呆れつつ、壮悟も別の干物を焼くことにした。

 ホテルの朝食は干物バイキングだ。地元名物だという干物は定番が四種、日替わりが三種用意されているらしく、サメは昨日見かけなかった。壮悟の地元ではまず見かけることのない代物ゆえ興味本位で取ってきたのだが、意外と美味しかった。売店に置いてあれば、母への土産として買っていくのもいいだろう。

「この白っぽいのなんやっけ」

「鯛の一夜漬け。人気ナンバーワンて書いてあったやつ」

「へえ」

「ほんまに全然見やへんまま取ってきたんやな……ていうか、それ俺が持ってきたやつやぞ。間違えんなや」

「ええやん、一枚くらい」

「お前の皿にまだ乗っとるんやで、それ焼いたらええて言うてんねん」

「お兄ちゃんのケチ」

「誰がケチじゃ。ハル兄よりマシや」

「そういえば榛弥兄ちゃん、まだやへんね」

 壮悟が焼いていた鯛の干物をもぐもぐと噛みながら、美希がレストランの入り口を振り返る。従業員が忙しなく行き来して、次から次にやってくる宿泊客を案内していた。その中に榛弥の姿はない。

 昨日の朝は三人そろって食事をとったのだが、今日は壮悟と美希の二人だけだ。

 待ち合わせの時間になっても榛弥がコテージから出てこなかったのである。

「まだ起きてへんのやろか」

「多分」壮悟はジーンズのポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリをタップした。「……まだ既読ついてへんな」

 電話も何度かかけたけれど出る気配が無く、本館に向かう前に窓から室内を覗いたのだが、部屋の電気はついていなかった。

 夕食と違って朝食は席の予約をする必要がないため、規定の時間までに足を運べばいい。寝起きの美希は空腹のせいで機嫌が悪かったし、ひとまず二人だけ先にレストランへ来たのだ。

「昨日めっちゃ山ん中歩き回ったみたいやったし、さすがに疲れて熟睡しとんの違うか」

「榛弥兄ちゃんて意外とアクティブやよね」

「絶対おとんの影響やろ。本人は『僕はインドア派だ』とか言いそうやけど」

「言いそうやわー」

「あ、そうや。ハル兄が資料館行きたいとか言うとったし、俺もせっかくやでついてくけど、お前どうする?」

「二人とも行くんやろ? ほんなら一緒に行くわ。そんなに時間かからへんやろ?」

 どうだろう、と壮悟は首を傾げた。榛弥のことだし、興味のあるものを見つければ隅から隅まで観察するだろうし、本ならなおさらだ。間違いなく三十分や一時間では済まないだろう。

「まあええわ。あとから迎えに来てもらうのも手間やし、あたしも資料館行く。そのかわり!」

「なんやねん」

「榛弥兄ちゃんのわがままに付きうんやし、あたしのわがままにも付きうてな」

「はあ? わがままやったら昨日付き合うたやんけ。友だちとの待ち合わせ場所まで送り迎えしたったやんか」

「それはそれ、これはこれ」

 最終的に折れたのは壮悟だった。朝から言い合いをして疲れたくなかったからだ。

「なんなん、どっか行きたいとこでもあんの」

「水族館行きたい。ジュゴンるとこ。魚いっぱい食べたら、生きとる魚見たなってきてん」

 あそこか、と場所の把握は出来たが、ここから向かうルートを考えて壮悟は眉間にしわを寄せた。

「帰り道から外れとるやないか。神宮よりもっと向こう行かなあかんし。また別ん時に行ったらええやろ」

「えー。でもここまで来たんやったら、ちょっとそっちの方行くくらいええやんか。ジュゴンも子どもの頃に一回見ただけで、あんまり覚えとらへんから見たいもん。お兄ちゃんは見たないの? ラッコとかも居るんやで」

「……ラッコはちょっと見たいかもな……」

「ほんならええやん。行こに」

 承諾する条件として、壮悟は目的地に到着するまでの運転は美希がするように言った。さすがに三日間ずっと一人でハンドルを握るのは疲れる。たまには助手席にのんびり座っていたかった。

 しばらく渋った様子だったが、仕方がないと感じたのだろう。美希は唇を尖らせて「しゃーないな」とうなずいた。

 チェックアウトの時間は十時で、まだ二時間ほどある。壮悟たちはコテージに戻り、広げっぱなしだった荷物を片付けた。その間にも榛弥に連絡を取ってみたが、相変わらずコール音は鳴りっぱなしで、メッセージに既読がつくこともない。

 いくらなんでも寝すぎな気がするが、無理に起こして不機嫌になられても困る。結局、放っておくことしか出来ない。

「けど、あれやね。予定通り二泊三日で終わってよかったね」

 榛弥からは事前に二泊三日と聞いていたけれど、延長の可能性も示唆されていた。しかし昨日の時点でその申し出はなかったし、今日は榛弥と美希それぞれの目的を果たしたらまっすぐ帰宅して良さそうだ。

「そういや、お母さんから『夕飯いるかどうかだけこっち着く前に教えて』ってメールきとったよ」

「水族館行ってから帰るんやと、サービスエリアとかで飯食うことになりそうやけどな。久々にがっつり肉食いたいわ」

 こちらに来てから食べた肉といえば、初日のカレーに入っていた地鶏くらいだ。それもミンチだったし、向こうに戻ったら分厚いステーキでも食べたいところである。

 美希が荷物をまとめ終わったところで、壮悟はもう一度榛弥に電話をかけた。時刻は進み、九時になっている。だがやはり出ない。

「榛弥兄ちゃん、まだ出やへんの?」

「鳴りっぱなしやな……」

「マナーモードにしとるとかかな。それやったらどんだけ鳴っとっても気づかへんやろ」

 言いながら、美希は外に出て隣のコテージの壁に耳を寄せる。壮悟も荷物を持ちながらついていった。

「どうや。聞こえる?」

「……なんか音楽鳴っとる」

 壮悟はいそいそとコテージに耳を近づけた。美希の言う通り、壁を隔ててくぐもってはいるものの、確かに音が聞こえてくる。

「多分ハル兄のスマホの着信音やな。俺と一緒の機種やった気ぃするし、聞いたことあるわ、この曲」

「ほんならマナーモードにはしてへんってことやね……」

「こんだけ音聞こえとんのに、気づかんと寝とるってことはないと思うんやけど」

 布団に入ったら十分以内には寝ると言っていた覚えがある。起床もすぐかと思っていたのだが、逆に寝覚めは悪いのだろうか。

「榛弥兄ちゃんが起きへんとチェックアウト出来へんねんけど……」

「こうなったら中入って起こすしかないやろ」

「けど寝てんのやったら、ドアに鍵かけてへん?」

「……かけてそうやな」

「あたしらが使とった部屋の鍵やと開かへんよな」

「そらそうやろ」

 なにを馬鹿なことを、と思いながら、壮悟は鍵を差しこんでみた。当然、入らない。

 フロントに申し出ればマスターキーで開けてくれるだろうか。なんとなくドアノブを回して、壮悟はぎょっとした。

「……あれ、開いとるぞ」

「え?」

「鍵かかってへん」

 ドアはなんの抵抗もなく開く。どういうことだ、と二人は顔を見合わせた。

 まさか一晩中、鍵をかけずに寝ていたのだろうか。ドアチェーンもされていない。部屋の中には貴重品だってあるだろうに、いささか不用心だ。

 けれど榛弥が鍵をかけ忘れるとは思えない。防犯意識はしっかりしているはずだ。

 壮悟と美希はそうっと部屋の中を覗きこむ。空調の音すら聞こえず、しん、と不気味なほどに静まり返っていた。

「ハル兄?」

 呼びかけても返事がない。美希に「中入ってみようや」と促されて、壮悟は部屋に足を踏み入れた。

 ざっと見たところ、どこにも榛弥の姿がない。キッチンの前にある机には、ノートパソコンが閉じられた状態で置かれている。壮悟が電話をかけると、着信音は奥の寝室から聞こえてきた。近づいてみると、丁寧に整えられた布団のそばで、スマホがにぎやかな音を奏でていた。

「なんで居らへんねん」

「トイレん中も居らへん」と美希が首を横に振る。「洗面所もちごたわ」

「露天風呂は?」

「朝風呂しとんのやろか」

 もしそうだった場合、美希に確認しに行かせるのはまずい。ここで待つよう指示して、壮悟は露天風呂を覗きに行った。だが、そこにも榛弥はいない。

 露天風呂はどこも濡れておらず、そもそも使われた形跡がなかった。どうやら榛弥は室内風呂で入浴を済ませていたらしい。

 報告しに戻ると、美希が悩まし気に腕を組んだ。

「あれかな、ご飯食べに行ったんかな。受け付け時間九時までやったやろ?」

「行き違たってことか。けどそれやったら部屋の鍵閉めてくやろし、行く前に俺らに一言声かけてくかするやろ。電話とかかけまくっとるし」

「そうやんなあ……あれ?」

 不意に美希が部屋の中をぐるぐると歩き出す。突然どうしたのだろう。壮悟が戸惑っていると、美希は「あらへんねん」とどこか焦ったように言った。

「なにが?」

「榛弥兄ちゃんて、ボストンバッグとリュック持ってきとったよね?」

「そのはずやけど」

「……リュック、どこ?」

 はっとして、壮悟も部屋をぐるりと見まわした。

 ボストンバッグは布団の近くに置かれている。しかしリュックはどれだけ探しても見当たらない。

 ――いや、待てよ。

 そういえば昨夜、壮悟は榛弥がリュックに物品をしまうところを目撃している。

 ――〝糸探し〟で見つけたとかいう、赤い糸の束。あれリュックん中に入れとった。

 ――ってことは、あの時点でリュックはあったんや。

 そのあとは三人で夕食のためにレストランに向かったが、リュックは持っていかなかったはずだ。邪魔になるのだから当然だ。

「鍵かかってへんかったし、まさか盗まれた、とか?」

「それやったら、そこに置きっぱなしにされとるパソコンが真っ先に盗まれるやろ」と壮悟は肩をすくめる。「スマホも見える場所にあるし」

「ほんなら、どっか出かけてったんかな」

「……スマホも持たんと? こんな朝早よから?」

 榛弥ならありえない話ではない。しかしやはり、パソコンとスマホを放置したまま、さらに部屋の鍵がかかっていなかったのも気にかかる。

「……ハル兄、どこ行ったんや……?」

 壮悟の呟きに返ってきたのは、外から飛び込んでくる蝉時雨だけだった。

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