二章――③
紙に書かれたそれを見て、壮悟と美希はそろって首を傾げた。言葉にされなくとも「意味がよく分からない」と感じているのを察したらしい。榛弥は百度石と同じ八角形を書き、各辺の内側に記号を書きこんでいった。
「
「よう分かってるやん」
壮悟が自信たっぷりにうなずけば、榛弥は「なんで自慢げなんだ」とかすかに苦笑した。
美希は言われたことをかみ砕くように、ぶつぶつと呟きながら記号に目を落としている。その間に、榛弥は各辺の外側に、先ほど述べた数字や動物などを手際よく記していった。それをじっと観察しつつ、壮悟は榛弥の肩を控えめにつつく。
「なあハル兄。ちょっと気になったんやけど」
「なんだ」
「動物が当てはめられるて言うたやん? 狛犬って、あれ犬なんか?」
美希がシーサーを見て狛犬を思い出したように、狛犬の見た目は日常生活でよく見かける一般的な犬の姿とはかなり異なる。首の周りにはたてがみらしきものがあった気がするし、口からはにょきっと牙が生えていた覚えもあった。
「もともとはライオンを象ったものだったそうだが、海外から日本に伝わってきたときに『犬』と判断された説がある。大昔の日本にライオンなんていなかったから、当時の人々は身の回りにいる動物で、一番近い見た目のものを当てはめて〝狛犬〟って呼ぶようになったんだろう。まあそういうこともある」
「そういうもんか……」
「そういうものだ。さて、じゃあ改めて碑文の一行目について説明するぞ。『消えた末子はうしとらに』だが、これは全部、方角のことを示していたんだ」
「方角?」
「そう。ここに〝艮〟って書いただろ。八卦でこれは〝ゴン〟と読むが、別の読み方もある。それが〝うしとら〟」
そこに当てはめられている方角は〝北東〟だ。
ようやく理解できそうで、壮悟は何度もうなずいた。
「つまり、一行目は『北東に行け』て言うとるってこと?」
「ああ。起点は石碑がある位置だな。あそこから北東にまっすぐに進めって指示してるわけだ」
「けど、それやったら別に『うしとらに』だけで良うない?」と口を挟んだのは美希だ。「『消えた末子』て、書く必要ある?」
「『北東に行け』だけだったら、どこまで進めばいいか分からないだろ? だから『消えた末子』イコール狛犬が『ここまで来い』っていう目印になるんだ」
〝糸探し〟開始から五分ほどで、榛弥はそれに気づいたという。指示通りに進んだ先は山の中で、やっと見つけた一対の狛犬は雑草やこけに覆われて、周りの景色と同化していたそうだ。おかげですぐには分からなかった、とため息とともに愚痴をこぼしている。
続いて榛弥は碑文の二行目を指さした。「まなこが見すえる父の首」の部分である。
「これは狛犬が見ている方角、要するに次に進む方角が記されている」
「父……お父さん……首……?」
なにを想像したのか、美希の表情は苦々しい。
「狛犬のお父さんの首があるとこ……? ていうか狛犬のお父さんてなに? でっかい狛犬?」
「いや、馬」
言いながら、榛弥は八卦の一点をペン先で叩く。そこに記された記号の線は、三本ともきれいにつながっていた。
記号の横には〝乾〟と書かれている。そういえば知り合いに〝いぬい〟という名字の者がいるが、確か漢字がこれだったはずだ。壮悟の言葉に、榛弥は「その読み方も確かにあるが、八卦の場合は〝ケン〟と読む」とすぐに訂正してくる。
「〝乾〟に当てはめられる動物は『馬』なんだ。同様に家族と体の部位を当てはめる。それぞれ『父』と『首』で、方角は『北西』。以上から分かることは?」
「……馬の首があるとこまで、北西の方向に進め……?」
壮悟と美希がそろって答えると、榛弥は口の端を緩めて微笑んだ。正解だったらしい。
「それも狛犬みたいな感じで像とかあったん?」
「像というか、岩に浮き彫りにされてたな。なかなか精巧な作りだったし、ゆっくり見てみるのも面白そうだったんだが、時間が無くて諦めた」
次の一文は「次男が招く水の中」だ。壮悟は榛弥が書いた紙を見下ろし、〝次男〟を探す。
それは〝坎〟のそばに書かれていた。榛弥に訊ねたところ、これは〝カン〟と読むそうだ。記号は二番目の線だけが繋がり、上下の線は真ん中が途切れている。
「対応する家族は『次男』で、自然が『水』。方角は『北』だから、次は馬が浮き彫りにされた岩から北に迎えと指示されてる」
「動物は……『亀』て書いてあるね」
進んだ先には亀の置物があったという。台座に乗せられたそれの近くの山肌はむき出しになっており、ひとが一人通れる程度の穴が開いていたらしい。榛弥は実際に中に入ったそうだ。
「ようそんなとこ入ってったな……」
「四行目の『賢者を待つは蜘蛛の加護』だけ八卦に関係なかったからな。『賢者』は単純に暗号を解いた奴に対する出題者からの称賛だろうし、ゴールはここなんだろうと――」
「けど
壮悟が残念そうに言うと、榛弥がきょとんとした目で見上げてくる。
「だって、そうやろ? 糸見つけたんは地元の奴やったやんか」
「――ああ、そうだな」
「?」
「いや、なんでもない」
榛弥はまだなにか言いたそうではあったが、結局なにも言わなかった。
もしかすると、暗号を解いてろくに道のない山の中を歩き回ったのに、少年に先を越されて悔しい思いがあったのかもしれない。榛弥は意外と負けず嫌いなのだ。小学生の頃、飛び入りで参加した子ども相撲大会で敗退し、泣いていた姿を今でも覚えている。
――悔しいんやったら、素直にそう言うたらええのに。
しかし少しでもからかおうものなら、榛弥から無言でパンチをお見舞いされるだろう。柔道経験者から放たれる拳は重い。壮悟はぐっと口をつぐんだ。
「んー、ほんならとりあえず、暗号の解読会これで終わり?」
難しい話で頭が疲れたのだろう。美希は眉間にしわを寄せたまま、目頭をもんでいた。
そうだな、とうなずきながら、榛弥がパソコンの電源を切る。時計を見ると、いつの間にか夕方の六時半になっていた。
「おなか空いてきた……お菓子食べたらあかんかな……」
「今食べたら晩ごはん入らへんようになるぞ」
昨日も夕食をとったホテルのレストランは、宿泊客の混雑を避けるために二部制を設けている。美希が予約していたのは、七時半から受け付けされる二部の席だ。
「一部に予約しとかんかったお前が悪い」
「だって撮影会にどんだけ時間かかるかとか、疲れて昼寝しとるかもとか考えたんやもん! うわー、昨日と同じ時間にしといたらよかった」
「あと一時間の辛抱やろ。そんくらい我慢せえ。待っとる間に、今日撮った写真とかパソコンに取り込んだらええやんか」
「あ、それもそうやな。寝る前にやろと思とったけど、ちょうどええわ」
思い立ったらすぐ行動とばかりに、美希はさっさと隣のコテージに戻って行く。自由な妹の背中を見送って、壮悟は榛弥を見下ろした。
「ほんで、明日は資料館寄るん?」
「そのつもりだが。お前らが興味ないんだったら、僕一人だけそこで下ろしてくれても構わないぞ。待ってる間はどこかで適当に時間を潰してもらうしかないけど」
「いや、ええわ。せっかくやで俺も覗く。〝婚姻の儀〟とかいうのがどんなんか、ちょっと気になるし」
榛弥の説明だと〝婚姻の儀〟は明日すぐにやるというわけでもなさそうだった。〝糸探し〟に参加した以上は、その先になにがあったのか少々気になる。資料館に行けば、具体的にどのような儀式をやるのか、写真や文章で知ることが出来るだろう。
「あれなんかな、結婚式のまねごとでもするんかな」
「僕も詳しくは聞いてないけど、そんな感じらしいぞ。あとは〝ジョロウさま〟からお告げを受けたりとか」
「……なにそれ?」
急にスピリチュアルな雰囲気が増した。眉を寄せた壮悟の前で、榛弥はポケットからたばこを取り出す。火をつけないでいるのは、壮悟がたばこ嫌いなことを知っているからだろう。
「お告げの内容はその年によって違うらしいけど、だいたいは『今年は豊作だろう』とか『疫病は流行らないだろう』とか、そういう感じだって聞いた。良いお告げが多いと『今年の〝花婿〟を気に入ってくれたんだな』と思うそうだし、その逆もしかり」
「お告げってことは、こう、なんやっけ……憑依とかいうんやっけ……ああいう感じなんやろか」
「さあ。けど八卦があったことを考えると、なにかしら占いをするんだろうな。お告げって言うのはその結果を報告する、みたいな感じだろ。よくある話だ」
「〝花婿〟を気に入る、なぁ……」
壮悟は今年の〝花婿〟に決まった少年と、祭りのもととなった伝承を思い出す。
――せっかくやし聞いてみるか。
「あのさ、ハル兄。〝花婿〟に選ばれるんって、つまり生贄に選ばれるってことやんか」
「そうだな」
「ってことは、どっちかっていうと嫌なことやんか。食べられてまうわけやし」
「あくまで僕の予想だからどこまで合ってるか分からないけど、そうだな。一応言っておくと、現代のあれは祭りだぞ。実際に食べたりするわけじゃないはずだ」
それくらいは分かる、と壮悟は榛弥の肩を叩いた。
「けどさ、今年の〝花婿〟になったあいつ、めっちゃ嬉しそうやったん。〝糸探し〟もやっと選ばれた言うとったし、今まで何回も挑戦しとったんやろな。今はそんくらい名誉なことになっとるってことか」
「それもあるだろうけど、あとは単純に、ナミエさんに惚れてるとか」
「は?」
「〝婚姻の儀〟もとい結婚式のまねごとをするって言ったよな。だけど〝ジョロウさま〟は伝説上の存在だし、姿があるわけじゃない。じゃあ誰が〝花婿〟の相手をすると思う?」
榛弥の問いかけから考えるに、単純な問題なのだろう。壮悟は少しだけ考えて、思いついた答えを述べた。
「……〝舞姫〟?」
「正解。〝婚姻の儀〟では〝舞姫〟が〝ジョロウさま〟に扮するらしい。今回の場合はナミエさんだな。まねごととはいえ結婚式だし、それなりに一緒にいる時間が増えるだろ。仮にその子がナミエさんに惚れてるんだとしたら、そりゃあ選ばれたいと思うよな」
「まあ、そうか……?」
「実際、何年かに一回は、〝花婿〟に選ばれた男と〝舞姫〟が本当に結婚するっていう例があるそうだぞ。ナミエさんの両親とか」
「えっ、そうなん?」
なぜそんなことを知っているのかと思ったら、そのあたりも神社で男性から聞いたらしい。
男性は他にも、ナミエの本名は「
このあたりは聞いて教えてくれたというより、興が乗った男性が勝手に喋ってくれたらしい。榛弥は興味深いことを知られて満足だとほくほく顔だが、壮悟は「ちょい待て」と頭を抱えた。
「前の〝舞姫〟が姿を消したてどういうこと? 急に
「ああ。那壬恵さんが一歳の頃だと。だからといって、特に捜したりはしなかったらしいが。那壬恵さんのことはそのまま祖母が育てたって聞いたし」
「ええ……」
榛弥はさらりと語ったが、そこそこ重い事情ではないか。壮悟が多少引いていると、ポケットに入れていたスマホが鳴動した。美希からだ。メッセージアプリを開くと、お茶碗と白いご飯のスタンプが並んでいる。そろそろレストランに行こうと言いたいらしい。
壮悟が靴を履いて準備をしていると、「そうだ」と榛弥がなにか思い出したように呼びかけてきた。
「これ、なんだと思う?」
「なにが?」
ふり返ってみると、榛弥が手になにか持っている。
握られているそれは赤い。もっと近くに来いと手招きして、改めてじっくり見せてもらう。
「……糸の束?」
「そう。〝糸探し〟の時に見つけた」
「は? どこで?」
「穴があったから入ったって言っただろ。その先にあったから、持ってきた」
「えっ、でも」
壮悟が見た〝糸探し〟の糸は白かったし、なにより、それを見つけたのは少年だ。しかし榛弥が手にしているそれは、見た目や糸の量こそ同じだけれど、色が全く違う。
「どういうこと?」
「糸は複数の場所にあったのかもってことだ」と榛弥は赤い糸の束をリュックの中にしまった。「ゲームとかでよくあるだろ? 宝箱を開けたら偽物だったとか」
「あー、つまりハル兄が見つけたんはダミーで、あいつが持ってきたんは本物やったってことか。せっかく山ん中入ったのに、いらん労力
「うるさい。ほとんどなにも出来ずに終わったお前よりマシだ」
むう、と不貞腐れている榛弥の様子がおかしくて、壮悟は思わず吹き出してしまう。脳天に拳骨を叩きこまれたのは、それから間もなくだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます