二章――①

「見てこれ! かっこええと思わん? 裾がブワッてなるまで何回も撮り直したんやけど、いやーその価値あったわ」

「……あ、そ……」

「これとかめっちゃこだわってん。表情がもう、我ながら最高やわ」

「そら良かったな……」

「なあ榛弥兄ちゃん。なんかお兄ちゃん元気あらへんけど、なんで?」

「最後まで碑文の意味が分からないまま終わったから、自分の不甲斐なさに凹んでるんだろ」

 榛弥がくすくす笑うと、口の端から伸びる白い棒が上下に揺れる。うるさいわ、とか細い声で返事をして、壮悟はかたわらに置いてある皿に手を伸ばし、たれのかかったみたらし団子を力なく頬張った。

 神社での〝糸探し〟から三時間後、壮悟たちは道の駅にいた。木の柔らかな温かみが漂うそこは道の駅というより茶屋に似ていて、おにぎりや団子などが売られている。友人との撮影会を終えた美希に「小腹が空いたでなんか食べたい」と訴えられ、ホテルへ戻る前に立ち寄ったのだ。

 古代米で作られたという団子には甘辛いたれがかかり、疲れた体を癒していく。串には一口サイズのそれが四つ刺さっていたが、壮悟はたっぷり二分近くかけて食べ終えた。

「ふうん。よう分からんけど、そんな凹むほどのことなん」

 かちかちとカメラを操作しつつ、美希が不思議そうな目でこちらを見てくる。

「別に凹んどるわけちゃうわ。頭使いすぎて疲れとるだけで」

「あっそ。あ、榛弥兄ちゃんも見てや。よう撮れとると思わん? お下げ頭で可愛かわええやろ」

「確かに。メイド服で銃器ってところは、ずいぶん物騒な気がするけど。昨日壮悟が見せてくれた写真とは違うキャラをやったのか」

「そうなんよー。キャラ自体はずっと好きなんやけど、コスすんのは初めてやってん。榛弥兄ちゃんはこのキャラ知らん?」

「普段あんまり漫画読まないんだよ」

「ほんなら今度うた時に貸すわ」

 よほど撮影会が楽しかったのだろう。本人に自覚はないだろうが、美希は普段よりかなり早口になっている。

 ――こっちは大変やったっちゅうのに、暢気でええな、ほんま。

 壮悟はセットで頼んだ緑茶をすすりつつ、ジーンズのポケットに突っこんでいたものを引っぱり出した。

〝糸探し〟での碑文が書かれた紙だ。無理やりポケットに押しこんだせいで、かなりしわが寄ってしまっている。

「なにそれ?」と目ざとく問いかけてきたのは美希だ。答える気力のない壮悟に代わり、榛弥が祭りで使ったものだと説明してくれる。

「あ、そうや。〝宝探し〟はどうやったん?」

「地元の奴が一番乗りだったらしいぞ」

 壮悟は〝糸探し〟開始から三十分間、ほとんどその場から動けなかった。文の意味がほとんど分からなかったからだ。

 一つ一つの意味はなんとなく分かりそうなのに、いざ文章として読むと一瞬で頭が混乱する。それをくり返した末、ひとまず歩きながら考えるか、と行動し始めたところで、甲高い鐘の音が鳴った。

 腕時計を見ると制限時間には達していない。ということは誰かが糸を手にして戻ってきたのだ。壮悟が社務所に行くと、例の少年がナミエとともに他の参加者を待ち構えており、ほくほく顔の男性から「今年の〝花婿〟は彼に決まった」と告げられた。

「思い出してもなんか腹立つわ。いかにもなドヤ顔しよって……」

「ていうかお宝って糸やったん?」

「おう。せっかくやで見せてもろたけど、どこにでもありそうな白い糸の束やったわ。普通にそのへんの店行ったら売っとりそうなやつ」

「想像しとったよりえらい地味なんやな。お宝ていうからえもん想像しとったのに、ただの糸て」

「神社で祀られてる神が蜘蛛の妖怪だから、まあ当然だろ」

 榛弥が口にくわえていた白い棒を引っぱり出す。先端にはずいぶん小さくなった飴玉がついていた。

 妖怪、と首を傾げる美希に、榛弥は「壮悟が持ってる紙を見てみろ」と指示する。

「四行目に書いてあるだろ。『賢者を待つのは蜘蛛の加護』って。神さまの名前も〝ジョロウさま〟って言ってたし、あそこで祀られてるのは、ほぼ確実にジョロウグモだ」

「そういう妖怪が居んの?」

「ああ。美しい女に化けるとされている妖怪で、全国各地に様々な伝承が残ってる。僕の専門分野からちょっと外れるし、あまり詳しく知らないけどな」

「けどさ、妖怪を神さまとして祀っとんの? あたしあんま知らへんけど、そういうのありなん?」

「そう珍しいことでもない。似たようなものだと御霊ごりょう信仰とかあるし」

 なにやら難しい言葉が出てきた。兄妹そろって頭上に疑問符が浮かんでいると分かったのだろう、榛弥は再び飴を口に放りこむと「菅原道真すがわらのみちざねって知ってるか」と問いかけてきた。

「あ、それは知っとるわ」と壮悟はうなずいた。中学や高校の授業で目にした記憶があったのだ。しかしどのような人物だったのかまでは覚えていない。

「なにした人やっけ」

「平安時代の貴族だよ。謀反の疑いをかけられて左遷されたんだが、彼の死後に宮中で不幸が相次いだり、落雷が発生したりして、『これは恨みを抱いて死んだ菅原道真の怨霊の仕業だ』と恐れられた。その祟りを鎮めるため神として祀ったのが御霊信仰。と、まあこんな風に、人々にとって恐ろしいものを神として祀るっていう例はある」

 ぼり、と榛弥の口から飴が砕ける音がする。

「神社で話を聞いた限りの情報だと、そんなところだな。詳しいことは資料館にあるみたいだけど」

「まさか今からそこ行くとか言わへんやろな。嫌やぞ俺は。よホテル戻ってゆっくりしたい」

 睡眠不足の状態で暗号の解読に挑んだおかげで、体は疲労感のあまり潰されそうだ。

「じゃあ家に帰る前に寄れ。それならいいだろ」

「そんなら、まあ……」

「ねえ。ちょっと気になったんやけどさ、〝花婿〟ていうのはつまり、『神さまの結婚相手になる』てこと?」

 美希の質問に、「そうだな」と榛弥は二つ目の飴玉を口に放りみながらうなずく。恐らくたばこを吸いたいのだろうが、道の駅はあちこちに「禁煙」の看板が立っている。仕方なく飴で我慢しているらしい。

「今日は〝糸探し〟で〝花婿〟を選んだだけだが、別の日に改めて〝婚姻の儀〟っていうのをやるらしい。『今年の花婿は彼です。どうか村に加護をお授けください』って祈る儀式だって言ってた」

「……なんかおかしない?」むう、と悩んだ様子で美希が唇を尖らせる。「『今年の』てことは、毎年〝花婿〟が違うってこと?」

「だろうな」

「やっぱ変やって。なんで一年ごとに〝花婿〟選ぶねん。一回結婚したら、そんでええんと違うの。よその国みたいに一夫多妻制っぽいわけやないんやし」

 言われてみればそうだ。特に違和感を抱いていなかった壮悟だが、美希の指摘にはっとした。

 ――そういや昨日、ちょっとだけ祭りの起源みたいなの、ナミエさんが言うてなかったか。

 神社の近くには滝があり、そこに神が降臨した。村人は花婿を差し出すことを条件に、加護を得るようになったと言っていたが。

「今から言うことはあくまで僕の予想だから、間違ってるかも知れないけど」

 己の中の考えを整理するように、榛弥がわずかに空を仰ぐ。

「花婿っていうのは恐らく、神――というか、妖怪に捧げる生贄なんだと思う」

「い、生贄?」

 急に物騒な言葉が出てきた。壮悟の隣で、美希が驚いたように目を丸くしている。

「伝承とか昔話で聞いたことないか? 干ばつとか洪水とか、あと疫病が流行ったりしたときに、人々はそれを鎮める、あるいは防ぐために神に捧げ物をしたんだ。例えば動物だったり米だったり、他にはなにが思いつく?」

「……話の流れ的に人間、とか?」

「そう。そうすることで神が満足する、と考えられていたんだ。ジョロウグモの伝承は水辺が近いことが多いし、地域によっては水神、あるいはその使者として伝えているところもある。如瑯神社もその一つだろうな。ちなみにジョロウグモには人を食うっていう伝承もあるぞ」

「それは、つまり」

〝花婿〟とは生贄を美化した言葉で、捧げられた〝ジョロウさま〟はそれを食っているのではないか。

「生贄を捧げるから悪さをするのをやめてくれって頼んで、一回捧げられただけで満足すると思うか? 腹が減ればまた悪さをするかもしれない。そんなの怖いだろ」

「……だから毎年〝花婿〟を選んで、〝ジョロウさま〟に捧げとる……?」

「っていうのが基になってるかもな。最初に言ったろ。あくまで僕の予想だから間違ってるかもしれないって。それこそ資料館に行けば詳しく……」

「やからそれは明日な。今日は嫌やてさっきも言うたやろ」

 チッと榛弥が舌打ちをする。ぞっとする話で興味をひかせて、資料館に足を運ばせようという魂胆だったらしい。

 しかし、と壮悟は首を傾げた。

 ――俺に喧嘩売ってきたあいつ、〝花婿〟に選ばれたてしゃーないみたいな感じやったけど。

 昔話や伝承というのは、時代を経るにつれて変遷していくものだ。壮悟が聞いた伝承は榛弥の予想に過ぎないし、少年が知っているものとは大きく違う可能性が高い。〝花婿〟の称号を得ると祝福されるとも聞いたし、選ばれるのは名誉なことなのだろう。

 小腹を満たして満足したらしく、「ほんならホテル戻ろに」と美希が立ち上がる。弾んだ足取りで車に戻る妹の背中を追いながら、壮悟は「そういえば」と榛弥に顔を向けた。

「ハル兄さ、〝糸探し〟から戻ってくんのめっちゃ遅かったやんか。どこまで探しに行っとったん」

 少年が〝花婿〟に選ばれたと発表された時、社務所の前にはナミエと〝糸探し〟の参加者が集まっていたが、榛弥だけどこにもいなかった。彼が戻ってきたのは、他の参加者が帰る用意を始めた頃である。

 榛弥は物事に没頭すると、すぐに時間の経過を忘れる。戻ってくるのが遅かったのもそれが理由だろうか。

「ていうか、ハル兄は暗号解けたん?」

「解けたぞ」

 特に誇った様子もなく、事実を述べたまでだと言いたげに榛弥の表情は変わらない。

「えっ、ほんまに?」

「ああ。ヒントは境内にあったし、解くのに時間はかからなかったんだけどな。探しに行くのに時間を持っていかれた」

「いや、えっ。ヒントとかそんなんあった? 分からへんのもやもやするし、答え教えて……あ、でも祟りがどうのとか言うとったっけ……」

 本当にそれが下ると信じているわけではないが、びくついてしまうのは昨日の恐怖映像のせいかもしれない。対して榛弥は「大丈夫だろ」と口の端を緩めていた。

「『参加していない者に漏らすことはご法度』って言ってたろ。つまり〝糸探し〟経験者に教えるのは問題ないはずだし、ホテルに戻ったら教えてやる。けど、その前に自分でもちょっと考えてみろ」

「ええ……」

「一つだけ分かりやすいヒントがあるぞ。昨日の車で美希が『なにか足りない』って言ってただろ。あれは正解なんだ。普通の神社でよく見かけるものが、如瑯神社には見当たらなかったから」

「いや、余計分からへんようになったんやけど」

「ホテルに着くまでに考えておくんだな」

 運転中にそんなことを考えていたら、注意力散漫で事故を起こしてしまいそうだ。悠々と助手席に座った榛弥に恨めしい視線を送って、壮悟も運転席に乗り込んだ。

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