一章――⑤

 昨日の様子と打って変わり、境内は人々の話し声であふれていた。

 祭りの受け付け開始までまだ十分じゅっぷんある。壮悟は先に参拝を済ませて、百度石の近くにいた榛弥に駆け寄った。

「そこそこ人るんやな。びっくりしたわ」

「誰もいなかったら祭りにならないだろ」

「まあ、そうなんやけど」

 夏の祭りといえば、りんご飴や綿あめの屋台があったり、射的などを楽しむイメージがあるが、ここではいずれも見当たらない。一つだけテントが出ているが、そこで配っていたのは冷えた麦茶だけだった。

 なんとなく期待外れな感じは否めないが、たいして広くない境内にあれこれと屋台が出ていたら、人の往来の邪魔になることも予想できる。仕方がない。

 ふあ、とつい大きなあくびが漏れる。朝食を腹いっぱい食べたせいもあるが、一番の原因は夜更かしだ。

「ちゃんと眠れなかったのか?」

「枕がうちのやつよりかたかってん。あとは美希に付き合わされて見たテレビのせい」

「そんなに怖かったのか」

「見とった時はそうでもなかったんやけど」

 壮悟が風呂に入ったのはテレビを見終わってからだった。美希といた時はたいして恐怖を感じていなかったのだが、一人になって映像を思い返した途端、背筋がぞっとしたのだ。

 それに拍車をかけたのが、露天風呂の明かりに誘われてやってきた虫たちだ。湯船につかってのんびりしていた際にはセミがライトに激突し、体を洗おうと洗面器を持ち上げたら、中に蛙が入っていた。叫び声を上げなかった自分を褒めてやりたい。

「ほんで部屋戻ったら、美希がのんびり寝とって腹立ったわ。こっちはなかなか寝られへんかったのに……起きてからもやかましかったし」

 友人との撮影会を控えて、楽しみが頂点に達したのだろう。美希はずっと「今日はこんなことするんや」と起床から友人との待ち合わせ場所で別れるまでのプランを熱心に語っていた。

「ハル兄はちゃんと寝れたん」

「僕はいつも布団に入ったら十分以内に寝るからな。下が岩でもない限り、どこででも寝る」

「羨ましいわ」

 カンカン、と固い音がどこからか響く。それに続いて「ただいまより受け付けを開始いたします」と声が聞こえた。それに引き寄せられるように、境内に集まっていた男性の何人かが社務所に向かっていく。

「僕たちも行くか」

「おう」

 社務所で受け付けを行っていたのは、年配の男性だった。かたわらには小さな鐘が置いてある。先ほど鳴らしていたのはこれだろう。折りたたみ式の長机には手のひらサイズの紙とボールペンが置かれ、そこに氏名と年齢、住所を書くよう指示された。

 ひととおり書いて男性に渡せば、彼は確認したのちに「もしかして」と二人の顔を交互に眺めてくる。

「よそから来たって言うお二人さん?」

「ええ」と榛弥が静かにうなずいた。「祭りに興味があったのでここまで来たのですが、地元の者でなくとも参加できるとうかがったので」

「大歓迎だよ! ナミエさんからも言われてるし、じゃあお二人はくじ引きなしで参加決定だね」

「ナミエ?」

「ここの〝舞姫〟だよ。今は裏で準備をしててね。あとで舞を披露するんだ。くじ引きと〝糸探し〟はそのあとでやるから、拝殿の近くで待っているといいよ」

 男性の晴れやかな笑みに見送られ、二人は再び拝殿の近くに戻った。

 拝殿の扉は開け放たれており、中には椅子が四つほど置かれている。その奥には祭壇が設けられ、鏡や酒、米俵、大量の果物などが供えられていた。

「ナミエっていうの、昨日うた人のことかな」

「多分そうだろ。話を通しておいてくれて助かったな。あとで礼を言おう」

「言う暇あるとええけど」

 時間が経つにつれて、境内に人が増えていく。壮悟たちのようなよそ者は他にいないのかも知れない。大半は顔見知り同士らしく、軽く挨拶をしたり、世間話に花を咲かせる者が少なくなかった。

 なんとなく人々の顔を見回して、壮悟は「なあ」と榛弥の肩をつついた。

「なんか、俺ら以外にあんま若い人って、あんまらへんな」

「言われてみれば」

 どれだけ集まっているのか詳しい数は分からないが、男女あわせて五十人はいるだろう。そのほとんどが三十代後半から七十代以上の男性で、女性に至っては若年層がいない。壮悟たちに近い年齢の若者は、五、六人程度しかいなかった。

「若い世代の中には、そもそも祭りに興味がなくて来てない奴もいるのかも」

「あー、そうか。神社も山ん中やしな。ここまで来んの面倒くさーってなったりもしてそうや」

「あとはまあ、少子高齢化も原因の一つかもしれない。ここの地域に限らない話だろうけど」

 カンカン、と再び鐘が鳴る。それを合図に人々がお喋りを止め、一瞬にして厳かな雰囲気が満ちる。

 間もなく拝殿の中に女性が現れる。衣装と髪型が違うが、間違いなく昨日ここで会った女性――ナミエだ。頭には金細工の冠を被り、手には布のついた神楽鈴を携えている。テレビや雑誌などでよく見る巫女装束の定番のいで立ちだ。

 これから舞が始まるのだろう。と思っていると、集まった客の中から男性三人と女性一人が拝殿の中に入り、椅子に腰かけた。壮悟が首を傾げる隣で、榛弥が「お祓いが先なのか」と呟く。

 ナミエが手首をひるがえすと、リン、と神楽鈴の澄んだ音色が響いた。椅子に座る四人は首を垂れ、それを見守る人々もじっと息をひそめている。

 滝が落ちる音と川の流れる音、鳥の鳴き声に加え、鈴の音が耳を打つ。どこか異様な空気の中、ナミエが袴の裾をさばき、鏡に向かって緩やかに踊り始めた。

 ――想像しとった舞と違うな。もっとこう、太鼓とか笛とか、生演奏やないにしても音流すんかと思たのに。

 壮悟がそう感じたのだから、榛弥も似たようなことを考えていたのだろう。横目で様子をうかがうと、わずかに眉間にしわが寄っていた。

 舞は五分ほどで終わった。椅子に座っていた四人はナミエに頭を下げ、しずしずと拝殿から辞する。男性の一人がほっと安堵したように見えたのは気のせいだろうか。

 次はなにが起こるのだろう。待っていると、拝殿の中に別の女性が現れた。

 歳は七十代後半だろうか。灰色の髪を一つに束ね、黄色を基調とした着物を身にまとっている。

 女性は胸に木製の箱を抱えていた。しかつめらしい表情で一歩前に進み、「それでは」と口を開く。しわがれているのに、威厳に満ちて不思議と通る声だった。

「これより〝糸探し〟の選抜をいたします。名前を呼ばれた者は前へ出るように。なお今回は外部からの参加者が二名居られるため、選抜は六名とさせていただきます」

 わずかに人々がざわついたが、女性はそれを視線だけで黙らせる。

 彼女はナミエに箱を差し出した。中には恐らく、受け付けで書いた紙が入っているのだろう。ナミエはそっと手を入れ、淡々と紙を選んでいく。

「受け付けん時にも言うとったけど、〝宝探し〟やなくて、〝糸探し〟ってちゃんと別の名前あったんや」

「あれは僕たちに伝わりやすいように言いかえてくれてただけだろ。その方が説明も楽だし」

「いきなり〝糸探し〟て言われたら、そら『なんやねんそれ』ってなるもんな」

 ひそひそと話している間に選抜は終わったようだ。紙は折りたたんで入れられていたらしく、女性はナミエからそれを受け取ると、一枚ずつ丁寧に検めていく。

「それでは発表いたします。福辺ふくべ榛弥、暁戸壮悟」

 初めに呼ばれたのは壮悟たちだった。呼ばれたら前へ出るようにと言っていたし、二人そろって拝殿に近寄る。その間にも、参加者の発表は進んでいた。

 選ばれた八人が揃ったところで、女性が拝殿から下りてくる。手には筒状に丸めた紙を持っており、一人ずつ順に手渡された。

「一時間後に〝糸探し〟を開始いたします。社務所の前にお集まりください」

 分かりましたね、と念を押され、八人はそろってうなずいた。

「一時間後か……」

 腕時計に目を落とすと、時刻は午前十時ちょうどだった。

 選抜から漏れた者たちは、これ以上ここに留まる理由が無くなったのだろう。一人、また一人と境内から去っていく。

「これってもう見てええんかな」

「いいんじゃないか? 書かれてるのは、昨日見た碑文と同じだと思うし」

「あの石碑の字ぃ、だいぶ読みにくなっとったもんなあ。あれ読むだけで時間かかるかもと思っとったし、こういうのもらえんのありがたいわ」

「そうだな。――あ、ちょうどいい。ちょっと話を聞いてくる」

 榛弥はそう言うと、拝殿の近くにいた何者かに近づいた。受け付けをしてくれた男性だ。恐らく祭りの実行委員かなにかなのだろう。他の客たちと違って帰る気配はない。

 壮悟は拝殿に目を向けた。ナミエが入れば礼を言おうと思っていたのだが、いつの間にか姿が消えている。着物姿の女性もいない。

「〝糸探し〟の準備でもしに行ったんやろか」

 一時間後まで特にすることがない。下手に歩き回ると腹も空きそうだ。大人しく碑文でも読んでおこうかと思ったが、不意に美希の言葉を思い出す。昨日、神社から帰る時に車の中で写真を確認していたときのことだ。

 ――なんやろ……なんか引っかかんねんな。

 ――なんか足りひん気ぃすんねんけど……。

「……足りひんて、なにがやろ」

 改めて境内を見回してみるが、これといって違和感はない。

 地元の神社と比べてみれば分かるだろうか。思い出そうとしていると、「なあ」とどこからか声がかかった。

 振り返ると、日焼けした肌が特徴的な少年が壮悟を見上げている。年は十代後半といったところだろうか。目尻をキッと吊り上げているため、友好的な会話が目的ではないはずだ。

「あんた、よそ者なんだってな」

 ずいぶんな口の利き方だなと思いつつ、この程度で怒るほど狭量ではない。壮悟は「せやけど」と困惑しながら認めた。

「たまたま来たのに参加できるとか、ずるいぞ。今年こそ選ばれたいって思ってる奴は何人もいるのに」

「それは悪かったな。ナミエさんが『遠慮なさらず』言うてくれたもんやから」

「社交辞令をまともに受け取ったのかよ。馬鹿みてえ」

 いいか、と少年は壮悟に指を突きつける。

「俺は今日やっと選ばれたんだ。絶対によそ者のお前らより先に、糸を見つけてやるからな」

「そ、そうか」

 どうやらこの祭りへの思い入れが相当強いようだ。半ば自分の意思に関係なく参加が決まった壮悟としては気圧されるしかない。ふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らして、少年は参道を下っていった。

 彼と入れ替わるように戻ってきた榛弥は、壮悟の表情を見て首を傾げている。

「なんだ、言いあいでもしたのか?」

「そういうわけやないけど……なんか、一方的に目の敵にされた、みたいな。参加したい思とる奴は他にも居んのに、的なことも言われたな」

「ふうん。僕には言ってこなかったな」

「俺かハル兄やったら、俺の方が文句言いやすいと思たんちゃうか。知らんけど。ハル兄の方は?」

「面白い話をいくつか聞けたよ」

 榛弥と話していた男性は、箒を片手に境内の周りを掃いている。その表情はどことなく満足げだ。神社や祭りに興味を持ってもらえたのが嬉しかったのだろう、と榛弥が言う。

「ここで祀られてる神のこととか、〝糸探し〟のあとになにをするのかとか、色々と教えてくれた。もしもっと詳細が知りたければ、里宮さとみやの近くに小さい資料館があるから、そこに行けばいい、とも。朝の十時から夕方の五時まで開館してるらしい」

「里宮? ってなに?」

「山のふもとにある社殿だ。遠く離れた場所からここを拝むための場所――いわゆる遥拝所ようはいじょだな。今は車や自転車があるからいいけど、昔だと整備されていない山道を歩いて来るのは大変だろう? 足腰が弱った年配の参拝客とか、特に」

「あー、そういう人にとったら、里宮とかいうとこで参った方が楽やな。便利なシステムって感じや」

「年越しとかどんど焼きとかはそっちでやるそうだ。その方が気軽に足を運べるからな」

「けど今日の祭りは、わざわざ山奥のここでやるんか」

「それだけ重要視されてるってことなんだろ」

 また鐘の音が聞こえた。壮悟と榛弥は連れ立って社務所の前に移動し、他の参加者もぞろぞろと集まってくる。先ほど壮悟に宣戦布告した少年は、すでに紙を開いて文を読んでいたのだろう。手にしたそれはしわだらけになっていた。

「みなさんお集りですね」と社務所の中から現れたのは、先ほど榛弥と話していた男性だ。ナミエや着物姿の女性は、どこにもいない。

「それではこれより〝糸探し〟を開始いたします。碑文に書かれている内容を初めに読み解き、見事に糸を手にされた方は〝ジョロウさま〟の花婿として選ばれます。なお、以前の参加者から碑文の答えを聞くなどといった行為は、固く禁じられておりますので、ご注意ください」

 ――〝ジョロウさま〟?

 神社の名前と同じだ。ここで祀られている神の名前だろうか。

 制限時間は一時間で、もし時間内に誰も糸を見つけられなかった場合は仕切り直され、誰か一人が糸を見つけるまで続けられるという。

「それでは、はじめ!」

 カァン、と鐘が鳴らされる。少年は我先にと駆け出し、他の地元の参加者は落ち着いたように歩き始めた。

 参加したからには、出来るところまでやってみよう。ようやく腹をくくり、壮悟は筒のままだった紙を開く。

「じゃあ、お互い頑張ろうな」

「え?」榛弥に肩を叩かれ、壮悟はきょとんと目を丸くしてしまった。「一緒に解かへんの?」

「他の人たちは一人でやってるのに、僕らだけ二人で解くのはフェアじゃないだろ。最終的に選ばれるのは一人だけなんだし」

 榛弥の言うことはもっともだ。反論できない。じゃあな、と彼は手をひらひらと振って、壮悟から離れてしまった。

「……しゃーないな……」

 がしがしと頭をかき、壮悟はようやく紙に目を落とした。分からないところがあれば榛弥に相談すればいいか、と思っていたのだが、望みは早くも絶たれたわけだ。

 自信のなさは、文を見たことでより増した。


 消えた末子はうしとらに

 まなこが見すえる父の首

 次男が招く水の中

 賢者を待つは蜘蛛の加護


「……なんやねん、これ……」

 思わずため息が漏れる。

 初っ端から意味分からへん、とこぼした泣き言は、鳥の鳴き声にかき消された。

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