第6話 美月

 都内のビル街を抜け、市街地の方に車を走らせ、大きな橋を渡りきった先に、赤十字病院がある。

 久利宏介が生まれた場所。

 宏介は、重い足取りでその病院の自動ドアを抜ける。

 もう、見慣れた受付ロビー。1週間は通い続けている。

 美月の病室は4階。受付すぐ横のエレベーターで向かう。 

 4階に上がるまでの数秒は宏介に辛い現実を突きつけるカウントダウンとなっていた。

 少し暗い廊下を抜けて、美月の病室の前に来た。


 「石川美月 様」


 もう、覚悟は決まっているはずなのに、ドアに手をかけてからその先に中々進めない。

 これで何回目だろう。

 深い深呼吸ひとつ。

 ドアを開ける。

 よく知る人影がカーテンに映る。

 「よっ!」

 ベッド横の椅子に腰掛けるサクラが、僕に気づいた。

 「来てたんだ。早いね」

 「うん」

 宏介は、ベッドに目を移す。

 美月がいた。体を起こし、背もたれに体重を預ける形で、マットに寄りかかっている。

 こちらを向いているが、反応はない。

 ただただ、事実だけが、重くのしかかってくる。

 美月にもう心はないことが。宏介の記憶はないことが。

 これが植物状態というものなのだろうか。

 医師の診断としては、強く頭を打ちつけた際に重度の脳損傷が起こり、脳への酸素提供が絶たれている。そのため、意識が完全に止まっている。

 でも、心臓は動いている。まだ、死んでいない。

 一週間前、この病院に通いはじめてからずっと。

 「僕だよ。来たよ。宏介だよ」

 一患者として、話しかけ続けている。

 反応がない美月は表情がない。人形ともまた違う、生きた置き物。異様な感じ。

 ただただ、見守ることしかできない。

 クーラーが動く音。同部屋の患者の生活音。それだけが、病室に響き、眩しい朝日が窓際に座る2人を照らす。

 「君が、、僕を、、忘れても、僕は絶対に君を、、、忘れはしないよ、、、」

 宏介はたまらず、瞳に涙が浮かぶ。

 もう、何度も。何度も。何度も。

 美月を目の前にする度に込み上げる。

 そして、己の非力さに失望する。

 あのとき美月に何かが起こるって、少しでもはやく気づいていれば、こんなことにはならなかった。

 また、失った。大切な人を。もう、叶わない。

 何のために、この能力があるのかわからなくてなっていく。

 「美月ね」

 サクラがつぶやく。

 「宏介に救われたって。秘密も教えてもらったって。すごく嬉しそうな顔で私に言ってきたの。あんな顔見るの久しぶりだった、、、」

 溢れそうになる涙を必死に抑えながら、サクラは続ける。

 「ほんとに宏介のおかげだよ。私には、できなかった。ありがとう」

 「そうか。そんなことを言ってたんだ。でも、秘密って言ったら、秘密じゃなくなるじゃんかよ」

 宏介は秘密を打ち明けたあの日を思い出す。

 「ねぇ、サクラ。僕が過去から来たって言ったらどうする?」

 サクラは一瞬驚いた表情を浮かべる。

 「そりゃ、びっくりするよ」

 「過去っていうか、何度も生きてるっていうか。僕は過去の記憶が消えないんだ。前世の記憶がすべて。わかりやすくいうと、過去から来たってことになる」

 「でも、宏介が言うならそれはほんとみたい。信じるよ。漫画みたいだね。過去から来たって」

 そうだ。漫画みたいな話。今でも、僕は信じられない。

 いつか、この記憶が全部消えてしまう日は来るのだろうか。美月のこともすべて、忘れる時が、、、、、。

 「頭が破裂しそうなんだ。今までの全部が頭に残ってる。消したい記憶は消そうと思っても消えない。でも、消したくない記憶もある。それが同時に頭に刻み込まれてくるんだ」

 これが宏介の秘密。

 サクラはこの信じられない話の連続に流石に動きが止まる。

 「急にごめん。現実離れした話をしてしまって」

 「宏介は辛くないの?そんなことだったら、今生きてるたった一回の人生なんて、どうでもいいって投げ捨てようとしたくはならないの?」

 サクラが必死に考えて、言葉をかけてくれる。

 「うん。辛いけど、毎回の人生でやらなくちゃいけないことがある。今回もそうだったのに、、、。また、大切な人を、、、」

 この気持ちは僕にしかわからないはずなのに、今はとにかく誰かにも知って欲しかった。

 2人が紡いできた、3000年もの物語を。

 そして、言う。

「最初の僕は、ちょっとばかし強い兵士だった」

 マットに横たわる美月を見つめながら、たくさんある記憶から最初の記憶を掘り起こして、ゆっくりと話し始める。

 暗い夜の森の中。

 「3000年前、オーズと呼ばれた今でいうローマのあたり。戦いがよく行われていたその時代に僕は生まれた。名はフーリン」

 宏介は語り始める。

 3000年の時をこえる物語を。


 「そこで、僕は美月と出会った」



         第一章 

          完



 

 

 

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