第2話 生きていてほしい

 「僕を覚えていますか?」

 

 あの言葉は一体どんな意味だったのだろうか。

 美月の脳裏に、さっきの久利くんの言葉が焼き付いている。

 5限が始まって20分ほど経った今でもだ。自分でも信じられないことだった。誰かに興味を持つことなんて、どうでもよくなっていたはずなのに。

 久利くんが頭から離れない。彼のことしか考えられなくなってしまった。

 その時、また経験したことのない記憶が頭を掠めたような気がした。

 何かの思い込みだろう。そう思うのが一番しっくりくる。

 自分は窓側の席であるため、そこからグラウンドが見える。どこかのクラスがラグビーの試合をしているようだ。

 どうして、、、自分でもわからない。

 大勢いる生徒の中から、久利くんの姿を一瞬で見つけてしまったのだ。

 意味もなく、見つめてしまう。

 彼は多分味方にパスを出す役目のポジションなのだろう。さっきから、パスばかりをしている。以外とクラスでは、目立たない立ち位置にいるのだろうか。

 しかし、次の瞬間、パスをもらった久利くんが、勢いよく走り出した。

 4階の教室からだとよく見える。前方に敵が2人。奥にも3人いる。その奥にもまだいる。

 「!?!?」

 久利くんは敵2人を抜いていた。

 上から見ていてもなにが起きたのかさっぱりわからなかった。なにせ今起こったのが一瞬だったのだ。

 と、思っている間に次の3人も華麗にかわしていた。抜かされた5人も今なにが起きたのか理解できていない様子だった。

 久利くんはゴール前に走りこんでいく。

 しかし、ここで久利くんは走るスピードを緩めたような気がした。

 そうしたためだろうか。横から突っ込んできた相手に久利くんは捕まってしまった。 

 久利くん1人で敵陣地に突っ込んできたため、味方チームは誰1人サポートをしてあげられていなかった。

 そのため、ゴールはもうすぐそこなのに、相手チームのボールになってしまった。

 久利くんが「ごめーん!」と言って、味方チームに謝っている様子が見えた。

 美月の目には、彼が起こしたその一連の行為がわざとのように見えた。

 なんでだろう。

 そのとき、美月はふと思い出したようにノートを見る。

 そういえば、授業の初めから一文字も板書はしていなかった。

 

 美月は気づけば、屋上にいた。

 なにもしたくない。まるで腐った高木のように、立ち尽くしていた。

 曇りだしていた空は、次第に雨を落とし始めた。

 自分がこの世からいなくなったとしたら、何か変わることはあるのかな。

 美月は錆びきった鉄柵に手をかける。

 いつもならなんとも思わない、雨の雫がなんとも心地よく感じる。

 あそこにここから落ちたら、確実に死ねるよね。

 そう自分に言い聞かせるようにして、雨で濡れて重たくなっている体を動かす。

 重い体が軽くなる。そう思った時には、もう落ちていた。

 死ぬってこんな感じなんだ。

 落ちるまでの時間が、とても長く感じる。時間がとてもゆっくり進む感覚。

 誰かが走ってくるような音がする。

 久利くんの顔もサクラの顔も浮かぶ。

 しかし、そんなことはどうだってよかった。

  

      もう死ぬのだから。

 


 次の瞬間、自分はもう死んでいるはず

       だった。


 しかし、美月は誰かの腕の中にいた。

 目の前には、コンクリートにできた水たまりが広がっている。

 

 「死んじゃダメだよ。生きていてほしい」

 

 そんなあたたかい言葉をかけられたのは初めてだった。

 

 

 

 

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