第一章 君と僕の青い春

第1話 どうでもいい

 美月は今日も重たい足を動かして学校へ向かう。

 いつものオフィス街の舗道を自転車で走る。

 6月はじめだが、もう暑い。今日の東京の気温は30度近くまで上がると、朝ニュースでお天気キャスターが話していた。

 少しのダルさを覚えながら、どうして今こんなことをしているのかとふと思った。

 でもそれはなにも考えず生きている今が楽であるからそんなことが思えるのだろう。

 実際そんなことはどうだっていい。

 ペダルを踏んで道を進む。

 通勤ラッシュで駅から流れ混む人だかりを抜け、傾斜が急な坂を上ると、その先に美月の通う公立高校が顔をのぞかせる。偏差値50弱の普通の高校だ。

 スピードを上げて坂を下る。

 学校前の待ち時間の長い信号で止まっていると、顔馴染みの青年がこちらに向かってくる。

 久利くんだった。

 小学生の頃にサクラと一緒に遊んだことがある。小中高と12年間一緒にいるが、それ以外の接点は全くない。幼馴染というわけでもない。知り合いという方が正しいだろう。

 目が合い、少し遅れて、彼は、

 「おはよう」

 と気さくに挨拶をしてくれた。

 「おはよう」

 このように言葉を交わすのは、小学生ぶりかもしれない。

 彼はニコッと微笑んで、それ以外はなにも言わず、信号を待つ。

 今流行りのソフトマッシュの髪型、少し着崩した学ラン、ぱっちり二重で少し色味の薄い唇。

 久利くんは清潔感があって、爽やか。勉強がめちゃくちゃできる。サクラによると、すごくモテるらしい。

 信号が青になる。

 久利くんは一緒に来た友達と、気持ちよさそうに自転車を漕いでいってしまった。


 美月は教室に入る。

 クラスは相変わらず騒がしい。自分が一生関わることのないと思われる、教室で騒いでいる男子に軽蔑な視線を向けながら、静かに椅子に腰を下ろす。

 廊下側の一番前の席に昨日まで付き合っていた男の子が座っている。

 しかし、どうでもいい。

 自分でもびっくりするほど、無気力である。

 今すぐに、なにもなかったかのように消えてしまったら、楽なのに。

 そんなことを考えながら、今日も一日が始まった。


 いつものクリームパンは、いつもの味がする。

 美月は学校の屋上で1人、購買で買ったクリームパンを食べていた。

 4限終わりで食堂の賑わいがピークに達している。美月はそのような場所で食事をするなど、到底できない。だから、屋上に行く。

 グラウンドでは、4限の体育の授業の後片付けをしている教師が見える。

 いつもの場所といつものパン。別に特別なことではないが、これが毎日の習慣である。

 「美月」

 声のする方を振り向くとそこにはサクラがいた。

 髪が少し明るいギャル。カラコンの入った目とリップの塗った唇が少し眩しい。

 昔からの幼馴染だ。サクラが手をひき、美月がそれについていく。いつもそうだ。

 サクラが隣に座った。ディオールの香水だろうか。柑橘系のいい香りが私の鼻を触る。

 「昨日、ヤったの?」

 サクラはいつも挨拶、世間話を吹っ飛ばして、いきなり本題に入ってくる。もう慣れた。

 「ヤってはないよ。キスぐらいまで」

 美月はありのままを伝えた。

 「なにぐらいまでって。つまんない」

 サクラも購買で買ってきたのであろうパンの袋を開けて、そのまま頬張る。

 「いつされたの?」

 「帰り道の途中で突然」

 「うわ〜ん。青春じゃ〜ん。私も現れないかな。白馬の王子様」

 「・・・・・・」

 「で、どんな感じだった?」

 「んー特に何か感じることもなくて、、、」

 美月は本当のことを言った。

 「なんか男の子の方がかわいそうだよ。告白おっけいしてもらえて、嬉しくなって、少し調子のってキスしてみたら、反応なし、みたいな感じ」

 少しサクラの唇がこわばる。

 「なんか噂になりそうだよ。『誰でもヤってる奴』って」

 「別にヤろうと言われたら、断んないかな。」

 「なんでよ」

 「そんなことどうでもいいからね」

 なにか不満げな顔をこちらに向けながら、ツルサラな髪をもしゃくしゃにしながら

 「なによそれ!」

 そこから沈黙が30秒ほど続いた後、静かにサクラは言った。

 「美月にそんな恋愛は似合わないよ。本当の恋はやく見つけな」

 本当の恋、という言葉を耳にした瞬間、一瞬だけ記憶にない記憶が頭を掠めたような感覚があった。

 しかし、美月にとってはそれもまたどうでもよいことなのだ。

 ふと何かを思い出したような調子でサクラは言った。

 「宏介とかいいじゃん」

 「久利くん?」

 「すぐ呼ぶわ」

 サクラはスマホを手に取り、電話をかけ始めた。


 電話した後まもなく、彼はやってきた。

 颯爽とやってきた彼は、これはモテる人と言われて誰もが納得するような雰囲気だった。

 「なんだよ。いっつも急だな」

 「なんでもいいでしょ!別に!

 「まぁ、暇だったからいいけどさ」

 サクラとの会話の様子からこの2人は仲がいいんだなというのが伝わってきた。

 「みんなで揃うの懐かしすぎない?」

 「そうだな。小学6年の夏以来じゃない?」

 「マジか!」

 久利くんはサクラの隣に座った。部活をしているだけあって、体はすごく大きい。朝会った時はよく気がつかなかったが、あまり見ないうちに印象はすごく変わっていた。

 「宏介って今彼女いるの?」

 「え、いないけど」

 「そうなの?めっちゃ告られてるの知ってるんだけど」

 ものすごく謙遜している様子で、一言だけ。

 「そんな、めっちゃってほどじゃないよ」

 「じゃ、今までの全部断ってるってこと?」

 「うん」

 「なんでよ。好きな子いるの?」

 顔を少し赤らめながら、

 「いないよ。いてもいうわけないだろ」

 この感じは確実にいるのだろう。

 サクラが何か企んでいるような顔つきで、

 「美月もモテるんだよ」

 「付き合ってるんだ」

 「昨日別れたんだって」

 「それはなんて声かけるのがいいんだよ」

 サクラがすっと立ち上がる。

 「じゃ、あたしいくわ。急用思い出しちゃって」

 「なんだよそれ、、」

 わざとらしいっちゃありゃしない。そのままほんとに行ってしまった。

 2人が残され、少し風が強くなった。

 「アイツはほんとに変わんないな」

 まったく同じ感想だ。

 「大丈夫なの?元気か?」

 「うん。大丈夫」

 「ならよかった」

 グラウンドに生徒が数人見える。5限がもうすぐ始まる頃なのだろうか。少し騒がしく感じてきた。

 「なんで彼氏と別れたの?」

 この場合普通ならば、ちゃんとした理由があって、真剣に答えるべきなのだろうが、美月にそんな心はない。どうでもいいのだ。

 適当に答えた。

 「いきなりキスされたから」

 久利くんは言葉を慎重に選んでいる様子だった。

 「石川さんは嫌がったの?」

 「いや、嫌がってない」

 淡々と答える。

 「彼がしたいっていうから、黙ってさせた」

 正直いって、キスをしてもしなくても感情が揺らぐことはない。

 5限の予鈴が鳴った。もう、教室に戻らなくてはいけない。

 「久利くんもする?いつでもいいよ」

 彼は黙って下を向いた後、空を見上げた。

 「どうしたの?」

 「なんでもない。でも、僕はそんなことしないよ」

 彼が立ち上がった。

 「そろそろ行くわ、、、」

 「僕を覚えてる?」

 そう一言だけ呟くようにして、

 彼は走っていった。

 一度もこちらを振り返ることなく。


 「僕を覚えてる?」


 この言葉の意味を理解することはできなかった。

 


 

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