第20話 勇者の降臨

 子蜘蛛の数はまさに無数と言う他なかった。

 できるだけ街道に寄りつつ、いまだ大蜘蛛と戦っているレッジさん達が感知範囲から外れないように気をつけながら、何度も氷の魔術を放った。


「氷の棘よ、棺となれ。氷の棘よ、棺となれ。氷の棘よ、棺となれ──」


 ほとんどフラフラと歩くような足取りになりつつも、街道沿いを北に進む。


 悪天候のおかげか、街道には人気がない。

 そのせいか、蜘蛛が街道を目指して南進してくるようなことはないみたいだった。

 ランダムに近づいてくる蜘蛛だけを倒す。

 最初に感知したときと比べれば、随分反応が減ったとは思う。


 体力と、脳疲労的な限界が近い感覚があった。


 二語詠唱は、一つの魔術に二つの効果を持たせたものだ。

 魔力の消費は単純に棺を作るよりも少ないが、複雑化したイメージにより集中しなければいけないぶん、神経や気力を使う。


 感知魔術を頻繁に切り替えているのも悪い。

 魔物の拘束が外れたのか、位置を変え始めたレッジさん達の動向が分かるように、ノイズを読む条件と魔獣の得意な波長を読む条件との2つをひっきりなしに入れ替えている。

 これがやばい。マジで頭が混乱する。


 ふつうにキャパオーバーだ。

 なので氷の魔術を使う合間にしか、返ってきた反応を読み取る余裕がない。

 すでに街道沿い、自分の周辺、大蜘蛛の周辺の三つの反応にしか意識を割けなくなってきている。


 せめて攻撃対象をオートで設定できれば楽なんだけど、感知範囲全域の把握ができない現状だと、危なすぎて無理。

 毎回魔術を個別に発動させて地道に子蜘蛛の数を削っていくしかない。


 誰かが知らずにこの森に踏み込んできたら、蜘蛛に喰われて死ぬんだろうか。

 まあ、流石にそこまでは意識が届かない。

 知らん他人の命にまで、責任は持てないし持ちたくない。


 うーん、ジリ貧ってやつだわ。

 せめてレッジさん達の魔物との戦闘が終われば、意識を割くところを減らせるんだけどなぁ。


 レッジさん達の戦況がどうなってるのかも、非常に気になる。

 移動しているってことは、エラッジさんの鎖による拘束が解けたということだけど、その原因が分からない。

 エラッジさんの魔術が解けて鎖自体がなくなってしまったのか、それとも大蜘蛛が繋がれた脚を引きちぎったのか。

 移動速度的に後者の気がするけど、そうであってほしいという希望的観測が含まれているのは否めない。


 止まったり、方向転換を絶えず行う大蜘蛛の移動パターンからすると、戦闘自体は継続していると思う。


 まあ、しょうがないところもある。

 黒曜蜘蛛の表皮は本当に硬い。


 歪に成長した子蜘蛛でさえ、氷柱では穿けないときがある。

 大蜘蛛の装甲はその比じゃなくて、私が遠隔で魔術を使わないのもそれが主な理由だ。

 使ってもたいしたダメージを入れられないし、動きも止められない。だったらどうにかできる子蜘蛛に集中したほうがいい。


 僅かずつだけど、大蜘蛛の魔力の波長は小さくなっていっている。

 生命活動を脅かすようなダメージが入っているのは確かなので、あとはもう、早く終われとお祈りするしかない。


 ──街道のあたりに妙な魔力の波長の反応があったのは、それからすぐの事だった。


 東側から感知範囲に侵入してきたそれに、最初は範囲外から街道に出た蜘蛛かと思った。

 だけどそれにしては動きが奇妙で、攻撃の魔術を放つのを躊躇う。

 ソレの移動はあまりにも直進的で淀みなく、そのくせ子蜘蛛より随分遅かったのだ。


 解析してみれば、魔物から生まれた子蜘蛛ともまた異なる波長を発している。


 なんだろコレ、と思うのと、ほとんど同時にピンとくるものがあった。


 もしかして神田さん勇者かな?


 そうだとしたら、旅立ちが予定より随分早い。

 でも、本当に神田さんなら、勇者神教が付けた有力な仲間が同行してるはずだ。


 一か八か、この状況を打破するきっかけになってくれるかもしれない。


「──


 反応の進路上に、魔術を放つ。

 HELP!!の文字と、森への矢印を、氷で描いた。

 ゲェッ、複雑な形のせいでめちゃくちゃイメージに神経使う。気持ち悪いくらい頭痛い。直線的なアルファベットでこれか。やばい。


 だけど、もしほんとうに神田さんなら、一発で分かる。

 英語が分かる人間なんて、この世界には私と神田さんしかいないのだ。


 そして、その反応はほとんど間を置かず、森の中へと進路を変えて踏み込んできた。


 ワァ、ほんとに神田さんだ……。

 助かった。お祈りした甲斐があった。


 そりゃあ、この世界で地球人の祈りを聞いてくれるのは勇神元・地球の神しかいない。

 その神様が遣わしてくれるのが勇者神田さんなのは、当然の流れというか、神スゲーというか。



 神田さんは、一ヶ月見ないうちにすっかり勇者みたいになっていた。


「天原さん! 天原さんどこ!?」


 この世界では誰もまともに発音できない私の名字を呼ぶ声に、「ここ」と吐き気を堪える私の声の、なんて弱々しいことか。


 へばって泥水の中に座り込んでいる私を見つけた神田さんは、剣を振りかぶるとすぐ側まで来ていた子蜘蛛の首を迷わず切り落とした。


 剣を。

 ──まともに扱えるようになるまでに、要領のいい奴でも3ヶ月は掛かる、だったかな。


 キダさんとのいつかのやり取りを思い出して、ちょっと笑う。

 さすがは神田さん。たぶん努力、もの凄いしたんだろうなぁ。


「立てますか? 今、どういう状況ですか?」


 神田さんについてきた神官っぽい服の女性が駆け寄ってきて、私の身体を支えてくれた。

 魔術師かな、と直感する。見たところ武器もないし、動き回るような装いでもない。


「……お姉さん、魔術、って、引き継げ、ますか?」


 視界がグラグラする。気持ち悪い。喋るのもきつい。

 これが魔力切れってやつなんだろうか?


 正直に言えば、魔力の方はまだある気がする。

 だけど、何日も徹夜で仕事した後のようなグロッキーさがあって、間違いなく何らかの限界ではあった。


「魔術の、引き継ぎ……? そんなことが?」

「魔力、だけ、接続、して、貰えれ、ば……、渡せる、と」


 思います、と言おうとして、迫り上がってくるものにぐぇ、とえずく。泥がつくのも構わず、袖口で口を拭い、お姉さんに枝を持ったままだった手を突き出した。


「やってみますわ」


 お姉さんは戸惑いつつも、しっかりと頷いた。

 うん、勇者の同行者なら魔術の引き継ぎくらい、軽くやってもらわないとね。

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