第2話 初旅行出発

 別に旅行が好きというほどではない。

 生活や仕事に疲れると、好きなところを好きなだけフラフラしたいと思うだけだ。


 つまり現実逃避なのだが、図らずも現実から異世界へとやってきた今、やりたいことと言われるといつもの癖で思いつくのはそのくらいだった。


「じゃあ、行ってきます」

「はい。街道を逸れないように気をつけてくださいね。王都に着いたらお使いを忘れずにお願い致します」


 最初の日からずっと様々なことの説明を担当してくれた人は、軽く手の平を私に翳したかと思うと、あっさりと城に引き返していく。

 結局名前も教えてもらっていない。顔もずっとあの帽子から垂れる布に隠されていた。

 便宜上、説明担当官さんと呼んでいたが、戻ってきたときに彼が私を出迎えてくれるかも怪しい。


 旅立ちまでは二週間かかった。

 死んでも生き返れるけど、死ぬまでが苦しいですよ、と忠告を受けたからだ。

 気軽に死ねると考えるのは、元の世界に戻った時のことを考えてもあまりいい事ではない。

 言われるままではあったが、準備をしっかり整えてからの旅立ちになった。


 旅というものに慣れた方がいいですよ、と言われ、まずは王都に行くことにした。

 ここから街道沿いに馬車で四日、歩いて七日ほどの距離にあるという都だ。


 召喚されてから滞在していた『城』は、元・地球の神を信仰する宗教団体、通称『勇者神教』が自治する都市にあるもので、王都ではないらしい。


 どうも現代日本人からするとこの世界の政治というか、国のあり方が理解しにくいので、あまり気にしない方がいいと言われている。

 勇者神教が発行してくれた旅券はどの都市でも通じるというし、これまで関わった何人かの勇者神教の人も、都市に属する意識はあっても国に属する意識は無いらしい。


「神の導きと共に勇の心在れ。ハイリさんですね、王都まで行かれると聞き及んでおります」


 都市とその外を分ける城門で声を掛けられた。

 城門を守る兵士さんだろう。鎧を着て、手に身の丈ほどの槍を持っている。


「佩理です。旅券の確認おねがいします」

「これはご丁寧に。拝見いたします」


 兵士さんは物腰柔らかく対応してくれて、差し出した旅券をサッと確認すると「魔力確認失礼致します」と透明な石でできた環を私の手に翳した。

 石の環が白くほんわりと光る。


「おぉ……本当に天上の色だ……」


 兵士さんが感極まったように呟いた。


 この世界は万物に魔力が宿る。人間にも、魔術を使う才能が無くても魔力は存在していて、その波長は指紋のように一人一人違うという。

 白い魔力は特殊な分類である。基本的に勇者しか持ちえない色だからだ。


 まあ、当然のように、同じ召喚魔方陣でこの世界にやってきたオマケも白色になるのだが。


 ちなみに、元・地球の神のシンボルカラーも白らしく、この都市ではたいへん神聖な色として扱われている。天上の色とはそういう意味らしい。


「お疲れさまでした。良い旅路を」

「ありがとうございます」


 お礼を言って、開けてもらった扉の向こうに出た。

 途端、私はぽかんと立ち尽くしそうになった。


「ぉ……、……すげ」


 映画のロケ地と言われてもおかしくないような、冗談みたいに広大な自然がずっと向こうまで広がっているのだ。

 平原と、ぽつぽつと立つ巨大な針葉樹と、遠近感が狂いそうな地面の起伏。地面と空の境界線みたいに聳える白い山脈の稜線。


 一歩手前の城壁の中とのスケール感のギャップがあまりにもすごい。

 思わず後ろを振り返った。

 人の手で作られた都市はちゃんとそこに実在していて、少しホッとする。


 よし。……行くか。



 この世界に呼ばれてすぐ、神田さんが若返って見えたのは気のせいではなかったらしく、魔方陣から与えられた肉体は大体17歳くらいのものになるらしい。

 人によって違うが、フィジカルのポテンシャルが一番高い時期に合わせるとだいたいそうなるようだ。


 例にもれず、オマケの私もそうなっている。思った以上に快適で、街道を進む私の足取りは軽い。

 街道と言っても、道路が敷設してあるわけではなく、土を踏み固めてあるだけのものだ。

 平坦な道とは比べ物にならないくらい疲れるという話なので、後ろから来た馬車には道を譲りながら、無理のないペースで進む。


 なんか……、山の上にあった曾祖父の家のまわりの歩道みたいだ。

 曾祖父はとっくに亡くなっているので、懐かしい記憶である。


 道に隣接する木立ちを覗きながらそんなことを思っていると、ふいに茂みが揺れた。


 あ、魔物だ。


 私が身構えるのとほぼ同時、木立ちの茂みからは血走った目をした野ウサギが飛び出してくる。


 人生初のリアルな魔物は思った以上に異様な見た目をしていた。


 まず、なぜか尖った石のようなものが皮膚を突き破って身体のあちこちから生えている。

 そこから毛皮が血みどろになっているのだが、当の野ウサギは一向に気にする気配もない。


 そいつは口元から赤く泡立つ涎のようなものをまき散らして、およそウサギとは思えない「ギシャーッ!!」みたいな叫び声を上げながら、殺気立ってこちらに突進してきた。



 ギチリ、と空気が軋むような僅かな音。

 同時に、私と野ウサギの間に氷の壁が地面から生える。


 思い切り壁に身体を叩きつける形になった野ウサギはこれまた「ギャァッ」とウサギらしさのない悲鳴を上げたかと思うと、限界がきたのか、地面に転がったまま動かなくなった。


 氷の壁越しに、野ウサギの身体は一気に色がくすんだようになり、そのままと崩壊する。


「本当にこうなるんだ……」


 物理法則を完全に無視した尋常ならざる現象に、思わずしみじみと呟いてしまった。


 この世界における魔物とは、万物が持つ魔力が狂った結果、変質したもののことを言う。

 狂った魔力を繋ぎとめているスーリを失くした魔物の死体は、魔力の喪失に耐えられない場合、砂の塊が崩れるように崩壊してしまうらしい。


 氷の壁を消して、その辺に落ちていた木の枝で野ウサギだった黒い灰をかき分けると、中に小さく光る粒のようなものを見つけた。

 魔結晶、というらしい。

 路銀になるらしいので、魔物を倒したら拾うようにと言われている。


 私の初戦闘はこうして急に始まり、あっけなく終わった。

 人通りの多い街道に出る魔物なんてそんなもん、らしい。



 私が旅立ちを決めると、ならこの世界についての知識は詰め込みが必要ですねと説明担当官は呟いた。


「そういえば、勇者が倒さなければならない魔王ってなんなんですか?」

「非常に今更な質問ですね……」


 身を守る術として魔術を教わる時間の合間に疑問に思ったことを聞く。

 この世界に来てから三日ほど経っていたからか、担当説明官の顔を隠す布の向うからひどく呆れたような溜め息が聞こえてきた。


「順を追って説明しますと、まず、この世界には魔法があり、魔法を使うための力、魔力が存在します」


 地球人への異世界説明マニュアルがあるらしい。

 説明担当官はゆったりとした袖から冊子を取り出すと、「えーとどのへんでしたかね……」などと呟きながらページをめくる。


「……魔王は魔界と呼ばれる異相世界とこの世界を繋げて現れるのですが、魔界の魔力はこの世界の魔力を狂わせる作用がありまして」


 一応図解です、と開いた冊子を差し出された。


 2つの円が描き込まれていて、片方は青と緑で塗られている。多分、地球だ。

 もう片方は円を縦半分に塗り分けている。半分は地球に似た青と緑で塗られているが、もう半分は黒と紫で塗られている。多分、こっちがこの世界のつもりなのだろう。

 地球とこの世界の関係性とは別に、魔界と呼ばれる異世界がこの世界には存在するようだ。


「我々の世界と魔界は表裏一体のような関係性で、両者で争うと決着がつきません。我々も魔力を持つ存在なので、魔王に近づくと魔力が狂う」


 魔法の暴発から始まり、本人の人格や肉体が変質してしまったりするそうだ。

 当然、動物や植物にも同じことが起こる。

 そのように狂って暴走した魔力によりなんらかの変質を迎えた存在を『魔物』と呼ぶらしい。


 なるほど、それは脅威だ。

 魔王が存在するだけで動物や人間、植物の魔力が狂っていき、変質してしまえば二度ともとには戻らない。


 理性を失くす割合は9割以上。

 魔力が狂いだすきっかけは不明。

 この世界の技術では、魔界の魔力とこの世界の魔力を分けて観測することができないから、らしい。


 そして、魔界の魔力は魔界と繋がる魔王からこの世界に持ち込まれるため、魔王に近づくほど狂いやすくなる。

 だが近付かなければ大丈夫というわけではなくて、遠く離れた場所にいてもスーリが弱いものは魔力を狂わされることがあり、魔王が長くこちらの世界に留まるほどその発症率が上がるのだそうだ。


 普通に考えてめちゃくちゃ怖い状況である。神田さんが詰め寄られるわけだ。 


「勇者の加護は、この魔力を狂わせる力を限られた範囲で無効化します。勇者本人は完全に、契約を行った仲間も契約のパスを通してある程度」

「魔王退治、ほぼ勇者が必須ですね」

「そうなります。魔王が出現すれば毎回召喚の儀を行っているという記録も残っています」


 へえ、と相槌を打ったが、前置きが長すぎてなんだか魔王そのものがなんなのか興味が薄れてきてしまった。


「魔王がなんなのかはまた今度聞くんで、魔術の訓練再開しませんか」

「あなた、本当に勇者と魔王に興味ないですね」

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