第6話 故障

 直史のコンビネーションは、ここに至ってようやく、境地に達したような感じもする。

 ゾーン内で勝負して、ゴロを打たせるボールを投げる。

 ファールであれ見逃しであれ、追い込んだら三振を奪う。

 ストレートかスルーのどちらかを使うことで、フィニッシュに何を使うか決める場合。

 もしくは他の球種で追い込んだ後、その二種類で空振りを取る場合。

 狙って空振りを取るというのは、やはり難しい。

 だがタイミングを外す配球は、いくらでも作り出せる。


 スピードはおよそMAXで96マイル。

 だが100マイルオーバーのボールを空振りするように、バッターは空振りしていく。

 ブレーキのかかったカーブなどと、手元で動くファストボール。

 一番減速の少ないのは、ライフル回転をするスルーである。

 そしてバックスピンをかけたストレートは、一番落ちないボール。

 球速以外の要素によって、直史は空振りを取っていく。


 当初は多くのピッチャーが試されて、そのため直史はあまり試合で投げることはなかった。

 だがオープン戦が進んでいくと、どんどんとロッカールームに空きが目立ってくる。

 去年もこれは体験している。

 NPBでも一軍と二軍はキャンプ地が違うものだが、人がどんどん減っていくのは、やはりMLBらしさというものなのだろう。


 アナハイムは今年、インターリーグで同じ西地区のナ・リーグのチームと対戦する。

 少ない試合数であるが、これが案外バカにならない。

 サンフランシスコにサンディエゴという、強豪チームと当たるからだ。

 ただ直史としては、サンディエゴはそこそこ近いな、と思うだけである。

 それよりはまず、地区優勝を目指していかないといけない。


 仕方のないことだが、今年も一年162試合を消化し、ポストシーズン進出を狙わなければいけない。

 当たり前と言えば当たり前のことだが、これを毎年行うルーティン。 

 トレードやFAでの移籍が多いのは、そういった日々に新鮮さを求めるのかな、と見当違いのことを思ったりする直史である。

 普通に考えれば一試合ごとに、ピッチャーなら対戦するチームは変わる。

 そのたびにデータを入れ替える必要があるのだから、本当なら大変なはずなのだ。

 だが直史は、どんなデータにも対応可能のピッチングスタイル。

 バッターから見れば毎回、変わった球種と組み立てで勝負してくる。

 そのうち慣れられてしまうこともあるかな、と考えたが杞憂であった。

 基本となる変化球がしっかりしていれば、直史はストレートもかなり特殊なのだ。

 ホップ成分の強いストレートで、フライを打たせればそれでいい。

 今は空振りを取ってしまっているので、それはそれでいいが。


 先発は今年も、三枚が勝利を狙える力量。

 去年は結局20勝4敗であったレナードに、FAで入ってきたボーエン。

 他にはガーネットにリッチモンドが、先発ローテとして期待されている。

 だが数字的には防御率は4点台で、打線の援護がないと勝つのは難しい。


 若手の中から数名、先発で投げられるピッチャーが出てこないと厳しいだろう。

 もしもメジャーに上がってきても、最初は数試合で分析されて攻略され、またマイナーに落ちることが多い。

 そこで諦めなかった者が、本当のメジャーリーガーになれる。

 ただし五年メジャーで出来る選手は、意外なほど少ない。

 自分で限界を悟る者もいれば、普通に契約がもうされない選手もいる。

 だが一度メジャーの舞台に立てば、もう二度とそこから落ちたくはないと思うし、もう一度あの舞台に立ちたいと思ってしまうのだ。


 引退後に破産する選手が多いのは、別にその人間の本質が、浪費家であったり、愚鈍であるからとは限らない。

 メジャーという舞台から離れて、その華やかさをまた求めるために、金を浪費してしまう。

 それだけあの舞台には、魅力があるということだ。

 甲子園を経験してきた日本人選手は、あまり感じないかもしれないが。

 アマチュアの高校球児の、まだ未熟な力の応酬。

 だがそこでもたらされるものは、とても巨大なものである。

 他にサッカーや柔道などで、全国大会に行ったとする。

 それに対して将来、酒の席などで甲子園に行ったことがあると言えばどうか。

 誰もが甲子園は知っているのだ。

 サッカーの国立競技場や、ラグビーの花園もそこそこは著名であるが、甲子園には負ける。

 実際に直史も、甲子園の試合に比べると、MLBの試合でもそれほどの盛り上がりは感じない。

 ワールドシリーズでかろうじてと思うのと、あとは高校時代のワールドカップか。

 あれは色々な意味で盛り上がったものだ。

 それと大学野球の早慶戦は、ある程度の盛り上がりがあった。

 ただそれでも、甲子園ほどの緊張感や熱量はなかった。


 甲子園というのはなんなのだろう。

 もう20世紀の昔から、その存在については議論されていた。

 ピッチャーの球数制限や、試合日程の緩和。

 直史はかなりの合理主義であるため、単なる伝統で済ませたいとは思わない。

 だが保守的な思考が、甲子園を肯定しているのか。

 日本の野球は高校と大学では、相当に改善の余地はあると思うのだが。




 今年のアナハイムはおそらく、ピッチャーの数が足りていない。

 リリーフ陣は入れ替えがあったものの、新しく主戦力と言えそうなのはいなかったのだ。

 それでも直史が注目していた、フィデルは残っていた。

 メジャーの舞台で早めに経験を積ませ、今季の終盤ぐらいには戦力化したいのだろう。

 ただ開幕前には、一度マイナーに落として、選手登録の日数を調整するはずだ。

 あとはスタートダッシュをどうつけていくか。


 直史が一人で30勝前後を上げると仮定しても、かなり厳しいことになるだろう。

 だがポストシーズンにさえ出てしまえば、ピッチャーはどれだけの少数精鋭を揃えているかで、勝ち進めるかが決まる。

 今年が大介と約束した、プロ入り後の五年目。

 たとえ壊れてしまっても、ワールドシリーズの最終戦までもてばいい。

 どれだけ自分を削ることが出来るか。

 そんな過酷な決戦になりそうな気がする。


 キャンプ中でもパートナーと一緒ということが多いメジャーリーガーでは、瑞希も一緒にホテルに泊まっている。

 直史はアナハイムの情報収集までにとどめているが、瑞希はネットのMLBチャンネルにもつないで、他のチームの状況を調べているのだ。

 同地区ではやはり、ヒューストンが戦力を整えている。

 だが年間19試合もレギュラーシーズンで当たる相手なら、その手の内も全て見透かせることだろう。

 相手側からもそれは同じことのはずだが、直史はもう二年投げて、レギュラーシーズンの敗北は0と、誰も信じられないような記録を残している。

 狙い球を絞って、一発に賭ける。

 直史としてはそれが一番嫌なのだが、球種や緩急、コースによって相手の読みを外すことは出来る。


 瑞希によると今年のア・リーグは、ミネソタがアナハイムの対抗馬となっている。

 去年も充分にポストシーズンを勝ち抜いてきたものだが、今年はさらなる戦力確保を成功している。

 補強自体は去年に増して行っているし、若手の伸びもある。

 打線に若手が多いので、こういうチームはピッチャーの大きな故障さえなければ、しばらく強い時期が続くのだ。

 もっとも案外あっさりその時期が終わるのも、MLBではよくあることだ。


 強いチームがちゃんと勝っていくスポーツと、ジャイアントキリングが起こりやすいスポーツ。

 どちらの方が面白いと、ファンにとっては思えるだろうか。

 偶然性が高すぎると面白くないし、かといって一発逆転がないとそれも面白くない。

 ただ去年のメトロズとアナハイムの勝率などを見ると、野球というスポーツの偶然性が、低くなってしまうような気もする。


 圧倒的なパワーによる蹂躙。

 だが野球で点がつきすぎると、ゲームとしては面白くなくなる。

 あとは個人の記録が、どのようにして出て行くかというところだ。

 もっともピッチャーであれば、大概はリリーフに交代する。

 去年の直史の、完投32回はおそらく二度と破れない。

 それに対するとバッターは、守備が壊滅的でないなら最後まで打っていく。

 大介の記録などは、果たしてどこまで伸びていくのだろう。


 通算2000本安打を達成したが、大介の恐ろしいところはそこではないだろう。

 一番頭がおかしいと思えるのが、12年連続ホームラン王と、12年連続50本塁打。

 七年連続60本塁打や、四年連続70本塁打というのもあるが。

 他には12年連続出塁率五割とか、四年連続打率四割とかいうのもある。

 直史の防御率記録もおかしなものであるが、上杉などはそれなりに近いものがある。


 MLBで唯一大介に匹敵するかと思われたブリアンも、結局は打率は四割を切ってしまった。

 それでも大介を除けば、21世紀以降では最高の打率であったのだが。

 直史がいなければ、ア・リーグのシーズンMVPであっただろう。

 だがMVPを目指すのは、来年以降に頑張ってほしい。


 ヒューストン、ボストン、ラッキーズあたりがア・リーグの他の強豪だろう。

 今年はナ・リーグとのインターリーグでは、西地区と対戦する。

 トローリーズ、サンフランシスコ、サンディエゴと強豪がそろっているが、今年は勝ち星の新記録までは狙わなくてもいい。

 重要なのはワールドシリーズに進出するため、ポストシーズン進出を確実に狙うこと。

 確定で勝てる試合をどれだけ作れるかが、それを決定付けるだろう。




 直史のピッチングスタイルが、完成の域に達している。

 それは素人目には、とても地味なものであった。

 打たせたボールはほとんどがゴロで、フライになるのはファールゾーンに飛んだものばかり。

 時折ゴロは、内野の間を抜けていく。

 だがツーストライクまで追い込めば、三振かフライを打たせることが多い。


 確率の問題だ。

 グラウンドボールピッチャーとフライボールピッチャー、その二つを使い分けることが出来る。

 おそらくこれが、直史にとっての奥義なのだ。

 そしてさらに、パワーピッチャーではないが三振も狙える。

 ランナーすら出したくない時には、三振を狙うことも重要である。

 単なるスピードではなく、変化球でしっかりと三振を奪う。

 ただ基本的には、二球目までをゴロで打たせて、球数を少なくしてしまう。


 オープン戦も最初の頃は、ピッチャーの調子を見るために、短いイニングを投げる。

 だからあまり気付かないだろうが、これがシーズンでも続いていけば、最少球数完投にどこまで迫れるのか。

 直史自身の記録は、72球での完投である。

 この試合はパーフェクトも同時に達成していて、MLBの最少球数パーフェクトとなっている。

 だが最少球数完投数というのは、58球という異次元の数字がある。

 一人をアウトにするのに二球を使っていたら、54球となる。

 それを考えると58球というのは、ちょっとありえない数である。


 なにせこの記録は、第二次世界大戦中なのだ。

 ひょっとしたら球数を数えていなかった時代に、もっと少ないものがあるかもしれないが。

 ただ直史と樋口としては、今ならばむしろこの記録は、破りやすくなっているだろうなと思っている。

 なぜならば、今は申告敬遠があるからだ。

 申告敬遠で鈍足のランナーを一塁に行かせて、牽制か併殺打でアウトを取る。

 これなら一つのアウトに、一球も必要としていないことになる。

 なんなら隙を見せ、樋口の送球でランナーアウトという手段もあるだろう。

 これもまた球数を増やさずにアウトを取ることにつながる。


 直史の牽制と盗塁のしにくさ、そしてランナーの出ないことから、最近は牽制で刺すことは難しくなっている。

 だがダブルプレイであれば、普通にありうることだ。

 さすがにトリプルプレイまでは、計算して出来ることではない。

 あれは本当に運だけがものをいうことなのだ。

 ……本当だよ?


 アナハイムの野手陣は、あまり去年と変化していない。

 特に直史にとって重要な二遊間は、去年と同じく鉄壁だ。

 この二人がいなければ、直史の防御率はもうちょっとだけ上がっていただろう。

 あるいは球数が増えて、消耗が激しくなっただろうか。

 二遊間の守りは、本当に重要だ。

 ショートは守備の華とも言われるが、パターンの判断はセカンドの方が多い。

 ランナーが出た時の判断は、セカンドの方が多くしなければいけないのだ。


 アナハイムはこの二遊間に、ファーストがシュタイナーでサードがターナーと、主力を集めてある。

 そこそこエラーが多いように見えるターナーであるが、実際のところ守備の指標は標準より高い。

 これであの打撃なのだから、文句を言ってはおかしくなるだろう。

 外野守備はアレクが入ったため、特にレフトなどはバッティングに能力の振った選手を入れやすくなっている。

 ただシュタイナーもターナーも、あまり外や守備は上手くないので、この二人をそちらに回すわけにはいかない。

 特にこの二人であると、もし守備で無理をして怪我をすれば、攻撃力に大きな影響がある。

 なのでアナハイムでスタメンを狙うなら、外野の方がいい。

 あるいはシュタイナーなどを、DHで使うという選択もあるだろうか。


 そんなある日のことであった。

 ショートの選手が試合中の守備で、無理な体勢から投げたのは。

 右膝十字靭帯損傷。

 守備力特化の選手が、目の色を変えてそのポジションを狙い始めた。




 ショートの強打者、好打者というのは少ない。

 いや大介はどうなんだ、と言われるかもしれないが、本当にショートにはさほど打力は求められないのだ。

 内野の中で最も、守備力が要求されるポジション。

 瞬発力も必要になるし、深いところから投げるなら強肩である必要もある。

 強肩のショートが後にピッチャーになる、ということもあったりするのだ。

 野球においては毎日は投げられないピッチャーと比較して、ショートの方が花形である、という風潮さえアメリカにはある。

 それだけ守備力が要求されるのだ。


 治癒とリハビリを合わせて、復帰まではおそらく三ヶ月。

 オープン戦の期間であったことが、幸いだったと言うべきだろうか。

 戻ってくるのが六月だとして、それまでのおそらく10試合は、直史は投げているだろう。

 試合もおそらく、60試合近く消化しているはずだ。


 ショートは足腰に負担がかかるため、一度故障したらコンバートする選手もいないではない。

 また怪我を恐れて、あと一歩が届かなくなったらどうするのか。

 基本的にMLBは守備型の選手を選ぶ時、ショートが出来るかどうかで選ぶことが多い。

 ショートが出来たらだいたい、他の内野は普通にこなすことが出来るのだ。


 よくもまあ、そんなポジションをずっと、プロで10年以上も守っているものだなと、直史は大介を尊敬する。

 だがあんな化け物が他にいるはずもないので、とにかく今は穴を埋めることが重要になる。

 九番はそこそこ出塁率が高い選手の方がいいか。

 打撃は壊滅していても、守備だけはしっかりしている選手、というのをアナハイムの首脳陣は選んでいく。

 ただこの数年、アナハイムの二遊間は固定されていた。

 守備特化を二人置いて、得点力は他に任せていたのだ。

 つまり純粋な一人の守備力はともかく、連携において大きな差が出てくる。

 直史も怪我をするほどではないが、守備のカバーに入ったとき、少し危ないなと感じる場面があった。

 単純な守備力が必要なのではない。

 連携し、判断する力。

 判断に関しては、キャッチャーからのコーチングなどをすれば、ある程度のフィルダーズチョイスなどは防げるだろう。


 それにしても、ここでショートが離脱か。

「30歳か。足腰の負担がきつくなってくるぐらいだろうな」

 樋口はそんなことを言ったが、おおよそ大介と同じ年齢だ。

「アレックス・ロドリゲスはサードにコンバートされたから選手寿命が伸びたのかな?」

 直史としては珍しく、ちゃんと昔の知識を入れている。

「デレク・ジーターは守備が上手いんじゃなくて守備を上手く見せるのが上手いとか、確かセイバーで明らかになってたんだったか」

 樋口はこういう皮肉な情報は、嬉々として語ったりするものだ。

 だが大介に関しては、樋口は違う見方をしている。

「あいつは、本質的にはアベレージヒッターなんだろうな」

 バットコントロールとボールの見極め、そしてスイングスピードがとんでもない。

 場外ホームランを何発も打っているのに、それでも本質はアベレージヒッター。

 スラッガーは全員涙目であろう。


 ショートは体をひねる動きが、最も多いポジションと言っていいだろう。

 ただしピッチャーは除く。

 そんな動きをずっとしていては、足腰への負担は大きなものとなる。

 だが大介は体重が軽いので、その負荷は相対的に軽い。

 それでも人間の肉体は、徐々に柔軟性を失っていく。

 そうなるとさすがに、故障しやすくなってくるのだ。


 大介は肩もいいので、外野を守っても一流になるだろう。

 もっともインパクトの瞬間に打球を見極める、超一流にまで達するかどうか。

 それよりはサードなりセカンドなり、そちらにコンバートされるだろうか。

 こんなことを考えていても、アナハイムのショートが戻ってくるわけではないのだが。

「本当ならマイナーに落とすはずの選手を、ショートとして置いておくかもしれないな」

 樋口の言う選手には、直史も心当たりがある。

 打撃が全然ダメなので、マイナー送りは時間の問題だと思っていたのだが。


 守備は上手い。

 とにかく身体能力は高いので、強いボールにも追いつく。

 肩も強く、走るのも早いので、どうにか出塁率さえ上げれば、スタメンに入ってもおかしくない。

 年齢はまだ19歳で、完全なルーキー二年目であるそうだが。

「高卒か」

 直史の見ている限りでは、どうも当て勘というものがあまりないように思えるのだ。

 高校ではピッチャーもやっていて、そちらでも評価は高かったらしいが。

 今はとにかく、ショートの穴を埋めなければいけない。

 そう考えるなら、そんな打撃が壊滅した選手でも、出番はあるというものだろう。

 ただここで契約すると、またFA期間の壁というものが出てくる。 

 今のままの成績であると、守備のユーティリティ性だけが、評価の対象になるだろうが。

 しかしここから、事態はちょっと変わってくる。

 フリーバッティングの時に、直史に投げてもらって、選球眼がどうなっているのか、しっかり確認してもらおうということになったのだ。




 直史のコントロールが機械より正確だというのは、周知の事実である。

 アウトローの出し入れに対して、彼は全く対応が出来ていない。

 だが内角に関しては、しっかりとゾーンを見極めている。

 ならば変化球はどうなのか。


 変化球もまた、内角ならばしっかりとゾーンを見極めていた。

 しかし外のボールは、見極めが出来ていない。

 オープン戦に出ることもなく、何をやっているのかな、とちょっと遠い目になる直史であったが、キャッチャー樋口もこれにつき合わされているのだ。

 アナハイムの正捕手は樋口で間違いない。

 だが万一離脱した時、ショートよりもさらに替えのいないのが正捕手だ。

 なのでこのオープン戦、樋口はDHに入っていたりもした。

 なお樋口の場合、ショートもこなせないことはない。

 さすがにキャッチャーからショートへ、などとは首脳陣も判断しなかったが。


 変化球を打たせてみようとすると、盛大に空振りばかりをした。

 今のMLBでは明らかに時代に反したことであるが、バットを余らせてミートを心がけるよう、そう指導されたりもした。

 ストレートはそれなりに打てるのだが、変化球への対応力がない。

 そろそろ球数も増えてきたし、一人に付き合うのは疲れる直史である。

 なにせ試合であれば、15球も投げればほとんど、味方の攻撃という休憩時間があるのだから。


 だが、そこで樋口が気付いた。

 首脳陣に確認して、それから首脳陣は彼を連れて行く。

 残されたバッテリーは、考え込むキャッチャーに対して、ピッチャーが疑問を投げかける。

「何があったんだ?」

「いや、視力検査を受けさせようという話なんだ」

「視力? メディカルチェックで検査してるだろ」

「いや単なる視力ではなくてだな」

 樋口は鬼畜眼鏡である。つまりメガネをかけている。

 彼がメガネをかけるようになったのは、中学生の頃だ。

「原因はさっぱり分からないんだが、片方の目だけが一気に視力が落ちてな。それでバッティングがまともに出来なくなったんだ」

 視力のいい直史としては、全く分からない世界である。

 スポーツにおいて視力というのは、別にパフォーマンスに影響しない。

 重要なのは動体視力なのだ。

「乱視だと、遠近感が上手くつかめなくなるんでな」

 樋口としては、別に日常生活を送るだけなら、メガネは必要ないらしい。

 だがスポーツにおいては絶対に必要で、その視界に慣れるために、ずっとメガネをつけているのだ。

「初めて聞いたな」

「そういえばそうか」

 長い付き合いになるが、中学生の頃を知らなければ、確かにこれは分からないだろう。

 身近に老眼でメガネを使ってはいても、視力の悪いのはせいぜい瑞希だけなので、あまり気付かなかった。

 そもそも乱視というのは、遠近感を保つためには致命的なものであるらしいし。


 もしもこれで、遠近感が改善され、選球眼がよくなったら。

 バッティングのへなちょこさ加減はともかく、出塁率は上がるだろう。

 一気にバッティングまで改善してくれたら、それは確かにありがたい。

 ただそれならどうして守備の打球は、しっかりと捕球できるのか。

「説明は難しいが、俺もバッティングがダメだった時期も、キャッチングは普通に出来たからな」

 ボールに対して、正面から捕球するか、あるいは横向きで打っていくのか、そのあたりの違いがあるのか。

 結局視力のいい直史には、想像のつかないことである。


 なお、この樋口の指摘は正しかった。

 乱視用メガネをかけた若者は、選球眼が極端に上がった。

 もっともスイングまでさせると、またこれは結果が改善するでもなく、ファールを打つことが多くなったのだが。

 ただ九番を打たせるなら、元々足は速いだけに、出塁率さえあればそれなりの役に立つ。

 今必要なのは、ショートとしての守備力。

 そして最低限、塁に出ることである。


 ランナーになれば、あとは走力と判断力がものを言う。

 それはベースのコーチに従って、今はまだ自分で判断しなくてもいい。

 ただやはり開幕からロースター入りは難しい。

 とりあえず40人枠には入れていて、マイナーでスタート。

 そこでどういった成績を残せるかで、メジャー昇格があるかどうかは決まるだろう。


 守備だけであれば、さすがに終盤の守備固め以外は、使いようのない選手であった。

 しかし選球眼があれば、ミート力の代わりになる。

 かつては5ツールプレイヤーが理想とされたものだが、現在ではこれに選球眼を加えて6ツールプレイヤーと評価することもある。

 その基準であれば、長打力とミートを捨てて、とにかく粘っていけるだけのバットコントロールがあればいい。

 今のMLBにおいては、下手なミート力よりは、ピッチャーに球数を投げさせることの方が重要であったりする。

 もちろん見ている方からすると、ひどく退屈なものになるのだが。


 やたらと粘って出塁するショートが、メガネの作成と共に誕生するのは、数日後の話。

「そういや他のスポーツみたいに、ゴーグルにはしないのか?」

「これも普通に耐久性は高いしな。それにゴーグルだと普段使いが出来ないだろ」

 接触プレイの多いスポーツなら、ゴーグルでないとダメなのだが。

 メガネキャラは、属性を保持するがゆえに、メガネを手放してはいけない。

 メガネが本体なのか、それとも肉体が本体なのか。

 もちろん肉体が本体であるのだが、風呂に入るときと、二種類の意味で寝る時以外、樋口はメガネを外さない。

 メガネ属性キャラは、メガネを外してはいけないのである。

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