第22話 広がり始める名

 ザーマイン帝国、カーマ王国に敗れる。その知らせは、大陸中に駆け巡った。


 ザーマイン帝国は当初、その情報を包み隠そうとしたが、皇太子ルシウスの死は大きく、自国内だけでなく国外にまで容易く拡散されていった。


 各国の密偵が、ザーマイン帝国を揺さぶるために、情報を広めたのも大きかった。


 ここベルクス連邦においては、いち早くその情報を入手し、今まさにその内容を精査している所だった。



「オルベルク様、ザーマイン帝国がカーマ王国に敗れたのが事実確認出来ました」



 年代物の絨毯に膝を付けた男は、目の前にいる自身の主に対して、淡々と事実を述べた。


 報告を聞いたオルベルクは、机に積まれた羊皮紙から視線を逸らして、従者に向ける。



「............事実......か」



 オルベルクはそれだけ呟くと、従者から視線を外し目を閉じる。暫くの間、オルベルクの深い呼吸音が、部屋の空間で微かに響く。



「ルシウスはどうなった?」


「死んだのは間違いないようです。それもカーマ王国の国王自身が打ち取ったとか」



 オルベルクの問いに、間髪入れずに従者が答えた。ルシウスの死、それはベルクス連邦においては良い知らせだった。


 ルシウスが指揮する軍によって、ベルクス連邦は何度か苦汁を飲まされたからだ。それもルシウスは、騙し討ちや暗殺など、卑怯な手も躊躇なく使う男だ。


 通常ならオルベルクは喜びの感情を露わにするだろう。しかし、別の出来事がその喜びを覆うほどの衝撃を、オルベルクに与えていた。


 ザーマイン帝国がドラゴニア山脈を通して、カーマ王国に侵攻しようとした事もそうだが、それをカーマ王国が完璧に打ち破った事だ。



「カーマ王国の国王......アルス王がドラゴンを操ったのも本当の事か?」


「断言は出来ませんが、そう証言する者は多く、ほぼ間違いないかと」



 その報告にオルベルクは平静を装っていたが、内心は驚きの感情が沸き起こっていた。



「ドラゴンを操るか......東にいるアカツキ一族が確か魔物を操れる技を使うと聞いた事がある。しかし、ドラゴンをも操れるとは聞いた事がない」



 オルベルクはアルス王に焦点を当てて考える事にした。まずはその能力だ。


 仮にオルベルク自身がカーマ王国の王だと想像する。その場合、ドラゴニア山脈からザーマイン帝国が侵攻してくる事を、察知する事は難しいだろう。


 そして察知したからといって、少数の兵士を用いて、質が高いザーマインの一万の軍を破り、ルシウスを打ち取る事は、奇跡に等しい。例えドラゴンの力があったとはいえだ。


 ザーマインには、武帝ガイアを始めとした名の知れた英雄が多い。敵として何度も相対したオルベルクからすれば、その手強さは身に染みている。


 ドラゴンが余程強力だったのか。いずれにしろ、歴史に語り継がれる戦いである事は間違いないだろう。



「アルス王か......」



 ドラゴンを操り、ルシウスを手玉にとる程の頭脳。オルベルクはアルス王の警戒度を上げた。


 ベルクス連邦とカーマ王国の関係は、お互いに領土拡大を目指していないのもあり、仲は悪くない。しかし良くもなかった。


 そして、決して多くはないが貿易はある。そんな関係だった。


 だが、カーマ王国が好戦的な国家になれば話は別だ。アルス王は若い。野心を持っていてもおかしくはなかった。



「カーマ王国の情報を集めろ。特に要注意人物を探し出せ」


「は」



 従者が去ったのを見て、オルベルクは一旦、カーマ王国については頭の隅に追いやる。


 そして現在休戦条約中のザーマイン帝国の対応に考えを巡らすのだった。





 昼間にも関わらず、地下室のような薄暗い部屋で、長いローブを纏った白髪の男が、紙に何かを書き巡らしていた。


 唯一の光源である、低い天井から吊り下げられたランタンが、男の手元を照らす。


 男が書きながら、腕を紙の端に移動した時だった。机の上に置かれていた何かの動物の頭蓋骨に、彼の腕が当たる。


 頭蓋骨はそのまま机から地面に落下し、音を立てて転がっていった。


 男は気にも留めなかったが、その音が合図したかのように、部屋の隅で黒い水溜りのようなものが、地面に浮かび上がった。


 部屋の中で魔力を感じとった男は、手を止める。そして部屋の隅に視線を向けた。


 そこには影のようなものが蠢きながら、地面に楕円形の水溜りを作っていた。


 やがてその影は動きを止めたか思うと、水溜りの中心から、人間の頭のようなものが、引っ張られるように出て来た。


 人間の頭かと思ったそれは、何かが決定的に違うものがあった。それは頭から捻じれたように、二本の角が生えている事だった。



「ご機嫌はどうかなファルス」



 気取ったような口ぶりで、陰から出て来た男が、ファルスに話しかけた。



「ダゴンか。相変わらず遠慮のないやつだ。何度も言っているだろう。部屋の中から急に現れるな」


「おいおい、私と君の仲じゃないか。それに君からすれば事前に察知出来るだろう?」



 ダゴンは手を横に広げながら、問題ないだろうとばかりに喋った。

 その様子を見て無駄だと悟ったファルスは、話を変える。



「それで何の用だ?」


「君の進捗を見たくてね。私が情報を与えたんだ。支援者としても逐一知る必要がある」


「ふん......」



 ダゴンの言葉に、ファルスは一瞬気に入らない表情を浮かべたが、黙って無言で返した。


 ダゴンの言った内容が事実だったからだ。助手であったレバニアが、ある研究を成功させた事を、ファルスに伝えたのはダゴンだった。


 時間が経てば経つ程、人の研究成果を奪うのは難しくなる。何故なら周囲の人間に広まるからだ。


 いとも簡単にレバニアから研究成果を奪えたのは、その日の内に情報を知らせたダゴンのおかげだった。


 最も、ある条件付きではあるが。



「お主が心配する事はない......それよりも、今度はどこに行ってきたのだ?」


「それならいいけど。実はドラゴニア山脈までね」



 露骨に話を逸らしたファルスに対して、ダゴンは気にせず答えた。


 ダゴンの答えにファルスは少しの間、意外そうな表情をしたが、最終的には納得した表情を見せる。



「カーマ王国とザーマイン帝国の戦いか」


「その通りだよ。人間同士の大きな戦いだ。魔族としても重要な出来事であり、私個人としても興味深い出来事だからね」


「ほう......ではあれは事実なのか? カーマ王国の国王がドラゴンを操ったという噂が聞こえてくるが」



 ファルスの問いを聞いた瞬間、ダゴンはこれまでとは打って変わって、視線を鋭くする。



「この目で見たよ。アルス王とドラゴンが何らかの関係にあるのは間違いない。詳しくは分からなかったけど」



 ダゴンはドラゴニア山脈での出来事を思い出す。


 ドラゴンとアルスの王のやり取りを、陰に隠れて見ていたダゴンに対して、ドラゴンが鋭い視線を向けて来た記憶が、彼の脳裏に鮮明に残っていた。



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