第10話 独断

 およそ一万近い軍勢が、ドラゴニア山脈の中腹で一時的な休憩をとっていた。


 英雄のパーティーに所属していたハヤテは、荷物を大量に載せた荷車を隣に置き、相棒のハチと休んでいた。



「まさか本当に魔物に襲われないなんて。俺はこの行軍前に言われたときは、全く信じていなかったぞ」


「ああ同感だ。この身で体験しても未だに信じられん。魔物の姿すら見えない」



 ハヤテの耳に二人の兵士の会話が入ってくる。気になった彼は会話内容に意識を向けた。



「どうやらこの魔物に襲われない現象は、英雄のパーティーによるものらしい」


「ああ、知っている。確か、勇者ラドクリフに武帝ガイア、光魔法を扱えるルシアという女に...後もう一人いたと思うんだが...誰だったか分かるか?」



 問いかけられた一人の兵士は、手を顎にやり少しの間考えると、問いに答える。



「ええと...そうだ! あの人だよ。確か行軍前に、俺達に身体能力が僅かに向上させる魔法をかけてくれた男だ。確かそいつが英雄のパーティーの最後の一人だ」


「ああ、そういえばいたな。魔物がまったく見えないことに驚いて、そのことを忘れていた」



 終ぞハヤテの名前が出なかったが、自身がかけた魔法のことを覚えている様子でハヤテは少し安堵した。それは彼が名を上げるために活動しているからだ。


 元々ハヤテは、ここから遠く離れた国の魔物を使役することが出来る、とある一族の出だった。その一族では、魔物の精神を縛ることが出来る魔法を使用し、魔物を使役していた。


 魔物を強制的に従わせるその魔法を嫌ったハヤテは、一族から出ていったのである。目的は精神を縛るようなやり方とは別の方法で魔物を使役し、名を轟かせ証明するためだ。


 身体能力を向上させる魔法は、ハヤテが一族の魔法を独自に変化させたものである。その目的は精神ではなく魔物の身体能力に変化を及ぼし、能力向上を目指して作成したものである。


 それが人間にも効果があるのはハヤテにも誤算だった。


 そして魔力の量だけはあったハヤテは、同じ英雄のパーティーの一人であるラドクリフに、その魔法を兵士達にも使えと命令された。そして自身の名声のためにも魔法の行使をしたのである。



「流石に魔力は全快していないか」



 大勢の兵士に魔力が空になるまで魔法をかけたたため、ハヤテは魔力不足による疲労を感じていた。彼が魔力回復のためにもその場に寝転び、目を閉じた時だった。



「ハヤテ! お前に見せたいものがある。ちょっとこっちに来い」



 ハヤテに話しかけたのは勇者と呼ばれているラドクリフだった。



「...分かりました。今行きます」



 ハヤテは疲労している体を起き上がらせ、ラドクリフの下に向かう。ここ最近、自身に対しての扱いが酷い男の下に向かうのは嫌だったが、実力では敵わないため逆らわずに大人しくついていく。


 ハヤテがラドクリフに付いて行き、十分程が経過する。やがて巨大な岩や、崖壁がいへきを通り過ぎて軍が見えなくなる。流石にハヤテはどこまで行くのか気になり、ラドクリフに話しかける。



「ラドクリフさん、どこに行こうとしているんですか?流石に離れ過ぎではないでしょうか」


「大丈夫だ。もう着いたからな」



 ラドクリフはそう言うと、ある方向に手を向けた。



「良い景色がここから見える。疲れているお前にも見せてやりたいと思ってな。遠慮せずに来い」



 ハヤテはその言葉通りに、ラドクリフの前に出て、その手の先に視線を向ける。すると飛び込んで来た景色に驚愕する。



「す、すごい」



 そこには、無数に広がる自然豊かな木々、切り立った無数の岩山、空を飛び交うワイバーンらしき存在、そして一歩踏み出せばその先は断崖絶壁。それは人間の手が全く入っていない自然の造形美だった。


 普段の生活では一生お目にかかれない景色だと、ハヤテは素直に感動していた。



「感動してくれて良かったよ。人生最後の景色に相応しいと思わないか?」


「え?」



 ハヤテがラドクリフに向かって振り返った瞬間だった。

 ラドクリフは自分の手でハヤテの身体に触れると、そのまま強く押した。その衝撃でハヤテは後ろに倒れていく。その先は断崖だった。


 ハヤテは断崖に落ちる自分の様子を、普段の数十倍に引き伸ばされた体感時間の中で、まるでもう一人の自分が見つめているかのように眺めていた。



「悪いな。お前は目障りなんだ」



 ラドクリフはそう呟くと後ろを振り返って、その場から去って行った。


 それを見たハヤテは、己に起こった理不尽に対して、そしてそれをしたラドクリフに対して、強い憎しみと激しい怒りを覚える。



「ラドクリフゥゥゥゥゥゥゥ!」



 その叫びと共に、ハヤテは自身に残った魔力を怒りのあまり周囲にまき散らす。やがてその姿は段々と小さくなり消えていった。








 あれからラドクリフは、ハヤテが誤って足を滑らし、崖から落ちたということをルシウスに報告していた。



「......以上です」



 ラドクリフの報告を聞いたルシウスは、眉を一瞬だけピクッとさせる。



「そうか...分かった。もう下がっていいぞ」



 その言葉には、特に感情が込められていなかった。

 ラドクリフが去っていくのを確認すると、ルシウスは伝令係の魔法士を呼び出す。



「失礼いたします」



 入ってきた魔法士は、ルシウスの前まで来ると膝を着く。



「ゲンブに伝えろ。全ては計画通りだとな」


「はっ! 承知いたしました」



 命令を受けた魔法士は、複数枚の伝令用の手紙に魔法をかけると、それを帝都に向かって飛ばした。








 それから数日後、ザーマイン軍は山脈の中でも一番標高が低い山の頂上まで辿り着いていた。



「ここから先は下るだけか」



 ここまでの進軍はルシウスの計画通りだった。予め決めておいた進軍ルートを通り、かかった時間も大まかには彼の想像通り。魔物にも一切襲われていない。まさに完璧だった。



「そろそろ、ゲンブがカーマインに宣戦布告する頃だ」



 ルシウスが先を急ぐぞと周りに伝えようとした時だった。



「大変です! ワイバーン複数体が軍に襲い掛かってきました!」


「何だと!?」



 伝令を聞いたルシウスは、ここにきて魔物が突然襲いかかってきたことに驚愕する。

 落ち着け。恐らく偶然だ。ルシウスはそう自分に思い込ませて冷静さを取り戻す。



「落ち着け! たかがワイバーン数匹だ。ガイアとラドクリフを中心にして撃退しろ!」



 ルシウスが命令を出すと、即座にガイアとラドクリフを中心にした部隊がワイバーンの対処に向かう。



 暴れていたワイバーンは、ラドクリフとガイアが攻撃に参加すると、いとも簡単に追い詰められていく。


 やがて数分後に、ワイバーンを無事に撃退することに成功する。


 ルシウスはそれを確認すると安堵する。それにしても何故急に魔物が出たのか彼が考えていた時だった。



「た、大変です。ル、ルシウス様」


「今度は何だ!」



 ルシウスは、その悪い報告を予感させる伝令の言葉に、思わず大きな声で問いただす。



「あ、あちらをご覧ください」



 伝令はそう言うと、ある方向を指さす。ルシウスがその方向を見ると、そのあまりの光景に言葉を失う。



 それは数百体の群れのワイバーンが、こちらに向かって来ている光景だった。

 群れの先頭を見ると、ワイバーンにしては珍しい真っ黒の色をした、一際大きいワイバーンが群れを率いていた。


 そしてワイバーン達は、先頭にいるボスらしき黒いワイバーンの旋回に合わせ、今まさにこちらの軍にぶつかる瞬間だった。



「馬鹿な...」



 ルシウスはその衝撃的な光景に、やっとのことで言葉を絞り出すが、その言葉はワイバーンの群れが軍に衝突した衝撃音、兵士達の悲鳴でかき消された。

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