第16話 空を飛ぶ王

 部屋から出たアルスは、自室から本を持ち出し、城の庭に向かっていた。 


 気分転換に庭で読書をするためである。部屋に籠ってザーマインに怯え続けるよりも、外に出て開放的な気持ちになりたいという思いがあった。


 アルスは綺麗に揃えられた芝生の上に座り、木陰の中で木に背中を預け読書をする。読んでいるのは”ドラゴンの生態”という題名の本だった。


 本の表紙にはドラゴンの絵が綺麗に描かれており、まさに現実のような存在感を感じさせていた。

 彼が普段あまり読まないジャンルの本だったが、その絵が気になり読むことに決めたのである。


 やがて時が経ち、本の半ばまで読み進めたアルスは、一息休憩しようと本のページから目を離す。そして空に顔を向けて、漠然と雲を眺めた。


 アルスが顔を向けていた方向は、丁度ドラゴニア山脈がある方向だった。


 アルスが雲の流れをぼんやり眺めていた時、何やら赤い点が空に浮かんでいることに気づく。じっと赤い点を見つめ続けていると、それは段々と大きくなっていく。 


 やがてその赤い点が具体的に見えてくると、何やら見覚えのあるものだとアルスは感じる。彼はふと視線を下に落とし、本の表紙を見る。途端に衝撃が走った。



(ま、まさか)



 アルスは本の表紙と空に浮かぶ赤い物体を、忙しなく交互に見つめる。そして赤い物体は、ついにアルスの真上にまで来ると、大きな翼を羽ばたかせながらアルスの目の前に着地した。


 着地の衝撃で思わず、アルスは顔を腕で覆う。アルスは風が収まると腕を下げてその赤い物体を見た。その瞬間、それが何者かをアルスは理解した。


 それは全長二十メートル近くの大きな翼を持ったトカゲに似た生物。ドラゴンだった。あまりの突然の出来事に、アルスは恐怖も抱かずに、頭を停止させてしまう。


 地面へと降り立ったドラゴンは、顔をアルスに向けると、口を開けてペッっと何かを地面に吐き出した。アルスが反射的にそれを見れば、吐き出されたのは何やらぼろぼろの人間のようだった。


(一体何が起こっているんだ?)


 アルスはあまりの出来事に一周回って冷静になる。そしてこの状況を理解しようと頭を回転させる。


(確か、このドラゴンらしき生物は、ドラゴニア山脈から来たな...)


 アルスはドラゴニア山脈という単語に、違和感を感じて記憶を手繰り寄せる。その瞬間あることを思い出し悟る。


(まさか、ルフ達がドラゴンに挑んで負けたのか!?)


 アルスはルフ達に、ドラゴンまたはワイバーン退治を命じたことを思い出したのである。


 つまり、このドラゴンは襲い掛かってきたルフ達を返り討ちにし、何らかの方法でドラゴン退治を命じたのがアルスだということを知ったのかもしれない。そして復讐しにアルスの目の前にまで来たのかとアルスは予想する。


 吐き出された人間は、恐らくルフが連れて行った兵士の誰かだ。お前の運命はこうなると、此方に示しているのだろう。


 アルスがそこまで理解すると、その後の行動は速かった。手にしていた本を投げ捨てると、ドラゴンの近くに瞬時に移動し、両膝を地面に着けて手先を伸ばして膝の前に出す。そして頭を大きく下げて地面に着ける。



「申し訳ありませんでした!」



 アルスが考えうる完璧な土下座だった。彼は恐怖を押し殺しながら土下座を維持する。数秒、数十秒の中で永遠ともいえる時間を感じながら、アルスの汗が顔から一滴、流れ落ちた時だった。



 《ほう......まさかお主この国の王か?》



 アルスの頭に、低く威厳のある声が響く。驚きで一瞬身体を震わせるが、つい先程読んでいた本の内容をアルスは思い出す。それは、高位のドラゴンは人間の言葉を操ることが出来るものだった。



「そ、そうだ...です。この国の王として謝罪します。部下が迷惑をかけてしまいましたが、我...私には其方を害する気持ちは一切ありません」



 アルスはまさか自分が王になって敬語を使う場面が来るとは思いもせず、稚拙な敬語で言った。そして自分が命じたのではなく、あくまで部下が勝手にやったことだとアルスは示した。



《そうかお主が今代のカーマの王か。探す手間が省けた》



ドラゴンは一瞬遠くを見るような目をした。



《儂に敬語を使う必要はない。お主の名は何だ?》


「わ、分かった。我の名前はアルス・カーマインだ」


《ではアルス、儂を数百年ぶりに目覚めさせたのはお主で間違いないな》



 アルスは己が兵士達を使って、ドラゴン退治を命じたことがやはりバレていることを悟る。アルスは確かにルフにはおまけ程度でドラゴン退治を命じたが、まさか眠っている高位のドラゴンに喧嘩を売るとは思いもしなかった。 


 やってくれたなとアルスはルフ達に恨みを募らせる。だが、問題はどうやってこの危機的状況を乗り越えるかだった。

 アルスは既に己が主犯だと知られているのなら、下手に嘘をつくべきではないと考える。



「わ、我で間違いない」


《やはりそうか。このような男を使って儂を目覚めさせるとは思いもしなかった。まさか儂の精神に影響を及ぼすとは。だが、アルスお主は儂に謝罪をした。許そう》



 アルスはまさか許してくれるのかと安堵する。少し心に余裕が出来たアルスは、このドラゴンが口から吐き出したぼろぼろの人間を見る。


 その男は、この周辺ではあまり見ない顔立ちだった。だがアルスは恐らくルフが連れて行った兵士の一人なのだろうと思う。

 そして驚くことに胸が上下しているのが見える。その男はまだ生きていた。



《数百年ぶりに儂を目覚めさせたということは......いやその前にすることがある》



 その言葉にアルスは身構える。



《まずは儂の縄張りに侵入している、多数の人間の軍を撃退する必要がある》


「.......まだ殺していないのか?」



 アルスはまだルフ達が生きている可能性があることに驚く。



《カーマの王に会うことを優先したのだ》


「そ、そうか」


《アルス、儂と一緒に人間共を殺そうではないか。儂の許可なく大勢の人間で縄張りに侵入するとは礼儀の欠片もない》

 


 その言葉を聞いたアルスは、このドラゴンはまだ此方を許していないのだと感じる。アルスはもしかしたら此方を試しているのではないかと思った。ここで断れば、怒り狂って殺されるかもしれない。


 アルスは恐怖に体を震わせた。


(すまないな。ルフ、ベルル。そして何故か付いて行った兵士達。お前らがドラゴンに喧嘩を売るのが悪いんだ)



「も、勿論だ。其方の住処に侵入するなんて、命知らずな人間だな。ははっ」


《それは良かった。では行くぞアルス。儂の背中に乗って気力を流すだけでいい》



 ドラゴンはそう言うと、翼をアルスの方に向けて広げ、そのまま翼を使ってアルスの身体を持ち上げる。アルスはそのままドラゴンの背中まで移動させられた。



《しっかり捕まっておけ。まあ気力を使えば心配無用だと思うがの》



 ドラゴンはアルスを背中に乗せたことを確認すると翼を羽ばたけさせる。アルスは死に物狂いで背中にしがみついた。やがてドラゴンはドラゴニア山脈に向かって飛び立つのであった。






 その様子を柱の陰に隠れて見ていた存在がいた。



「い、一体何が起こったのだ」



 外交官のフェリペだった。彼は城の庭で大きな音がしたので、何事かと思って見に来たのである。そしたら何と数十メートルはあるドラゴンが、王と向かい合っていたのだ。


 恐怖を感じたフェリペは柱にずっと隠れていたのである。


 フェリペが頭を落ち着かせていたとき、複数の人間の足跡の音が聞こえてきた。彼は音が聞こえて来た方向に振り返る。



「フェリペさん一体何事ですか?」



 背後に宮廷貴族や近衛騎士団を連れた宰相のアランだった。



「これはアラン殿。実は...」



 フェリペは今見たことをアラン達に説明した。

 説明を聞いた一同は驚きを隠せなかった。



「そんなことが......」



 アランは顎に手を当てて何かを考えている様子だった。



「おい、この男まだ生きているぞ!」


「何だと!? 急いで医務室に連れていけ」



 何人かの騎士が、ドラゴンが連れて来たであろう男を運びだす。

 

 アランはその様子を眺めながら、王が一体何を起こそうとしているのか考えを巡らす。時間はそんなにないぞ......アランはアルスが言ったこの言葉が頭に響いていた。



「やはり、陛下は既に策を実行していた。そしてこれは最後のピースという訳か......」



 アランはドラゴンが小さくなって見えなくなるまで、空の一点を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る