第6話 目覚め

 アルスは護衛の宮廷魔法士であるベルルを伴って、ルフを視察しに兵の訓練所に向かっていた。


 カーマ王国では、多数の貴族で構成された騎士団と、多数の平民で構成された軍団が存在する。


 ルフが配属されたのは後者である。


 やがてアルス達が訓練所に近づくにつれて、兵士の訓練の様子が見えてきた。


 すると男の野太い声が響いてくる。



「一分間組手始め!」



 隊長らしき男が命令すると、その場に集っていた数十人の兵士が一斉に組手を始める。


 一分間というのは組手においては長く感じ、倒された者は即起き上がり相手に何度も向かっていく。


 やがて組手が終わると隊長の男は一分間の休憩を告げる。すると兵士たちは一斉に倒れ込み休憩を始める。



 休憩が終わると、即座に隊長の男が兵士達に組手の命令をする。それを聞いた兵士達は弱音を吐きながら組手を始める。



『まだ終わらないのか』『もう無理だ身体が動かん』『し、死ぬ』『隊長は鬼だ』



 どうやら、これを何回も繰り返していたようだ。男達の本気の組手に思わずアルスは見入ってしまっていた。


 この国の兵士の練度は意外にも高く、近隣の国に負けないのではとアルスは感じた。


 暫くすると隊長らしき男が組手の訓練を終わらす。その後アルス達の方に向かって驚いた顔をしながら来た。



「陛下ではないですか! 私は中隊長を務めるロランと申します。今日はどのような目的で来られたのでしょうか?」



 あまり外に出ないアルスだったが、王に就任した後に大勢の兵士達の前で一度、演説をしていた。その際に、王を拝見していたロランは難なく気づいた。



「実はルフの様子を見に来てな。しかし、驚いた。兵士の訓練がここまで厳しいとは思わなった。見事だ」



 アルスは兵士たちを称賛すると同時に、自分が兵士ではなくまだ王であることに感謝した。厳しい訓練をするのが嫌なアルスは兵士よりもまだ王の方がましだと思ったのだ。



「陛下にそう言われることは大変嬉しく思います。兵士達も喜ぶでしょう。しかし、実はここまで厳しくしたのは最近になってからなのです。ルフ殿がここに来られてから、様々なことが変わりました」


「ほう...それは興味深いな」


「詳しい話は、ルフ殿がいる場所に案内しながら説明いたします」


「分かった。ぜひ話してくれ」


 興味気味に応じたアルスだったが、自分が任官を許可したルフが、何かやらかしていないか心配になってきた。



 アルス達はルフがいる場所に移動しながら、中隊長の言葉に耳を傾ける。



「ここ一週間、我々はルフ殿と一緒に訓練をしてきました。最初はあの剣聖と言われる男が一体どのような実力を持っているのか興味津々でした。しかしそれは間違いでした」



 一呼吸したロランは、大きな勘違いしていましたとばかりに続きを話す。



「ルフ殿は我々が推し量れる人ではなかった。その剣技は至高であり、まるで芸術のように美しい。そして人間離れした素の身体能力に加えて、気力を用いれば彼に敵うものはこの世に存在しないでしょう」


 ロランは当然のように断言する。


 傍で聞いていたベルルは、ここまで評価が高いルフの警戒を上げるとともに、少し警戒が足らないのではとロランに意見する。



「ルフを評価しているようですが、この短い一週間の間で無条件に信じすぎではないでしょうか?」



 そんなことはありえない。そんな表情でロランは言う。



「ルフ殿が素晴らしいのはその強さだけではありません。いえむしろそれはおまけと言っていいでしょう」


「強さがおまけ? 一体どういうことですか?」



 強さがおまけというロランに驚いたベルルは、どういうことだと聞き返す。



「ルフ殿がいる場所に丁度着きました。説明するよりも見た方が早いでしょう」



 ロランはそう言うと、武器を使って普段訓練を行っている部屋の扉を開いた。

 アルス達が部屋の中に一歩入ると、そこには驚きの光景が広がっていた。



 部屋の地面には血痕が無数にあり、既に血が固まったものから、まだ体から流したばかりの血だまりが存在した。


 その血だまりのそばには無数の兵士が倒れ込んでおり、部屋の中央に目を向けると、返り血を浴びて身体を赤く染めた一人の男が立っていた。


 剣聖ルフである。


 その光景を見たアルスは、悟った。これは罠か。


 圧倒的な死の臭いを感じさせる剣聖ルフ。


 ルフが遂に反逆してしまったと思ったアルスは、恐らく我は殺されるのかと、己が死ぬ幻影を見る。


 アルスはその余りの死の恐怖に、立ったまま気絶してしまう。



「こ、これはどういうことですか!?」



 危険を感じたベルルは話しが違うとばかりにロランにまくし立てる。ロランはそれを気にも留めず、独り言のように言葉を発する。



「あぁ、羨ましい。死を感じることが出来て。生と死を彷徨う戦いの果てにこそ気力は目覚め、成長する。自身が死に瀕して復活した後の、急激な気力の成長はとてつもない快感を感じさせる。こんな事を我々に気づかせてくれ、更に死を感じさせてくれる彼が敵な訳がない!」



 それはまるで狂信者のようだった。

 こいつはもうルフに取り込まれてしまってダメだと思ったベルルは、王にこの場から逃げるように伝える。



「陛下!この場は危険です。私がルフを食い止めるのでお逃げください!」



 だが、ベルルに言葉を投げかけられたアルスは、無表情でルフを見つめたまま微動だにしなかった。


 気絶しているので当たり前である。



「どうして逃げないんですか!? 陛下ぁぁ!?」



 と、ここでアルス達に気づいたルフが、アルスに向かって歩いてくる。

 歩いてくるルフを無表情で見つめながら佇むアルス。


 それを見たベルルは『何事にも動じていない王様カッコいい...』じゃなくていつでも魔法が放たれる準備をする。


 やがてルフがアルスの目の前まで行くとアルスに話しかける。



「まさか、王自ら私の様子を見に来て下さるとは光栄です」



 ルフに話しかけられたアルスは未だに気絶していた。




 アルスは夢を見ていた。夢の中でアルスは、赤い川の上にある橋をぼんやりとした頭で渡ろうしていた。

 次の瞬間、アルスの父親に似た男が突然現れると話しかけてきた。



「アルス、まさか精神が貧弱過ぎて死にそうになっているとは、驚きを通り越して呆れるわ。そんなダサい死に方をしてしまったら、俺があの世で笑われてしまう。大人しく現世に戻れ」



 この男は何のことを言っているんだ?やけに父親にそっくりだ。それに死に方...だと?そこまでアルスは考えると、衝撃の事実に気づく。


 ま、まさかここは...



「くそっ、我はまだ死ぬ訳にはいかない」



 アルスは生きることを強く思う。すると頭が段々とはっきりしてきて、やがて現実世界に戻ってくる。




 ここは一体どこだ? 何か夢を見ていたような。我は確か死を感じ取り...それに...この体の違和感はなんだ?

 アルスはあまりの衝撃的な出来事に少し前の記憶がとんでいた。そして自身の体に何か異常が発生していることに気づく。


 アルスの体を見つめていたルフは何かに気づき驚きの声を上げる。



「まさかそれは気力!? 目覚めたというのですか!? 私の気力に触れただけで」



 ルフは珍しく表情を一変させる。


 気力に目覚めた人間は、気力の存在を感知出来る。ルフがアルスを見たところ、全身を気力が絶え間なく巡っていた。気力に目覚めたばかりの人の特徴に一致している。



 小心者なアルスは余りの恐怖から死を感じ取り、気力に目覚めてしまったようである。



「これが気力なのか。ふん、当然だな。我は王なのだから」



 何が何だか分からないアルスはとりあえず、傲慢に振る舞う。



「流石は私が認めた王ですね。死を感じ取るまでもなく気力に目覚める。そんな人間初めて見ました。王であることが惜しい程の才能です」


「ルフ殿がそこまで言うほどの才能。流石は陛下です」



 ルフとロランの二人はアルスを称賛する。


 ベルルは気力のことをあまり知らなった。そのため会話についていけずにいたが、ルフが敵ではなかったことにとりあえず安堵していた。



「ルフよ元気そうでよかった。では我は城に戻るとするか」



 アルスの身体は気力により快調だったが、なぜか精神に疲労を感じていた。そして少し前の記憶を覚えていないことに気持ち悪さを感じていた。


 そのため、ルフの顔を見て話したことで当初の部下を労うという目的は果たしたと思ったので、帰ることにした。



「お、王よもう帰るのですか!? まだルフと話したのは一言、二言だけではないですか!」



 ベルルはルフの視察というにはかなり短い時間であり、この惨状について説明をさせないのかと、驚いた。



「よい。目的は果たした。ベルル帰るぞ」



 アルスはそう言い残しながら後ろに振り返り、ルフに背を向ける。


 アルスが振り返る際に、正面にいたルフと部屋の出口の間に、チラッと血を流した兵士のような物体が見えたが、気のせいだろうと思いそのまま部屋を出て行った。


 ベルルは慌てて後を追った。




 ルフは、ベルルとアルスの背が小さくなるのを見つめながら考えていた。


 自分の兵士が血だまりで倒れており、その隣には最近仕官した剣聖ルフが立っている。


 それにもかかわらず動じていなかった。おそらく兵士が死んでいないと一目で気づいていたのだろう。


 それに目的は果たしたと言っていた。目的というのはルフが軍にどのような影響を与えているか確かめることだろう。


 何も言わずに立ち去ったということは及第点ということか。

 ルフはこの軍に所属してからというもの、数十人の兵士を死の間際に追い込み、気力に目覚めさせていた。


 長い間戦争をしておらず、気力に目覚めている兵士が、近隣の国に比べて圧倒的に少ないカーマ王国からすれば戦略級の働きである。


 今度は王に期待以上の成果が見せれるように、一層励もうとルフは決意した。

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