第5話 謎の球体X

 ぺタルダに言われ、うん、と頷く。

 じゃあやりましょう、とぺタルダが僕の指示を待つ。


「じゃあ……大きな瓦礫を、まずは転がして――」


 夢中になっていたので体感時間は短いが、恐らく一時間以上は経った頃、階段が完成する。

 上まで作ることはできなかったので、途中まで。


 途中まであれば、そこからはジャンプして届くはず。


 僕とぺタルダは見合って頷き合い、同時に走り出し、並走して瓦礫の上を蹴る。作った足場を渡って進む。乗った瓦礫から崩れていき、一発勝負だと実感させられる。

 完成した高さ、途中まで――最後の瓦礫に到達し、そこから大きく斜め上に跳ぶ。


 伸ばした手の指先が上の地面にかかった。


「やったっ!」

「…………あ」


 後ろから微かに聞こえた声に振り向けば、僅かに届かなかったぺタルダが、落下していく瞬間だった。咄嗟に、空いていた片方の手を伸ばすが、掠りもしない。


 ぺタルダの落下地点には瓦礫が溜まっている。しかも崩れた瓦礫は角を上にしており、優しく受け止めてくれる気などまったくない。――これじゃあただの凶器だ!


「ぺタルダッ!」

「ダメッ!」


 叫ぶぺタルダの声を無視して僕も手を離す。ぺタルダとほぼ同時に溜まっている瓦礫に落下した。瓦礫に弾かれ、地面を転がる。打った数か所が痛む。……それよりも、ぺタルダはっ!?


 足を引きずりながら瓦礫の中を覗き込むと、額から血を流すぺタルダが倒れていた。


「ぺタルダっ! 待ってて、いま助けるから!」


 痛みに顔をしかめるぺタルダを抱き起こす。瓦礫が溜まっているせいで、足場が悪くバランスが取りにくい。瓦礫地帯から抜けるのに無駄な時間がかかってしまった。


 平坦な道にぺタルダを寝かせる時に、生温かい感覚を得て、手の平を見る。


 ――血だ。

 ぺタルダの脇腹から流れ出る血が、僕の手を真っ赤に染めていた。


「う、ぁ……」


 落下した時に、ぺタルダの方は瓦礫の角に貫かれたのかもしれない。鋭い角は刃にもなるし、ぺタルダの柔らかい肌など、いとも簡単に切り裂き、削り取るだろう。


 血が流れ過ぎたのか、ぺタルダの顔色が悪くなっていく。

 どうしよう……、どうすればいい……?


 守られていたばかりの僕には、大切な人の守り方が、なにも分からない……ッ!


「待って、ぺタルダっ……! 今、マナさんを呼んでくるから――!」


 でも、ここから先へは、あの壁を越えなければならないのに……ッ。


「嘘だ……」


 僕は自分の手の震えに気づく。気づけば全身が寒い。嫌な汗を感じ取った。


 気づいてしまったからこそ、体が反応した恐怖なのかもしれない。


 頭では認めていないのに、体はその結果を見越した反応をしてしまっている。

 口に出したくないのに、僕の心はそれを何度も繰り返し、僕に訴えかけてくる。


「――――やめろッ!」


 ぺタルダは――……まだッ!



「諦めないぞ……っ」


 僕は、絶対に。


「諦めてやるもんかッッ!」



 ――――。

 すると、

 耳の奥へ、全身を貫くような甲高い音が入り込む。


 音を探し、天井を見上げ、ぺタルダを見下ろし――、

 彼女の首元に光る輪があることに気づく。


 首輪……、それに触れる瞬間、輝く輪が砕け散った。


 八方に散った破片は、空中で溶けるように消滅する。


 …………今のは、一体……?



 考える間もなかった。

 ゴトンッ、と、樽のような塊が落下した音、そして姿が見えた。


 天井を見上げれば、綺麗な丸の形のまま、穴が開いている。

 赤に似た、明るい光が真下とその周辺を照らしていた。


 ふっ、と、風が抜ける。肌を撫でる寒風。しかし寒いと感じない。


 得体の知れない樽と同じ大きさの茶色い塊。

 刻まれたしわが見え、樹皮のようにも見える――。


「…………」


 あれは、なんなんだ……?

 すると、茶色い球体が転がった。左に、右に、行ったり来たり。


 自然な動きではない。球体が意思を持って動いているようにしか思えなかった。


 意思を持っている、……としたら?


 あれは、たとえば、生物なのだとしたら――。


「!?」


 と、解凍されるようなパキパキ音と共に、茶色の球体の表面が膨らむ。


 への字に突出した細長い、色のせいか木の枝にしか見えない長物が地面を叩く。


 僕たちそっくりの五本指。

 同じものが三本連続で飛び出し、それを支えにして球体が浮いた。


 既に綺麗な球体は楕円形に変化しており、丸みが取れていく。


 楕円形の裏表に凹凸が現れ、見慣れた姿を形作っていく過程を思わず眺めてしまう。


 変化が止まった時、それは人の胴体だった。


 胸、脇腹、腰の三か所から飛び出た木の枝の正体は腕であり、二本の尻尾かと思った腕に比べれば、短く太いそれは足であることが分かった。


 四つん這いの体勢から二本の足で立ち上がった得体の知れないそいつは、大人よりも少し大きい。ただし首から上がない。

 そうでなくとも半透明で、体内で動いている液体なのか細胞なのかが見えて、気持ちが悪い。


 大小様々な大きさの、多数ある赤い球体が体内でぐるぐると回っている。

 肩、一直線の平らな部分からゆっくりと、皮膚を割るようにして這い出てきたのは、顔だ。


 丸よりも四角に近い顔は、僕たちのように部位の一つもなかったが、鋭い波線のように刻まれた線が、やがて、糸を引かせながら、上下に離れ出した。

 位置的に、口を開けたのだと思う。


 口の中は真っ暗闇であり、舌はない。唾液もなさそうだ。


 開く口だけがある顔の真ん中に、赤い球体が集まり、大きな一つの球体になる。まるでそれが一つの赤い目玉のようにも思えてしまう。

 もしかしたら、無数にある赤い球体は、視覚の役割をしているのかもしれない。


 ほとんど一瞬で球体から姿を変えた未知の生物は、脱力した状態のまま動きがなかった。


 隙だらけと言える棒立ちだった。


 だからと言って、沈黙が続けば僕の精神力が削られていくだけだと分かっていても、さあ動くぞ、とはならない。


 身を潜めているとは言えないが、こうして動かずにいることで相手の機嫌を損ねないのならば、動くメリットは少ないだろう。


 正体が分からない相手を目の前にして、どうすればいいかなど、僕には分からなかった。


 多く出る唾液を自然と飲み込む。

 ――相手の赤い大玉が、ぶるっと震えて動きを見せた。


「――――!」


 僕を認識したのか、天井を見上げたそいつが大口を開け、さらに人の限界を超え、顎を無視した開き方をさせた。

 もっと開けば後頭部と顎がくっつきそうな開き方のまま、地下世界全体が震えるような、音の振動――。


 さっきよりも甲高い、耳をきーんと使いものにさせなくする叫びが、僕の視界さえも侵食し、視界のピントをぼやけさせる。


 視界を奪われたわけではないし、使いものにならなくなっただけで、判別できなくとも音のあるなしは今の僕の耳でも分かる。だから状況が悪化しているのも理解していた。


 しかし納得はできていなかった。

 同じ球体が天井を突き破って、数体が落下してくる。いや、気づけば二桁だ……。


 一瞬遅れで、球体が連続で人型へ変化していく。

 得体の知れないそいつが均等に並んでいる光景は、気味が悪い以上に、明確な恐怖を植え付けてくる。まるで、蛇に睨まれた蛙のように……。

 本能か直感か、僕は捕食される側なのだと悟る。


「……逃げなくちゃ……ッ!」


 逃げなくちゃならないのに……でもどこへ? さらに下へ……、行き止まりへ向かう?


 なら、上へ? でも地上には僕たち種族が追い詰められた原因の敵が――。


「あ……、もしかして……。ここにいる、この生物が――」


 僕たち種族を地下世界へ追いやり、現在の地上世界を支配している、敵……?


「――アル、耳を貸しなさい」


 いきなり胸倉を引っ張られ、体ごと持っていかれる。

 視界にはぺタルダの顔がいっぱいに広がっていた。


「ぺ、ぺタルダ……ッ、傷は――」


「大丈夫よ。でも、今はそれどころじゃないでしょ。

 疑問は後にして。とにかく今はここから脱出することを考えなさい」


「…………どうするの?」

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