第4話 すぐ傍にいる天使

 面食らったぺタルダが、ぷいっとそっぽを向いてしまう。あっそ、と素っ気ない返事だ。


 マナさんを見たら、微笑ましく僕たちを見ていた。口だけで、大丈夫と伝えてくれた。


「種族が違う、血縁関係もない。でも、私たちは家族だよ。だから、誰一人だって見捨てたりしない。安心して二人とも。ワンダくんは口は悪いけど、一番、家族を大切に思っているから」


「……じゃあ、なんで帰ってこないのよ。こんなにマナに心配かけてさ」


「うーん、それは……。いつもの放浪癖だと思うけど……。ワンダくんって、あんな性格なのに気にし過ぎな部分もあるからなあ。アルに言ったことを今さらになって後悔してるのかも」


 体調を悪くしたあの時の言葉は、確かに強い言葉ではあったけど、僕を否定するような意味ではなかったと思う。結局、ワンダさんは僕になにかを求めていたのだ。


 成長しろ……強くなれ……。たぶん、そんなようなことを。


 ワンダさんの本音であるのは間違いない。

 ――そして僕も、自覚していることでもある。


 マナさんとぺタルダに大事にされて、目に触れないようになっていたことを、突きつけられたのだ。ワンダさんが後悔することなんて一つもないのに……。


「ワンダさんを探しに行こうよ、ぺタルダ」

「私はいいけど……、マナはどうなの?」


「ダーメ。言ったでしょ、地上近くに行っちゃダメだって。ワンダくんは、きっと地上付近にまで行っちゃったと思うから、二人はお留守番ね。大体の行き先のあてはあるから、遅くはならないと思う。だから、二人でおとなしく待っててね」


 だって、と、ぺタルダが肩をすくめた。僕は食い下がろうとしたけど、マナさんの「お願いね」の笑顔に、なにも言っていないのに言い負かされた気分になり、素直に頷いた。


 途中だった朝食を食べ終わり、すぐにマナさんが階段を上がって向かう。


 ぺタルダは、食器洗いや掃除を始める。樽に溜めた水を使っているのが勿体なく感じるが、衛生面にも気を遣わなければならない。節約しても、体調を壊しては意味がないのだから。


 苦労はするけど、水を溜めることは難しくない。……その水が流れ出てもこなくなったら、生活が厳しくなるが……、水も長時間、保存しておけるわけでもない。


 問題は水ではなく、入れ物の樽であり、よくない菌が水に移ってしまうらしいのだ。


 ワンダさんが毎日、地上に出ているのは、そうしなければならない理由がある。


 地下世界にも保存庫があればいいのだけど……いま保管できているのは腐らないものだけだ。


 仕事が終わって、一段落したぺタルダが、ふぅ、と腰をつけて僕の背中に体重を預けた。


 ちなみに、僕は焚火を作って暖を取っていた。……水を使って冷えているぺタルダのためでもあるけど、なにもしていなくとも、地下世界は薄着でいるには少し肌寒いのだ。


 焚火に向いている僕の背中側にいるので、ぺタルダは温かくないと思うのだけど……。


「アルの背中、温かいわよ。人肌でじゅうぶんなのよねえ、実際」


 ぺタルダがぐいぐいと強めに、背中を背中で押してくる。


 無駄な攻防を繰り返しながら、僕は溜め込んでいたものを吐き出した。


「……僕たちも、やっぱり行こう」

「どこに?」


「……マナさんの後を追って、地上付近に。

 もちろん、地上には出ないようにするよ……マナさんとの約束だし」


 本当は地上付近にも行ってはいけないんだけど……。


「アルもやっと反抗期に入った?」

「反抗なんかじゃ……、でも、うん。守られてばかりは、もう嫌なんだ」


 へぇ、とにやけた顔をしたぺタルダが、背中を通じてよく分かる。

 からかうように背中を二度ほど押された。


「反対する気は最初からないよ。

 ……だって私、アルがしたいことはできるだけさせたいと思ってるしね」


「……なんで、僕にそこまで――」


「マナが言っていたでしょ? 私たちは家族で、アルは私の弟なの。つまり私はお姉ちゃん」


 同い年で体格に差こそないが、精神面では僕をとうに越えている。

 自称・お姉ちゃんに、文句の一つも出てはこなかった。


 背中合わせをやめて、僕の首に手を回し、優しく抱きしめてくるぺタルダ。

 耳元で囁かれる。


「私、良いお姉ちゃんでしょ?」



 階段をしばらく上ると、人の手が加えられていない斜面に切り替わる。

 何度も水を汲みに行ったり、散歩道に使っているので、上がるのに苦労はしなかった。


 樽がない分、水を汲みに行く時よりは楽だ。背負った燭台は大して重くはない。


 順調に進んで行くと、急な斜面が緩やかな坂道になった。

 ほぼ水平になった道で、僕は足を止める。

 気づいたぺタルダが、どうかしたの? と僕の背中に問いかけた。


「……マナさん、きっと怒るよね」

「え、今更……? そりゃ怒るだろうけど、それを覚悟して、ここまできたんでしょ?」


「そうなんだけど……。マナさんって普段、怒らないから、ちょっと怖くなって……」


「怒ってるけどね。アルがマナを怒らせない優等生なだけよ。マナが怒っても、正直、あんまり怖くはないわよ? ワンダとのやり取りを見てれば分かるけど、もーっ、みたいな言い方だし」


 僕がよく見るのは、頬を膨らませて不満を訴えた言い方ではなく、目が笑っていないのに表情が笑顔を作り出している、あの雰囲気のことを言っているんだけど……。

 短い言葉で多くは語らないあの言い方が、さっと血が引くように怖いのだ。

 主に、ワンダさんとのやり取りで僕は見る。


「な、殴られたりしないよね……?」


「……それ、マナに言わないであげてね。

 そんなイメージを持たれているんだ、って、絶対にショックだと思うから」


 大丈夫よ、と僕の背中をぽんぽんと叩くぺタルダ。


「怒られる時は私も一緒だし。アルを止められなかった私の方が怒られると思うしね」


 怒られ慣れているぺタルダにとっては、どうってことないらしい。

 ……それもどうかと思うが。


 少しの休憩を経て、再び現れた緩やかな坂道を、足並みを揃えて進んで行く。

 と、道に瓦礫が散乱していた。

 上がったり下りたりの連続で、体力を消耗する。既に水を汲むルートからは『ずれて』おり、散歩道も、きたことがない道になっていた。ここから先は、頭の中の地図にはない。


「行き、止まり……?」

「急過ぎる斜面よ、壁じゃないみたい。ロープでもあれば登れそうね」


 つまり、道具の一つもない今の僕たちでは、これ以上は進めない。

 がっかりしたような、怒られなくてほっとしたような……、でも進めないがっかり感の方が強く心に残っている。出直すには、往復に時間がかかり過ぎる。かと言って、ここで粘っても登れそうにはない高さだ。……上に空間があるのは、ここから見上げて分かるのだけど……。


 ちなみに、持っていた燭台は、隅っこに置いて空間全体を照らすようにしている。


「ちょっと試してみるね」


 するとぺタルダが服を脱ぎ出した。

 ちょっ――と声をかける間もなく、僕は自分の目を手で塞ぐ。


 ……服を脱いだと分かった瞬間に見てしまったぺタルダの胸に、罪悪感を抱く。


「ご、ごめん……っ」

「いいわよ別に。アルなら構わない」


 ぺタルダは気にしていない様子で、なにか念じるように、眉間にしわを寄せる。


 脱いだ服を前に抱えて、胸を隠しているので、僕も目を塞いだ手をどかしてぺタルダを見る。


 肌色が多いが、大事な部分は隠れているので、僕でも見て大丈夫、だよね? 

 しかし胸以外にも、鎖骨や肩甲骨がぺタルダの華奢な体を魅力的に見せている。


 ぺタルダって、やっぱり美人さんだ……。


「褒めてもなにも出ないわよ? ……っと、やっぱり無理か」

「なにをしたかったの……?」


「背中。小さいけど翼があるでしょ?」


 手の平サイズの白い翼が、肩甲骨の外側から生えている。とってくっつけたような即席感が見えるけど、近くで見れば、根元が肌色と同化している……本物の生えている翼だ。


 ぺタルダは、確か……天使族――通称・アンギラス族だったはず。


 白い翼が特徴的であり、ぺタルダも例外ではないが、年齢的なことで、まだ自力で飛べるまでには翼が出来上がっていなかったのだ。飛べれば、僕を抱えてこの斜面も越えることができたけど、と、ぺタルダは不満そうな顔で服を着直す。


 その間に僕は斜面、というか、見た目はもう壁である障害を観察する。


 手や足をかけられる、突起でもあればいいのだけど……、窪みでもいい。

 凸凹があれば、木登り感覚で上までいけるのに……。


 しかし、つるつるに近い壁であることが分かってしまったので、どうにもならない。

 根性と勇気だけでは、どうにもならない大きな壁が立ち塞がっている。


 壁に背中を預けるように反転して、帰り道をふと見つめた時に……閃いた。


「あ、ぺタルダ……。そこら中にある瓦礫の、大きなのは除いて、二人で運べるくらいの瓦礫を積み上げて、階段みたいにするっていうのはどうかな?」


「そう聞きながら、もう頭の中では考えがあるんでしょ?」

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