第6話 浸食される地下世界

 上に行くには、僕たちが失敗した壁をジャンプして越えなくてはならず、下へ行くのは簡単だが、自分たちから追い詰められに向かうようなものだ。


 ぺタルダは、考える余地なんてないでしょ、と言わんばかりの呆れ顔で言った。


「ここに敵がいるなら地下世界にいる意味ないでしょ。だったら、まだ行き止まりのない地上世界にいた方がマシよ。……出るわよ、外に。

 ワンダとマナと合流したいけど、それも後回しね……。いい? アル。今は自分の命のことだけを考えなさい」


「だ、だからっ! どうやってあの壁を越えるのさッ!」


「アルも私も、運動神経は良い方でしょ。樽を背負って階段を上がったり、下がったり、不安定な足場を多く歩いて足腰が鍛えられたんだから、きっとできるわよ」


「……一体、なにを考えているの……?」


「ゆったりと動いてこっちに近づいてきてる、ちょうど良い高さの足場が、ほらたくさん」


 指を差すぺタルダの考えに、僕も思い至り、近づく生物とぺタルダを交互に見る。


「……本気?」


 ぺタルダは頷かずに僕の手を引っ張った。

 ……確かに、切り抜ける方法はそれしかない。


 不幸中の幸いか、僕たちを狙っているために、僕たちに向かって集まってきている球体だった生物たち。越えなくては進めない壁は、一度失敗した僕たちのすぐ真後ろにある。


 今は敵が、わざわざちょうど良い位置へ、自ら向かってきてくれているのだ。


 ぺタルダの作戦は実現不可能だとは思えない……。


 どちらかと言えば現実的で、最も可能性が高いと思える作戦だった。


「で、でも、いくら動きが鈍いと言っても、大人と同じ大きさの体をよじ上って、そこからジャンプをするにも、その間に体のどこかを掴まれたら……」


 嫌な想像が膨らむ。

 掴まれて、引きずり下ろされて……、


「そこまで安全なわけないでしょ。使う足場は、一つか二つよね……だから助走をつけるの。相手の動きが鈍いんだから、一旦、壁から離れてから切り返して壁に向かっても、相手は私たちに反応しても、素早く追うことはできないでしょ。

 できて、その場で振り向くくらいよ。だから便利な足場なの」


 相手の振り向きを利用して、一瞬の停止を狙って、足場として使う。

 動きを止めることができ、しかも高く飛ぶための助走にもできる。


 理屈は分かる……けど、都合が良すぎるからこそ、躊躇ってしまう。


 追い詰められた僕たちが有利な状況だ。

 ……バランスが取れているとも言えるが。


 不安材料を出して悩んでいる余裕なんてないほど、今は追い詰められているけど、このままぺタルダに従っていいものか、と足が震える。ぺタルダの案を否定しているわけじゃなくて、相手の得体が知れないからこそ、決めつけは良くない気がするのだ。


「でも、こうして僕たちを発見できているのに、動きは遅い……。足を引きずっているわけじゃないのに……。思っているほど危険じゃ、ない……?」


 作戦を思いついたぺタルダは、この点に目を瞑っているのか、見えていないのか……。ぺタルダのことだから、分かっていながらも、あえて無視しているのかもしれない。


 飛び込んだら危ないと頭の隅で心配していても、

 なにもしなければ確実にこっちがやられるのだ……。


 生きるために必要なリスクを取った結果なら、僕から言えることはない。


「……アル、動かないと……っ」


 そうこう僕が考えている間に、さすがに遅いと言っても、大した距離は離れていなかった。

 ゆっくりとした歩みで、もうすぐ傍、前方、五メートル前まで迫っていた。


 ……やるしかない。


 実際に近くに立たれると、自然と歯を食いしばってしまうような見た目とおぞましさだった。


 まるで後ろに立たれた圧迫感で、押し出されたような感覚のまま、僕たちは飛び出した。


 僕は右へ、ぺタルダは左へ。

 左右に散り、しばらく走って切り返した後、再び集まるような軌道を描いて、目的のために走っていたが――現れた予想外が、描く軌道を塗り潰した。


 への字で生えていた木の枝のような腕が、いま伸びたのだ。


 僕の目の前の地面を強く叩いて、陥没させた。……僕が足を止めたからこそ、偶然、避けられた攻撃である。……一本の腕が伸びるなら、じゃあ残りの五本も……。


 ぺタルダも僕とは逆側で伸びた腕に戸惑い、足を止めていた。


 ……嫌な予感はこれのことを指していたのだ。

 しかもこの伸びた腕、射程範囲が長い。


 体の動きの遅さをカバーし、

 しかも腕が伸びる速度に関しては、目で追えるレベルだが、速い。


 僕たちの自由度はほとんど奪われたと言ってもいい。


 ……ダメだ、動けないよ……。動いたら、だって――。

 五本指で掴まれたら、それこそ本当の終わりを意味している。


「走って、アル!」


 ぺタルダの叫びに僕の足が思わず動いた。僕を追う腕が、一本もないことに奇妙さを感じながらも、作戦を思い出して、ジグザグに、相手を避けながら再び走り出す。


 きっかけの張本人であるぺタルダの足は、なぜか止まったままだ。


 だから叫び返した。

 すると周囲にいる敵の体内を流れる赤色が、顔の向き関係なく、僕の方へ近づき、遅れて首が回る。まるで、ターゲットがぺタルダから僕に変わったような、分かりやすい変化だった。


 僕は既に切り返している。

 助走をつけて、壁に近い位置にいる一体の老木のような生物めがけて、全力疾走。


 多少、躓きながらも、歩幅を調整しながら不格好に走り、一度目のジャンプをする。


 僕の後ろの地面を打つ、複数の伸びた腕を、音と気配で感じながら、相手の水平になっている肩を足場にして、二回目のジャンプ。

 腕を伸ばし、指も、根元からあと一関節でいいから増えろッ、と念じるようにぐいっと伸ばし、さっきと違って、肘の辺りまで、壁の上に到達した。

 ここまでくれば、上がるのは簡単だ。


 しかし、登り切ってもまだ終わっていない。

 ぺタルダがまだなのだ。


「アルッ」


 足場からジャンプしたぺタルダが、手を伸ばして僕の目をじっと見ていた。


 空中にいるぺタルダの速度がゆっくりに感じる。

 なのに、僕が伸ばす腕の速度は、いつもと変わらなかった。


 ぺタルダの手を掴んで引き寄せる。勢いを支えられず、背中から後ろへごろごろと転がり、数回転したところで、止まった。

 僕たちは抱き合った体勢で、二人して、ふぅ、と息を吐く。


「……ね、上手くいったでしょ?」

「そうだけど……」


 寝転がって見つめ合う僕たち。

 ぺタルダは自慢げな表情をしていたが、いや……。


 結果、上手くはいったけど、思い切りは喜べなかった。

 束の間、少しの休憩も、相手は許してくれない。


 茶色い樹皮のような腕が伸びて、手の平が僕たちと同じ地面につく。


 相手はジャンプをしなくとも、腕の伸縮や力によって、壁をいとも簡単に飛び越える。


 相手にとって障害など、大した動きの枷にはならないという証明を見てしまった。


「ぺ、ぺタルダ……ッ」

「わ、私ばかりに頼らないでよ!」


 敵の胴体が伸びた腕の力によって持ち上がり、僕たちと同じ舞台へ足をつける。


 一体だけではなかった。

 続々と僕たちを追って、壁を越えて、こちらに向かってくる。


 下の階に置いていた燭台を握り締めている敵もおり、暗闇も照らされてしまい、視覚的にも誤魔化せない。


「に、逃げよう! もう壁はないんだから、ただ走るだけで追いつかれるはずはないし!」

「そうよね、そうなのよねっ!?」


 しかし、ただ走るだけなのに、まるで足が絡まったように躓きながら、前に進む僕たち。夢中になっていたので気づけなかったが、無意識に握っていた互いの手のせいで密着していたのだ。


 走っている最中に肩が当たり、肘も振り切れずに、走りにくい……っ。


「アルっ、ちょっと、なんで手なんか握ってるのよッ!」


「ご、ごめん! で、でもぺタルダだって離してくれなくてっ」


 近距離で言い合いをしていると、横の壁が崩れ出した。

 土砂崩れのように目の前が塞がれて、大きく迂回しなければ先へ進めない。


 自然現象ではない。

 相手が僕たちを巻き込もうとして、しかし思い通りにはいかなかったのだろう。


 壁に張りついているのは、六本腕と二本の足を持つ敵だ。

 への字の腕の五本指が、壁にめり込み、体を支えている。まるで虫のようだ。

 なのに見た目が人型なのだから、頭になかった組み合わせで、気持ちが悪い。


 盲点だったのは、相手の動きは遅いが、それは足を使った場合だった。

 腕を伸ばし、その先でなにかを掴んで引っ張れば、伸縮を利用して、体を急速で移動させることができる。せっかく稼いだ距離も、一瞬で差を縮められた。


 崩れた土砂に突っ込んだり、地面に埋まったりと加減は利かないようで、中には自滅している敵もいる。だが決して、息絶える個体は存在しなかった。……やがてゆっくりと動き出す。


 たくさんの矢のように、遅れて登ってきた敵が、僕たち目がけて、突っ込んでくる!!



「土砂の後ろに隠れるのよ! こんなの、手がつけられないッ!」

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