【警告】―地下世界から出ないでください―

第1話 地下世界の少年少女

 暗闇の中。


 先端に炎を灯した燭台を背負って周囲を照らし、目の前の視界を確保する。

 地上に近いので、僕たちの声も自然と小さくなっていく。


「ね、ねえ、ぺタルダ……こんなに上がってきても大丈夫なの……?」


「大丈夫よ。もしも大丈夫じゃなくても、水を汲みにここまでこなくちゃいけないんだから、いい加減に覚悟を決めなさいよ」


 両手両足を使って、斜面の突起を掴まなくては進めない道を、すたすたと進んでいくぺタルダの後を、拙い手つきで追う。


 角度が急でなくなった、緩やかな坂道に到達したその目の前——、天井から落ちてくる水滴が真下の窪みに、水溜まりを作っていた。

 ぺタルダが小さな桶を使ってすくい上げ、僕が持つ子供くらいの大きさの樽に注いでいく。


「……ぜんぶ入れたのに、ぜんぜん溜まってないね」


「そうね。見れば分かるわよ。……さっ、早く離れましょう。

 水滴が落ちる場所はここだけじゃないって分かってるでしょ。次の場所に行くわよ」


 僕の代わりに樽の蓋を閉めるぺタルダ。

 身軽な彼女はきた道を軽快に下りていく。

 燭台と共に、少量だが水が入った樽を背負って下りるため、僕は少し手間取ってしまう。


「ぁっ」


 浮遊感があったと思えば、お尻を強く地面に打ってしまう。驚きの方が強く、数秒、放心してしまうが、遅れてやってくる痛みによって意識が取り戻される。


 足を滑らせ、五メートル程度の高さを滑り落ちたらしい。


 僕の悲鳴に気づいたぺタルダが、一度下りたところをわざわざ上がってきてくれた。


「――なに今のっ! なにがあったの!?」


「足を滑らせちゃっただけだよ……。大丈夫……痛っ」


 腰を上げようとしたら、鈍い痛みが走り、再びお尻を地面につける。


 はぁ、と溜息が目の前から聞こえた。……ぺタルダはまた僕のせいで作業が進まないとうんざりしているのだろう。

 小さな声でごめんと言ったけど、ぺタルダの表情は一ミリも動かなかった。


「少し休むわよ。私も疲れちゃったし」


 立てない僕の隣に腰を下ろすぺタルダ。

 体が触れ合うくらいに密着している……、少し肌寒いけど、僕は寒さを訴えたわけではない。


「でも、寒いでしょ?」

「い、いや……思ったよりは全然……」

「寒いわよね?」


 寒いと言うまで粘る気満々の答えに、僕は観念して、はいと答える。


 ならこのままでいいわよね、と動く気がなさそうなぺタルダだった。


 肌と肌が触れる。……少し照れくさい。

 隣をちらっと見れば、同年代の女の子の横顔が間近で見れる。


 桜の花の色をした綺麗な髪の毛。

 左右に分けられた前髪の間にあるおでこが特徴的だ。


 じっと彼女に見惚れてしまう。

 女の子と共同生活をしていて、なにも感じないはずがないのだ。


 視線を感じたのか、んっ、とぺタルダが僕を見て、ばっちりと目が合ってしまった。


 咄嗟に逸らすが、絶対に誤魔化せていなかった、と断言できる。


「なによ、私をじっと見て……なにか用なの、アル?」

「な、なんでもない……」


 ふーん、と疑うような声が聞こえても、僕は彼女の方を向けない。

 勝手に盗み見て、気持ち悪い、とでも思われているのかもしれない。


 そうじゃない可能性に賭けているので、見れば分かってしまうぺタルダの表情を見ないようにしているのだ。


「なんでこっちを見ないのよ」


 一瞬、目を瞑っていた隙に、ぺタルダが移動をして、僕の目の前にいた。

 四つん這いになったぺタルダは、僕の太ももに手を置き、顔をずいっと伸ばしてくる。


 おでことおでこが触れ合いそうな近距離で、がんっ、と、次にはおでこをぶつけられた。


「理由もなしに目を逸らされるとこっちもショックなんですけど」

「ご、ごめん……でも本当になんでもないんだよ?」


「嘘ね。どうせネガティブなことでも考えていたんでしょ? 私のことをじっと見ていたことに気づかれて、気持ち悪いと思われたかもしれない、とかね」


 全部、ばれてた……っ、じゃあ、わざわざ追及しなくてもいいのに。


「だって、そうした方が面白そうだし」

「面白そうって……」

「私のことをじっと見て、なにを考えていたわけ?」


 にやりと笑みを作って、さらに僕に近づいてくるぺタルダ。

 吐息が耳にかかって、心臓がばくばくと鼓動している……。


「な、なにをって……――」


 その時、水面に波紋が作られる程度の振動が、地下世界を揺らした。


 いち早く気づいたぺタルダが、僕を壁に押し付ける。彼女と壁に挟まれた状態だ。


「ぺ、ぺタルダ」

「静かに。聞こえないとは思うけど……、一応、静かに、ね」


 入念に、六十秒以上、壁に張りついて音を立てないように潜んだ後、ぺタルダが離れた。


 僕たちは真上、天井のさらに上を見つめる。


「アル、怪我は大丈夫? ……水、早く汲んじゃおう」


 痛みは引いていなかったが、近くにいるかもしれないことを考えると、のんびりと休んでもいられなかった。


「分かった」


 僕は立ち上がり、残りの水滴が滴る場所を回るために、行動を開始する。


 三分の一にも届いていなかった樽の中身は、五か所を回っている内に、八割以上の水を溜めている。さすがに僕一人で持てる重さではないので、帰りはぺタルダにも支えてもらって――、二人がかりで、上ってきた道を下って戻る。


 下に行くにつれて、自然のままである斜面から、下りやすい階段に変わっていく。

 人の手が加えられているため、僕たちが生活をしている拠点に近づいている証拠だった。


 やがて、似たような壁でも、僕たちには分かる見慣れた景色に安堵する。


 背負った燭台がいらないくらいの明かりが見えて、張っていた気を二人して緩めた。


 往復で一時間はかかる道のりだった。しかも水を汲んでいた時間を含めたら、三時間以上はかかっている。僕もぺタルダも、緊張感による疲れもあり、全身がくたくただった。


 階段を下り終えてすぐ、目の前の入口も通らずに、その場に座った。


 重たい樽を置いた音に反応して、足音が近づいてくる。洞窟の穴のような入口の先に広がる、開放的な空間から顔を出したのは、僕たちの保護者的な存在である、マナさんだ。


 バンダナを頭に巻いた彼女は、僕たちを見て安堵し、まず腰を低くして僕を抱きしめた。


「おかえり、アル。はぁ、ほんとに無事で良かったよー……っ」

「た、ただいまマナさん……」


 長いこと、三十秒ほど抱きしめられた。

 やっと解放されたと思えば、よくできました、と頭をぽんぽんと撫でられた。


 マナさんの中では、僕はいつまで経っても子供のままらしい。


 ぺタルダも同様に、一連の流れを受け取って、先ほどの微かな振動を報告した。


「揺れ? ううん、私は全然、気づかなかったけど……――」

「じゃあ、地上の近くにいた私たちにしか分からなかったのね」


「二人とも、あんまり上の方には行かないでね。

 大丈夫だとは思うけど、もしも地下世界に入ってこられたら――」


「いずれ気づかれそうな気もするけどね……」


 ぺタルダとマナさんの会話を聞いても、僕にはいまいちぴんとこない。まったく分からないでもないけど、僕は二人が言っているであろう『相手』のことを、実は見たことがないのだ。


 僕たち、人の姿をした種族が地下世界へと逃げながら生活をしているのは、地上世界には大きな力を持つ生物がいるからなのだ。

 僕たちが地上世界に出れば、数秒もしない内に食べられて終わりだと、覚えている限り、最初からそう言い聞かせられている。


 実際に体験したわけではないけど、それが常識だ、と言える知識だった。


「とにかく、心配だからあんまり上の方には行かないことっ。無理に水を汲みに行かなくても大丈夫だからね。今日はご苦労さま。本当は、ワンダくんに頼もうと思ってたんだけど、まだ帰ってきてないから……。私も、食事の準備をしなくちゃいけないし……」


「いいわよ別に。ワンダにはよく頼まれてるし。ねっ、アル」


「うん。散歩にもよく連れていかれるから、道もだいたい知ってるよ」


「そ、そうなんだ……。ワンダくん、二人を外に出さないようにって、自分で言っていたのに」


 僕とぺタルダとマナさん、そしてもう一人の同居人が、ワンダさんだ。

 マナさんと年齢が近く、保護者的な存在ではあるんだけど、その役目を全うしているかと言われたら、素直には頷けない。

 色々と教えてはもらっているけど、気分で意見がころころと変わる自由人なのだ。


 自分勝手とも言う。


 しかし、危険な地上世界に出て、食糧を調達してくれている僕たちの生命線でもある。


 ワンダさんがいなければ、僕たちは餓死するか、無理に地上世界に出て捕食されるかのどちらかだ。中でも一番の功労者なので、マナさんもワンダさんの自由人ぶりにはあまり文句を言えなさそうだった。


 それにたぶん、マナさんはワンダさんのことを……好きなのだと思う。


 だからこそ無意識に甘やかしてしまうのかもしれない。


 ……まあ、元々の性格もあるだろうけど。

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