第25話 ――ここにいる理由
なにを、と聞くのは野暮だろう。
だからなにも答えず――そして思考が、かき混ぜられる。
プリムムの唇が近づき、触れ合う瞬間に、おれは寸前で、理性を取り戻した。
「――それは、ダメだ」
プリムムの肩を押し、距離を取らせる。……こんな簡単にしていいものではないだろう。ただの遊びで奪っていいものではない。
恐らく、プリムム側の幻想始人が指示をしたことなのだろうが、さすがにこれは、一つ文句を言わないと気が済まなかった。
「やり過ぎだよ。これじゃあ面白いものなんて見せられない」
『そんなコトはないサ。こっちはじゅうぶんに楽しませてもらっタヨ』
くすくすと笑うジャックランタンは、笑い声を押し殺せていない。
会話しながら何度も吹き出していた。
「ロク……、えっと――」
「あ、プリムムはシャツ、着た方がいいよ。
温かいけどさすがに肌を見せていたら寒いでしょ?」
隣に置いたシャツをプリムムに渡す。
受け取ってくれたプリムムは、しかし冷めた目でおれを見つめていた。
「…………ヘタレね」
「その評価は甘んじて受けるよ」
くすくすと笑い声がやんだのは、プリムムがシャツと上着を着直した後だった。
『どうする? もう一回、挑戦するのかイ?』
「しなくていいならしない。
ただ、これ以上は君たちの期待を越えられそうにはないけど」
『やっぱり気づいていたんだ、オレの他の存在ニサ――』
こっちこっちー、と彼が手招くと、プリムムの膝を上にジャックランタンと同じ大きさの『雪だるま』が現れた。
丸みを帯びた靴、四本指の青い手袋、ジャックランタンと同じとんがり帽子を頭に乗せている。表情は笑顔だったジャックランタンとは反対に、無表情だった。
「ジャックフロスト?」
『シッテくれているとは、嬉しいな。キミはナカナカ話が分かりそうなヤツだね』
彼も子供のような声だった。
ジャックフロストの方が、比べて少しだけ高いと感じた。
『タノしませてくれたから、もういいんじゃないかって、ボクは思っているんだ』
「そうなの?」
ジャックフロストを抱えるプリムムが驚く。
そうやって膝の上に乗せていると絵になるな、と思った。
『ウン。それとも、もう一回挑戦して、いくところまでいきたいのかな、キミは』
「そんなこと思ってないわよ」
『ナラ、もうしない。これ以上はカレの言う通りに、期待を越えそうにはないね。
イマのやり取りが最高の娯楽だったと思うね』
ジャックランタンもそれに同意した。
おれとプリムムはほっと胸を撫で下ろす。互いに恥を捨てて演じ切ったのだ、ここまでやって結果を残せなかったら、もう一思いに殺してほしい。
彼らは指先をセイナンに触れさせて、それだけでセイナンの顔色が良くなったと見て分かる。
『いずれ目を覚ますだろうネ。これで契約は満了サ』
『タノしい時間をありがとう。カノジョは最高だったよ、だって指示したのは唇を奪え、だけだったのに、服を脱ぎ出したのは見てて飽きなかったね』
「ちょ――なんで言うのよっ!」
『ハテ、言わないという契約ではなかったはずだよ?』
……なるほどね、プリムムへの指示は、たったそれだけだったのだ。
つまりキスをするまでの道筋は、彼女が考えたもので……。なんというか、誘惑の仕方が赤裸々にばらされた彼女の心情は、計り知れない羞恥で染まっているだろう。
「あーっっ!! あ――――ッッ!」
おれを見られなくなったのか、プリムムは耳を両手で塞いで背を向ける。
……同じだ。おれもプリムムを見られない。
これから顔を合わせづらいというのは、旅仲間としては致命的な障害になるのではないだろうか。……彼らは、おれたちの人間関係をただ掻き回しただけだ。
『仲間の一人の怪我を治した相手だゾ、感謝してほしいものダ』
「それは……、そうだね、感謝してる」
「ね、ねえ、ロクの方は、治してあげるから指示を聞けって、契約だったわけ……?」
「そうだけど、プリムムの方は違うの?」
プリムムは膝の上のジャックフロストの顔を両側から挟んで、
「指示を聞かないとセイナンを殺すって……、なんで向こうと条件が違うのよ……ッ」
『ボクの経験上、救うよりも殺すと言った方が、みんな真面目にやるんだよね』
「――あんた、このまま雪の頭を砕いてやろうかしら」
『ヤメテやめて。でも、すぐに直せるから意味ないけど』
頬が引きつり、かちんときたのだろうプリムムが、膝の上の彼を横に放り投げた。
雪が砕けて、その体は一瞬で消えて、次に空中から飛び出した。
傷一つない同じ体の登場だ。
「人を馬鹿にして……っ。
でも、セイナンを助けてくれたことは、ありがと。感謝してる」
『マタ遊んでもいい?』
「もう二度とくるな」
そう言われるとまたきたくなる、とジャックフロストとジャックランタンが頷き合う。
今回みたいな契約は二度とごめんだが、ただ単にこうしてお喋りをするだけの友人関係ならば、断る理由はない。
『キミたちに良いコトを教えてあげよウ。明日になれば吹雪がやむはずダ。この洞穴を抜けて山を下れば、地下へ繋がる洞窟があル。そこを真っ直ぐ進めば、次の大地に辿り着くはずダヨ』
『キュウケツキの町、とも呼ばれている砂漠地帯だね。ヨカッタね、今度は暑いよ』
「砂漠、ね……、暑過ぎるよ」
そうおれが感想を漏らしていると、ジャックランタンの手に杖が握られていた。杖はランタンになり、ランタンはおれの瞳に宿っているはずだ。それが彼の手にあるということは――、
『しばらくはそのままだろうネ、ただ時間が経つにつれて、キミの目は次第に光を失ウ。この暗闇も、鮮明には見えなくなるヨ』
便利な目だったが、さすがにずっと貸してもらえるわけではないか……当たり前のことだ。代償を払わずに借りる気はないので、返せと言われたら素直に返す。
彼らと別れてもまだしばらく使えるというのは、ありがたい話だった。
すると、え……、と戸惑う声を上げたのは、プリムムだった。
「この暗闇の中、鮮明に見えていたの……?」
「うん。部屋の隅から隅まで鮮明に――って、あ」
プリムムはきっと、暗闇だからこそ大胆な攻め方ができたのだろう。羞恥心もそれで多少は抑えられていた。だが、おれは鮮明に全てが見えていたわけで、本人にこれを伝える気はなかったのだが、すっかりと忘れていた。
思わず口を滑らせてしまった……今更、否定もできない。
「じゃ、じゃあ、わたしの着替えも、表情とかも――」
「ばっちり見えてたよ」
「――ッ、もう、全部、記憶を失うまでぶん殴るッ!」
「プリムム、事情は分かってるから。立ち上がらないで、その拳もしまって!」
だが、おれの言葉を聞き入れようとしないプリムムは、涙目になりながらおれに馬乗りになって――、それからしばらくの間、結構強めの拳が、おれの上半身を叩いていた。
ジャックランタンとジャックフロスト。
彼らは去る前に、こんな言葉を残していた。
きっかけは一つの、おれの質問だった。
『――キミはいつまで、カノジョに希望を抱いているのカナ』
彼の言う彼女とは、プリムムやセイナンのことだと思っていたが、違う。
おれの記憶を覗いた彼が言う彼女とは、現実世界で言う、彼女のことだった。
『キミの今の質問に答えるなら、この世界に人間は一人もいないヨ。キミを除いて、ネ。キミが望んでいる、死んだはずの幼馴染がもしかしたらこっちの世界で生きているかもしれない、という現実逃避は、残念ながら叶うコトはないサ。
つまり、キミはそろそろ認めるしかないワケだネェ。
……記憶を覗いたところによれば、キミは誰かが先導していなければ前に進めていなかっタ――だけど振り返ってごらんヨ。追い詰められれば、キミは一人でも前に進むコトができていル。ここまでの旅の中で、キミは彼女たち仲間二人を、先導しているはずだヨ?
気づいているはずだヨ。キミはもう、一人でなんでもできてしまウ』
そんなことはないよ。おれは、自分ではなにも――。
『ジコ評価が低いのは、謙虚と褒められるコトもあるけど、力があるコトを自覚していないというのは、出せるところで力を出そうとしない、非協力的だと責められる原因にもなる。
キミの力を必要としている人がいる、助けを求めている、でも、キミは自己評価が低いから、手を貸さない。ソノ手には困っている人を助けられる、力があるのに。
――ソレハ、一つの罪になるんじゃないかな』
「…………」
『キミはなんのために、この世界にきたの?』
――――それは。
成り行きだった……? 気づけばここにいたはずだ。原因は分からない。
そう言えば、考えもしなかったことだ。なぜおれは、この世界にいるのだろう?
『イッタイ、誰の手によって?』
「人為的なことだった……ってこと?」
『コウキシンがあるなら前へ進もうよ。先に進めば、分かるはず』
セイナンが目を覚ましたのは、翌日のことだった。
骨折していた腕は元通りにくっつき、違和感なく動く。お腹の大きな穴は、綺麗に塞がっていた。本人はそんな大怪我をしたことなど、まったく覚えていない様子だったが。
「……ロク、いい? 今回のことはセイナンには内緒にするわよ」
と、服を引っ張られ、バランスを崩したおれの耳元で、プリムムが言う。
隠すようなことでもない気がするが……、だが、プリムムに譲る気はなかった。
「たとえ指示されていたとしても、わたしと、ロクが、その……キスをしそうになったとか、あらためてセイナンに言うことでもないでしょ。
セイナンにはわたしが都合の良いように説明しておくから、話を合わせて。いいわよね?」
いいわよね? と聞いてはいるものの、おれに断らせる気はないのだろう。
実際にしていないとは言え、三人グループの内の二人がそういうことをしそうになったというのは、残りの一人からすれば、置いてきぼり感を抱くのだろうか。
……そんな状況になったことがないから分からないが、たとえば知らないところで流々が別の誰かと、深く仲良くなっていたりしたら、悪いことではないはずなのに、少し嫌に感じる。
セイナンも、そう感じるかもしれない。
優しい嘘も必要なのだろうか。聞かれたら、不自然にならないように答えるけれど、自分たちから言うことでは確かにないだろう。
こうして口止めされてしまえば、事実を隠蔽するしかないのだが。
キスはしていないが、プリムムの下着は見てしまっている……、おれもこれについてはあまり説明をしたくはないので、プリムムの意見には概ね、賛成である。
これまでの経緯をプリムムが説明し終わった頃には、外の吹雪がやんでいた。
ジャックランタンの言う通りだった。
「そっか、そんなことがあって……。
無理させちゃったみたいで、ごめんね、プリムム」
「え、ええ。気にしないでいいわよ。わたしたちは怪我とかしてないし」
セイナンはプリムムの説明に、気になる点は感じないようだった。
ただ、おれたちは騙しているという負い目があるので、返答がぎこちなくなってしまう。
妙な間がある方が、セイナンにとっては気になる点だろう。
彼女にとって不信感になる前に、話題を変えてしまう。
「セイナンは、覚えていないかもしれないけど、先に助けられたのはおれたちの方だよ。
雪崩に巻き込まれた後、おれとプリムムを雪崩から救い、亜獣に助けを求めたのは、セイナンなんだから」
この洞穴に運ばれたのも、セイナンが助けを求めてくれたからだ。
彼女の一声がなければ、おれたちは未だ雪の中に埋まっており、既に絶命している。
だからおれたちにとってセイナンは命の恩人である。
怪我をした彼女を助けるためならば、どんな困難があろうとも前に進むだろうと断言できる。
ただ、当の本人は冗談を聞かされているように、えー、と感想を漏らし、
「……そうだっけ?」
―― 第一部 完 to be continued ――
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