ネクスト(?)・プロローグ/大陸の「幻想始人-gensousizin-」

第22話 白の大陸

 踏み出した足を下ろす前、危うく踏みそうになった地面には、積雪に埋もれたプリムムがいた。手を取って立ち上がらせると、綺麗な人型の痕が残っている。


「良かった……雪に足を取られただけで」

「違うわよ。いきなり横から」


 そこで声が途切れたのは、横から雪を固めて作った玉が、プリムムの側頭部に当たったからだった。さっきと同じように倒れたプリムムは、今度は顔から積雪に埋まっている。

 今回は悲鳴を上げなかったが、言葉もない。無言で立ち上がり、体の雪を手で払う。


「あははははっ! プリムムってば隙だらけっ!」


 白と緑の木々の後ろから顔を覗かせていたのは、セイナンだった。こっちも攫われたわけではなかったのだ。

 思えばセイナンには跳躍力がある。足跡を残さずに距離を稼ぐことなど造作もない。離れた地面にはきちんと足跡が残っていた。そこまで遠い距離でもなかったのだ。


 考えれば、出せる答えではあったと今ならば思える。

 まあ、逆でなくて良かったと言うべきか。

 大丈夫だろうと考えて、いざ調べてみたら攫われていたという最悪な結果になるよりは。


 セイナンの足下にはたくさんの雪玉があった。斜面になっているためにセイナンの方が高くなり、地形のせいで彼女の方が有利である。

 真剣勝負であれば不利なこの条件は飲まないのがおれたちらしいが、ただの暇潰し程度の遊びに有利も不利も気にしない。


「ロクは雪玉を作って。わたしがセイナンの顔面に当てるから」


「寒くないの? 体力は? 運動、苦手なんじゃないっけ?」


「寒いし体力ないし運動は苦手だけど、一発でいいからやり返したいの!」


 そういうことなら、全力で協力をしよう。

 ……久しぶりの雪合戦だ。

 得意でも不得意でもないが、玉を作って渡すだけなら誰でもできる。だからおれでもできる。


 思い出される記憶は、隠れながら雪玉を作って仲間に渡し、自分もたまに投げるくらいだった。当たるかどうかは視野に入れていない、ただの牽制球。

 しかし今にして思えば、おれは雪合戦をしていたのだろうか、と怪しいが。


「当たらないよー!」


「じっとしてなさいよっ!」


 寒くて死にそうだったプリムムだったが、今はいつものように元気が戻っていた。

 玉を当てられてムカついたからやり返すため――を口実として使っているが、実は暴れれば体が温まるのではないか、と思ったのかもしれない。


 それか、プリムムだって雪を見るのは初めてらしいのだ、遊びたかっただけなのかもしれない。素直にそう言わないのは、プリムムらしい。


 投げては避けられ、見えてはいるのに当てられて……を繰り返すプリムムは、次第に笑顔になり、セイナンも自分から玉に当たりにいったりと勝敗などもうどうでもよく、楽しむための雪合戦になっていた。

 ……玉は、もう数十個、作り終えている。

 しばらく作らなくても玉がなくなることはないだろう。


 だから一つの雪玉を持ち上げて、投げてみた。

 玉は一直線にプリムムの肩に当たって、彼女がおれを見る。

 ――怒られる! 咄嗟にそう思ったが、プリムムは緩んだ表情のまま、


「むう、やったわね!」


 そしておれたちは、息が上がって疲れて倒れるまで、雪合戦をし続けた。



 体が温まったのはいいが、体力のないプリムムが歩けなくなったのは問題だった。

 はしゃぎ過ぎて、これから使うであろう登山のための体力を残しておくことを失念していた。


 休憩したいがそうもいかない。

 立ち止まっているとまた体が冷えるので、先へ進んだ方がいいだろう。帆船がなくなった今、おれたちは拠点を失っている。後退するという選択肢は最初からないのだ。


 食糧と道具が入ったリュックをセイナンに任せて、おれがプリムムを背負う。おれだって体力はそう多くはない。軽い重い関係なく、人一人を背負えばそれなりに足は重くなる。

 しかも雪山、積雪の斜面。足が悲鳴を上げるのは、思ったよりも早かった。


 セイナンは軽い足取りで先へ進む。いつの間にか姿が遠くに見えていた。


「……ごめんね」


 小さな声で、耳元で言われた。

 最初、誰だか分からなかったが、こんな近距離で聞こえる声などプリムムしかいない。

 弱々しい声で、いつもの自信もなかった。

 寒さが彼女の精神力まで奪っているのかもしれない。


 そういうおれだって、既に心は折れている。今にも倒れそうだが、踏ん張って堪えているのは背中のプリムムにこれ以上の負荷を与えたくないためだ。

 自分だけであればとっくのとうに諦めていた。

 まったく、厄介な荷物を持ってしまった……、しかし、その荷物は大切なものだ。


「気にしないで。でも、悪いと思っているなら話でもしててよ。

 無理やりにでも会話をしないと、寒さだけを感じることになる」


 それも理由の一端だが、本命はプリムムがおれの背中で眠らないためだ。

 彼女には、常に思考を回転させてもらわなければならない。


「話って、言われてもね……」


「なんでもいいよ、童話でも神話でも妄想でも願望でも、なにか話していてほしいだけ」


 そうね……、とプリムムが思考を動かし始めた。

 語られたのは童話だったが、おれの知らない物語だった。亜人街に言い伝えられているものらしいので、おれが知らないのも当たり前だ。

 逆に、おれが知っている童話は、プリムムは知らなかったみたいだ。


 いくつかの話を聞きながらだと不思議と足も軽さを取り戻し、セイナンの元へ追いつくことができた。寒さは変わらない。だけど心は温かい。

 具体的なことはなにも言えないが、なんと言えばいいのか……。とにかく、体の芯まで凍ることはなかった。耳元でプリムムが囁いてくれる度に、体に力が宿っていく。


 景色も気づけば木々が減り、突出した岩が多くなっている。

 足も滑りやすくなってきていた。杖でもあれば、雪に突き刺してバランスを取ることもできるのだが……、ないものは仕方がない。


 時間の感覚が既になかった。

 今は一体、一日のどこなのか。日は出ているから夜ではないとは思うのだが……。


「セイナン、ちょっと待って。さっきよりもこの辺り、急斜面過ぎない……?」


「そうかな? じゃあちょっと横にずれる? でも、ここ一帯、変わらなそうだけど……」


 この辺りの積雪がいつのものかは分からないが、積もったのが夜明け前だった場合、日が出ている今とは、雪の温度が違うはずだ。


 平地ならなんの心配もないが、問題はここが急斜面であるということ。重さを支えられる土台の雪が、温度によって大部分が溶けてしまっていれば、後は衝撃がなくとも重力だけで簡単にそれは起こる。


 周囲の静けさが、嫌な予感を助長させる。すぐにここではないどこかへ移動するべきだ。

 だが一歩でも動けば、それが引き金になってしまうかもしれない――。


 ――セイナンは、今の状況の危険性を分かっていなかった。


「じゃあ、あたしが歩きやすい道があるか見てくるよ。ロクはここで待ってて!」


 止める暇もなかった。

 セイナンが足を強く踏み出したことで、積雪を支えていた土台が、


 平らだった積雪の表面に亀裂が入り、左右、広範囲が砕け始める。

 圧倒されるほどの物量が、急斜面によって流れ、やがて加速させる。

 逃げる道も時間もなかった。

 あっという間におれたちを巻き込む雪崩は、雪山に棲む悪魔だ。


 巻き込まれれば、生存率はかなり少ない。

 もしもおれたち三人が埋もれてしまった場合、命が助かる可能性はないと言えるだろう。



 ……覚えていない遠い記憶だが、おれにも赤ん坊の時代があった。


 よく母親に背負われて外出していたはずだ。

 若き日の母親のうなじ。

 肩越しに見える自分の目で見るのとは少し違う景色。


 歩く度に規則的に体が揺れる。それがまた、覚醒した意識を眠りに誘う。

 起きていたい欲を上回る眠気のせいで、持ち上げたまぶたがやがてゆっくりと下りていく。


 ――そんな夢を見た。


『……ねがい、――は、どうなっ――も。……から――たすけ、て……』


 ――助けてッ! と、耳の奥を衝撃が襲った。



 ――呼吸困難のような苦しみと共に、目が覚める。

 原因は、誰かの叫び声だった気がするが……、遠くから聞こえる吹雪の音のみで、周囲には助けを求める誰かどころか、なにもない。


 真っ暗闇だった。


「……かっ」


 体が動かしにくい。動けと命令しても、実際に動くまで時間がかかる。

 動かないこともないが、添え木でもあるかのように、関節が思った通りに曲がってくれない。


 そもそもの話、手や足の感覚がない。

 はめた鉄の手甲を叩いているかのような鈍い感覚だった。


 足は、地面を踏んでいる気がしない。

 感覚がなさ過ぎて、まるで宙に浮いているかのようだ。


 ところが唐突な浮遊感があった。

 一瞬ではあったものの、宙に浮いている感覚は正解だったらしい。

 いくら鈍くとも、足が地面に触れている感覚は、今のおれでもきちんと分かる。


 暗闇だが、開けた場所に出たと分かった。

 緑色に見える――よく知る似たものを言えば、ブラックライトの中に浮かぶ光のようなものが、大量に壁に張りついており、周囲を照らしていた。


 おれの隣には人影が二人。気配を感じて後ろを振り向けば、熊よりもさらに一回り大きな、しかし見た目は犬のような……、

 緑色のせいで分かりづらいが、恐らくは青色の体毛をした、狼……がいた。


 ドーム型の壁に囲まれ、出入口が一つしかない行き止まりの洞穴と、大きな亜獣。

 雪山と言えば、洞窟と熊を連想する。おれたちは餌なのではないかと思ったが、狼であることに思い当たる節がある。

 ……セイナンだ。彼女は確か、狼の亜人だった気がする……。


 おれを運び終えた後、狼の亜獣は背を向けて立ち去っていく。

 ……冷静になって考えてみれば。

 防寒着には雪がこびりついている。


 白い膜のように、服をコーティングしていた。

 手足は固まったように動かない……、固まっているのは、つまり凍っている、ということだ。

 さっき目が覚めたというのは、それまで意識がなかったことを意味する。まだ、餌をただ蓄えている可能性も捨て切れないが、あの亜獣はおれを助けてくれたのではないか……?


 凍っていた手足は、ここに運ばれてから段々と感覚を取り戻していた。この場所が、とても温かいのだ。そろそろ防寒着がいらないくらいにまで、体は体温を取り戻しそうな勢いだ。


 おれよりも先に運ばれていた二人は、より体温を取り戻しているはずだろう。


 二人の防寒着は、こびりついていた雪が溶けて液体に変わり、湿っていた。

 不快感もあるが、水を纏っていることに近い今の状態では、せっかく体が温まっていたのにまた冷やしてしまっている。

 上着だけであれば、簡単に脱がせることができる。……ただ、躊躇ってしまうが。


 セイナンは、体を揺すっても起きなかった。諦めて、プリムムを起こそうと体を揺すると、嫌そうにおれの腕を振り払う……、反応があるだけでもありがたい。


 ゆっくりと寝かせてあげたかったが、そうもいかなかった。


 足りない記憶の埋め合わせをしたかったし、限りなくそう見えるとしても、ここが安全地帯なのかどうかを相談したかった。

 やはりこういった相談をするなら、プリムムの方が話が合う。


「な、なんなのよ……」

「相談、というか、意見交換をしたい」

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