第21話 船旅の終わり……
久しぶりに三人で机を囲む。セイナン主導で始まったこの会議は、主に今回のアナベルによる事件? ……の、反省である。
「身に染みて分かったと思うけど、二人とも、人の言われたくないことをいちいち掘り出そうとすると、こうなるんだからね」
「やり出したのはロクだから」
「プリムムも、仕返ししなくていいでしょ」
怒られて、うっ、と言葉に詰まるプリムム。いい気味だな、と心の中で笑っていたら、セイナンに、クズを見るような冷たい目を向けられた。
……プリムムのように、怒りを向けられ、睨まれていた方がどれだけいいか……。プリムムの優しさが、いま分かった。
「発端はロクなんだから……もう二度としないように。プリムムの仕返しが効いたでしょ? これに懲りたら、力づくで言わせようとか、人の秘密を暴こうとか絶対にしない。分かった?」
「でも、隠しごとはなしってプリムムが言ったんだよ?」
「臨機応変に。ロクだって言いたくないことの一つや二つあるでしょ? それをわざわざ言わなくちゃいけない、ってことでもないんだから。――分かった?」
頷く。頷かないといけない気がしてきたので、ほとんど頷かされたようなものだった。
「はいっ! じゃあみんな仲直りできたってことで――もう、わだかまりはなしね。後々になってこの件を引き合いに出さないように。解散!」
手をぱんっと合わせて、集まりを締めるが、解散と言われても仲直りをした今、この広間から出る理由もなく、おれたち三人は椅子に座ったままだった。
特に会話もなく、波の音が聞こえる静かな空間だったが、嫌ではなかったし、無理に会話を探そうともしなかった。
人が集まれば、必ず会話をしなくてはならない、なんてルールはない。集まったみんなが意識してしまうと、その集まりはきっと一緒にいれば疲れてしまうだろう。
おれたちはそうではない。こういうなにもない沈黙が落ち着くのだ。
「温かい飲み物でも、どう?」
プリムムが腰を上げて言う。おれとセイナンは、うん、と頷いた。
やがて用意された、船に備え付けてあったコーヒーを喉奥に流し込みながら、
「太陽光を浴びると体が消滅するこの帆船のアナベルなんだけど、解き方が分かったと思う。間違っていたら、悪いけど……」
「間違っていたらとか、気にしないから。根拠はなんなの?」
「帆船に乗った初日、太陽光を浴びてもおれたちは消えなかったでしょ? でも翌日からは消えるようになっていた。……で、その間にしたことと言えば、帆船の破れた帆を直したことくらいだと思ったんだ。だから逆に考えれば――」
聞きながら、プリムムとセイナンも、そう言えば……、と納得していた。
「逆に考えれば――帆を、破ればいいの……?」
「びりびりに破かなくとも、最初に見た時のような規模でいいんだと思う。どこか一か所でも穴が空いていれば、それでアナベルは機能しなくなるんだろうね。
というわけで、朝になる前に破いちゃおうか。
針があればどうとでもなるし――二人とも、手伝ってくれる?」
――もちろん。
二人の頷きに腰を上げて、おれたちは仲直りをした後、初めての共同作業に着手する。
作業は簡単だった。針を帆に突き刺して、文字を書くように引いてしまえば、そこから力づくで帆に穴を空けることができる。
推進力は弱まるが、たったの一か所、体感的に違いは分からない。
夜が明けて、朝になる。
念のためにおれが太陽光に腕を出してみると、体は消えなかった。どうやら推測通りに、アナベルの現象は力を失ったらしい。
太陽の光を久しぶりに浴びたプリムムは、思い切り腕を上げて背中を伸ばす。んー、と気持ち良さそうな声が途切れて、おれが目を向けると、彼女は彼女らしくなくぴょんと跳ねて、進行方向を指差した。
「あれっ、見えた! やっと海を渡れたのよ!」
「――島。いや、先にも続いている――じゃあ、大陸?」
視線の先に見える大陸は、真っ白だった。最近、肌寒くなっているなと思えば、なるほど、次に到達する大陸の、最初に足を踏み入れる場所は、雪の大地だった。
海を知らない二人が雪を知っているのか分からなかったので、一応、忠告として、剥き出しの細足を心配しながら伝えておく。
「……あそこ、すっごく寒いけど、服装はどうするの?」
船員室には冬山を登るために最適な、防寒着が用意されてあった。白、緑、黒と、それぞれが経年劣化で色がくすんでしまっているが、機能は充分だろう。
制服の上から上着を羽織り、ズボンを穿く。
内側の厚い毛が身を包んで、温度を逃がさない。
フードを被れば寒さ対策はばっちりだろう。
後ろの二人も防寒着に身を包んでいる。おれが緑色で、プリムムが白、セイナンが黒になった。積もった雪を踏んでも肌まで染み込んでこない長靴を履き終えると、帆船が陸に着いたようだった。防寒着のおかげで感じにくいが、制服のままであれば船室でもかなり寒いだろう。
甲板に出ると寒さが鋭さを増す。
服に包まれていない肌だけが突き刺されたように痛い。
「寒いっ、でも雪だ、真っ白だ!」
「海を見た時と反応が変わらないな……あれ? プリムムは?」
甲板の手すりから体を乗り出してはしゃぐセイナンだけしか、まだ出てきていない。
一緒に着替えていたはずのプリムムの姿は、いつまで経っても現れなかった。
「ロク、先に下りててもいい?」
「いいけど、プリムムはどうしたの?」
「寒さと戦ってるよー」
そう言い残して甲板から跳躍。積もった雪を踏みしめて、さくっ、という気持ちの良い音を鳴らしていた。彼女は積雪に自分の足跡をつけながら、先へ進もうとする。
一人で先にいかないでね、と釘は刺しておいたので、はぐれることはないだろう。
雪山のふもとだからか――海岸だからか、吹雪がないのはありがたい。上にいけば出会うことにはなりそうだが、現時点で吹雪いていれば、おれでさえも心が折られていただろう。
たぶん、プリムムはもう既に心が折れているのだろうが。
大広間には、温めたコーヒーを飲みながら落ち着くプリムムがいた。寒さのせいで既に頬が赤くなっている。見えていないだけで、おれもたぶん、こんな風に赤くなっているのだろう。
「……朝、こたつから出られず学校にいきたくないって駄々をこねる『流々』みたいだな」
「なによ。だって、寒いのは苦手なのよ、暑いのも苦手だけど……。
本当にこの中を進むの? 船で迂回して、別の海岸から先に進まない?」
「寒過ぎるのも暑過ぎるのも苦手、ね。大概の人はそうか。……おれも迂回したいけど、この船の舵が壊れてるって言ったよね。つまり、真っ直ぐにしか進めないんだよね。
横から叩いて進行方向をずらせば、できないこともないけど、船体が壊れるし、おれたちにそんな力もないし……、
それに、雪を見て嬉しそうなセイナンに、ここは通らないよとは言えないよ」
「……なんか、セイナンに甘くないかしら」
「そんなつもりはないけど、命の恩人だから、なるべくやりたいってことはさせてあげたいとは思ってる、かな。
じっとしてると逆に寒いよ。動いていれば自然と温かくなるから、ほら」
手を伸ばすと、プリムムは寒さに嫌がりながらも、おれの手を掴んだ。
寄り添って甲板に出る。船室とは桁違いの寒さに驚いたプリムムは、手袋をはめた両手に息を吹きかける。白い息が、プリムムの顔を覆っていった。
リュックに詰められるだけ詰めた食糧と道具。男のおれがリュックを背負って、二人で船から下りる。雪を踏んで数歩、歩くと、下ろしたはずの碇がはずれた音がした。
帆船が後ろ向きで海岸から離れていく。それを見ても、おれは焦らなかった。
プリムムも慌てた様子はなく、おれをじっと見つめて、
「……分かってたみたいな顔をして。
……そのおかげでわたしも焦らなかったけど。船はこれでいいの?」
「いいもなにも仕方ない。こうなりそうだなって、予感だったけどね。ずっとここに置いていて、無事であるとも考えづらいから。見えている内になくなった事実が分かって良かったよ」
森に比べれば、少々寂しい、雪を積もらせた木々と、広がる真っ白な雪原。
平らな表面に作られた目立つ凹みは、セイナンの足跡だ。辿ってみるとずっと奥へ続いている。先にいかないで、と釘を刺しておいたが、だから安全、とは言い切れない。
彼女にとって向かう場所のどこからが『先』なのかは、彼女にしか分からないのだから。
「遠くにいっていなければいいんだけどね」
「目新しいもの好きなセイナンも、一人で登山する気はないでしょうから、きっと大丈夫よ」
どうだろうか。確かめるためにも、セイナンの後を追うとしよう。
足跡を辿っていくと、やがて道が斜面になっていく。山に近づいたのだ……、するとそこで、足跡が消えていた。
右にも左にも、後ろにも、足跡は一つしかない。
一方向から進んで、ここで足跡が止まっている。ぱっと、この場で姿が消えたように……。
吹雪いていれば、積もった雪が足跡を消すこともあり得るが……、
しかし、今は雲一つない快晴であり、降雪もない。
セイナンは、一体どこに……?
「……もしかして、攫われた?」
プリムムが呟いた。
空中を飛ぶ何者かに掴まれて、連れ去られた。そう考えれば、足跡がここで途切れたことも納得できる。空中を飛ぶ何者かなど、いないと否定できないのが、可能性がありそうだと言える根拠になる。
見たことのない亜獣がいるとすれば――、
こうしているおれたちも危ない。
「――きゃっ」
小さな悲鳴が後ろから聞こえ、振り向いた時には、プリムムの姿が見えなかった。
上を見る、空を見渡したが、プリムムはどこにもいない。
――攫われたとして、早過ぎるっ!
「プリムム!」
「…………ロク、下にいるわよ」
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