第18話 ある仕掛け

「セイナンがなにを釣ったのか知らないけど、正解不正解はともかく、答えることで達成できるなら、なんでもいいんだろ? ――おれは、魚だったらあゆが美味しいと思うよ」


 ――すると、怪物の動きがぴたりと止まる。

 昼間に見たものと同じ黒煙が舞い上がり、怪物の肉体が消滅した。その中から顔を出したのは、セイナンだった。


 彼女は受け身を取れずに床に腹を打ち、あたっ、と声が漏れ出ていた。久しぶりに彼女を見て思わず抱きしめそうになったが、おれが出るよりも早く、プリムムがぎゅっと抱きしめていた。


 セイナンは子供のように顔を胸に埋めて、言葉なく力だけを込めるプリムムに、耳元で囁く。


 微笑と共に、


「……ただいま」



 セイナンが戻ってきたことに安心したのか、怪物が去ったことで緊張感が解けたのか、その両方かもしれない……、セイナンの胸に顔を埋めて、プリムムはそのまま寝息を立てていた。


 さり気なくプリムムの頭を撫でるセイナンは、その行動に自覚がなかった。

 小さな子供を寝かしつけるような一定のリズムで頭を撫でながら、おれを見る。


「迷惑かけちゃって、ごめんね、ロク……」


「そんな……、迷惑だなんて思ってないよ。それよりも、セイナンは疲れてないの?」


「不思議と疲れてないかも。それもそうかな、あたしがなにかをしたってわけじゃないからね。実は、怪物の内側からずっと外の様子は見えてたんだ。だから二人があたしを助けるために頑張ってくれてたところも、ずっと見てたの……。

 あたしの意思で体が動けば良かったんだけど、全然、言うことなんて聞いてくれなかったよ。でも、よく気づいたね。怪物の正体があたしだったって」


「目を合わせた時に、瞳に映っていたのがセイナンだったんだよ。見ているものを映す鏡面じゃなくて、怪物の瞳は中を見通す望遠鏡なのかなって思って。

 正直、冷静に考える暇なんてなかったよ。セイナンが映ったから、怪物はセイナンなんだろうって、決めつけた感じ。間違っていたらと思うと恐ろしいけど……」


 間違えていれば、いくら質問に答えていようが、怪物の爪に貫かれて終わりだっただろう。


「だから、一か八かの賭けが成功して良かったよ」


「……ロクって、意外と博打好きだったりする? プリムムは勝てる要素を充分に現実に埋めてから勝負をするタイプだけど、ロクは準備を全然しないでサイコロを投げてるよね」


「おれだってプリムムと同じタイプだよ。それが真っ当な勝負だったらの話。ただ、おれが勝負をしようとするものに限って、咄嗟の判断を強いられるだけなんだ。

 今回のことも、前回のバイクのことも。サイコロを振らなくちゃ全滅するって未来が見えたら、準備不足でもなんでも、振るしかないでしょ。

 振らずにやられるなら、せめて振ってやられたいって思うよ」


 そもそもの話、賭けをしたいとは思わない。

 失うことを考えたら、得るものがたとえあったとしても、なかなか手が出にくい。相当、失うリスクが低くなければ、おれは自分から賭けに乗ったりはしないだろう。

 だからおれが賭けをする場合は、ほとんどが不本意に、気づけば席に座っていて、サイコロを振りかぶったところで目が覚めたみたいな状況だ。


 多少の調整はできそうだが、そんな状態で投げたサイコロが勝利を誘ってくれるとは到底、思えない。……思えないが、前回と今回、たまたま勝ちを引き当てた。

 となると、次あたりではずしそうで恐いのだが……。


 賭けなんてするものじゃない。

 自分一人ならば思い切ってできるが、誰かの命が共に乗っかっているとなると、緊張感がおれの心臓を鷲掴みにする。

 プリムムが羨ましかった。おれだってそうやって抱きしめてほしい。それで、この止まらない鼓動も落ち着くはずなのに……。


「いつも平気そうな顔をして、あたしとプリムムのことを考えて気遣ってくれる……、でも今は、ロクも疲れてるみたいだね。あたしのためだった、んだよね……。――ロク、ありがとう」


 ――っ。


 ……報酬が、セイナンの笑顔ならば、いくらでも賭けてもいいと思った。

 彼女の満面の笑みを見たら、緊張感を保つことで止めていた疲れが、一気に全身に流れた。

 プリムムの気持ちがよく分かる。

 温かい毛布に包み込まれるような眠気に、まったく抗えなかった。


「ゆっくり休んでね。二人が起きるまで、あたしはずっと傍にいるから」


 夜明けと共に眠りに落ちる。

 温かくて柔らかい枕と、目の前に見える、空を覆ったセイナンの顔。


 自分がどんな状態で眠っているのか気になりながらも、どうでもいいかと切り捨てて、いつの間にか、まぶたが閉じていた。



 昼過ぎに目が覚める。

 ぱっちりと目が冴えた深い眠りだった。記憶を辿れば、昨日……いや、今日なのだが、夜中に怪物を倒して、セイナンを救出して、そのまま甲板で眠ってしまったはずだ。

 起きたら船内の大広間にいたので、セイナンが運んでくれたのだろう。

 あのまま甲板で夜明けを過ぎれば、太陽光によって姿が消え、怪物に変化してしまう。

 攻略法が分かったとは言え、同じ失敗を何度も繰り返す間抜けではないのだ。


「あ、ロク。おはよう」


 セイナンが部屋の真ん中にある机の前、椅子に座って、おれを手招きする。

 彼女の隣には既に起きていたのだろう、プリムムがいた。


 どう座るかなど自由だが、カウンター席でもなければ普通は向かい合って座るだろうに。

 おれが起きたから、開けてくれたのかもしれないが。


「おはよう。もう昼過ぎだけどね。……船旅は順調?」


「順調だと思うよ。――あっ、さっき分かったんだけど、この船って舵が壊れてたよね? 

 制御が利かないはずなのに、船がゆーったりと曲がったの。まるで目的地があるみたいに」


 目的地があるみたいに、ね。あるのかもしれない。

 舵が壊れているのは元々で、敷いたレールを辿るように、終着点がある方が納得できてしまう。もうこの船は普通の船ではないことが分かったのだ。

 人を怪物に変えるアナベル船なのだから、目的地が固定されていても変ではない。


「じゃあ、なにもしなくても次の大陸に辿り着きそうだね……ところで」

「なに?」


 プリムムがおれの言わんとしていることを察知したので、文句あるの? と視線で訴える。

 なにを怒っているのか、おれには分からない。

 怒っていないのかもしれないが、いや怒ってそうだな……、隣のセイナンが苦笑いをした。


「あたしも、こってり絞られました。勝手に怪物に変化しちゃったからね。不用心だ、って」


「回避なんてしようがないと思うけど……あれは仕方ないと思うよ、プリムム――」


「あんたにも文句があるのよ、ロク。……怪物がセイナンだったと気づいた時、どういうことなのか、わたし、聞いたわよね? でも、あんたは無視した」


 ……無視というか、あれも仕方ないと言うか……、プリムムに説明をしなかった時間のおかげで、誰も怪物に殺されずに助けられたのだから、褒めてほしい。

 それにあの時も、おれだって説明できるほど理解しているわけではなかったのだ。


「だとしても情報の共有よ! なにをしようとしているのかくらいは言ってくれないと、不安で仕方ないわよ! あの時、ロクは無我夢中で気づいていないと思うけど、わたしは怪物に狙われてて、本当に死んだと思ったんだから! 

 ロクは考えごとをしてるし、わたしの声なんて聞こえていなさそうだったし! 怪物に掴まれたままだらんとしてるし、もう諦めたのかなって思ったんだからっ!」


 それは……、そうか、考えごとをしていると周りからはそう見えているのか。

 プリムムの言う通りに、無我夢中だったので気づけなかった。悪いことをしたな……。


「プリムム、ごめん――」


「まあ、別に怒ってるわけじゃないけど」


 …………。

 怒ってるようにしか見えない……っ。


「プリムムは本当に怒ってないよ。……ほらっ、プリムムも。言い方に気を付けようって前にも言ったし、自分でも少しは気にしてるんでしょ? 直さないと!」


「それは、分かってるけど……意識してるけど、どうにも言葉が強くなっちゃって――」


 二人は顔を近づけ、ひそひそと話し合っているが、ぜんぶ聞こえているのは二人とも気づいていないらしい。

 そこで、ふと、さっきから位置が変わらない腕があることに気づいた。

 セイナンもプリムムも、相手から離れた外側の腕は、ジェスチャーなどで動いたりしているのに、触れ合っている内側の腕は、だらんと下げられたままだった。


 ――興味本位だった。聞いて返ってきた答えがどうであろうが気にしたりはしないのだが、向こうはそうでなかったらしい。

 おれはこう質問した。


「で、どっちがレズなの?」

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