第17話 甲板デンジャー
「ッ!」
咄嗟に扉を閉める。
プリムムは驚いた様子だったが、おれが勢い良く扉を閉めたからだ。
幸い、目の前の怪物を見たからではない。
彼女は視線で、どうしたの? と訊ねてくるが、どう説明したものか……、
もう一度、扉を開いていいものか悩む。
見た目で判断してはいけないとよく言う。
立っていた誰かが、友好的であればいいのだが。
覚悟を決めてもう一度扉を開こうと、指一本分の隙間を開けた瞬間、緑色の指が隙間から差し込まれた。
そして、力づくで扉が開かれ、蝶番から破壊される。
完全に扉がはずれて、おれたちと怪物の間を遮るものがなにもない。
二メートルを超える体躯、全身が緑色だった。
顔は、蛙顔と思ったが、皮膚の質感を見るに、両生類ではなく爬虫類だと思われる。
おれの変化した腕とそっくりだった。
なので蛙顔に見えなくもないが、どちらかと言えば、カメレオンに近いのだろうか。
相手の腕が振り上げられた。
伸びた爪の切っ先がおれたちに向かい、貫くために、一直線で振り下ろされる。
おれたちは行き止まりの後ろではなく、広い甲板に出るために前へ転がった。
ハンマーを高速回転させている相手の懐に潜り込む安全地帯と同じ考えで、相手の股下を抜ける。プリムムの手を引っ張って、マストの裏にとりあえず身を潜め、相手の出方を窺う。
繋いだままのプリムムの手は、決して離さないように。
「あ、あいつなんなの!? 亜獣!?」
「分からない。だからこうして今、見抜こうとしているんだ」
甲板の床を破壊した相手の爪は、引き抜かれても傷一つ、ついていないのが分かった。
緑色は、ぐりん、と振り向いた。
おれたちが隠れる、マストへ注目している。
「おっと、マストが破壊されるのは困る」
「えっ!? あんた、まさか――のこのことここから出るつもりじゃないわよね!?」
プリムムの言葉を聞く前に、おれはマストから体を出す。
当然、プリムムの手は離している。おれに注目を集めれば、マストに隠れているプリムムは、怪物の視線からはずれるわけだ。
決して離さないとは言ったが、安全性の高い方へ考えを変えるのは当たり前だ。
意地になって手を繋いだままで、逆に危険な目に遭わせてしまうのは本末転倒である。
緑色の怪物が、動いたおれを捉える。つかず離れずの位置を取り、攻撃の当たらない距離を保ちながら移動をする。
マストの隣を怪物が越えても、プリムムに気づくことはなかった。
ここまでは狙い通り……なのだが、さて、ではここからどうしようか。
プリムムには一応、アイコンタクトをして、おれが引きつけている間に仕留める準備をしてくれと頼んではみたが、彼女一人に任せるには荷が重い。……手中に策はない。
相手はおれの変化した腕と同じ質感の皮膚を持つ体をしている、という手がかりがあるのだが、情報としては少な過ぎる。
無関係ではないと思うのだが……。
すると、足を止めた怪物がマストに手をかけた。
「っ、あいつ!」
距離を開き過ぎたか? そう思って距離を詰めると、相手も同様に近づいてきた。
……そうか、やられた。
距離を取るおれを誘き出すために、マストを狙う振りをしたのだ。
相手の射程範囲内に入ってしまう。
怪物の伸びた腕がおれの胸倉を掴んだ。そのまま引っ張り上げられる。
足が宙に浮いて逃げられない。相手の腹に蹴りを入れても、怪物は微動だにしなかった。
しかも恐ろしく堅いのだ。蹴ったおれの足の指の方が、痛みを訴えている……っ。
胸倉にある相手の腕を叩いても、怪物はどこ吹く風だった。
蹴りが効かないのだから、体重の乗っていない拳が効くはずもないと分かっていながらも、このままされるがままにしておくわけにはいかない。
だが、今のおれにはどうしようもない。
くっ、そ――どうにか胸倉の手をどかしたいが、無理そうだ。
この後の考えられるおれの扱いとして、地面に叩き付けられる、海に投げ込まれる――可能性はなくはないが、薄いと思われる、このまま怪物に捕食されるというものがある。
一番恐いのは海に投げ込まれることだろう。この怪物ではなく、海の亜獣にそのまま食べられてしまうかもしれない。
船が今まで安全だったのだから、大きな亜獣はいないのだろう、と思うのは早計だ。
……どれだ?
人と同様に目を見れば、思考が読み取れたらいいなという願望で怪物と目を合わせる。
「…………な、んで」
そこで見たのは、思ってもみなかったことだった。
「――ロクを!」
すると、衝撃が抜ける前に変化が訪れる。
怪物の背後から助走をつけて飛んだのは、プリムムだった。
両手には、倉庫にあった一本の剣を握っている。
彼女の声に気づいた怪物が振り向き、ちょうど、額の部分に剣の刃が当たる軌道を描き――、
「――だ、ダメなんだプリムムッ! そいつは――」
「離しなさいよ!」
額に当たった剣は、かこん、という軽い音と共に弾かれた。
プリムムの力が弱かったおかげで、怪物の額に刃が通ることはなかった……、弾かれたプリムムは尻もちをつき、剣はくるくると回転して、海へ落下してしまう。
「いっ、た……! ――あっ」
怪物がプリムムに近づく。片腕はおれを掴んでいるので塞がっているが、だとしてもプリムム一人だ、捻るには充分の両足と片腕がある。
怪物にとって、どういった制限の中で動いているのかは分からないが、きっと『中』の意思は反映されていないのだろう。
プリムムがこのまま殺されることはあり得る。
――阻止するには、どうすれば。
もしも、おれと同じように、変化しているだけなんだとすれば。
元に戻る、ルールがあるはずなのだ。
そう――怪物の瞳に映っていたのは、セイナンだった。
「この怪物は、だから、セイナンが全身変化した姿なんだよ」
「ロク、それは、どういう……?」
プリムムの疑問を今は捨て置いて、思考の海に潜る。
おれは、なにをして腕が元に戻った? あの時を思い返せばいい――おれは、久しぶりに心の底から本音を叫んだはずだ。
だが、それが条件だとすると、怪物に変化しているセイナンは言葉を話せない。現時点で一言も発していないのだから、そう結論付けるしかないだろう。
話せないのに本音を叫ぶことを条件とされたら、どうしようもない行き止まりだ。
ならば違う。第三者が必要……? おれの時はプリムムがその場にいた。傍にいること、会話をしていること、第三者からの、見捨てないという優しさ……?
こうしておれがセイナンを元に戻そうとしている時点で、条件は揃っているはずだが、変化はない。これも違うのか。
判定基準が曖昧なのも、違うのかもしれない。もっとはっきりとした条件だと思うが……、もしかして全身変化してしまうともう元に戻らない、とか……――いや、最悪なことは考えるな。
『……これは犠牲じゃない。進んで切り落とすわけじゃない。もうおれの腕じゃないんだ、だから壊す。そういう段階に入っているんだよ』
『でも、ロクは、右腕を失うのが嫌なんでしょ?』
『そりゃあ、当たり前だよ。でも仕方がない。そうせざるを得ないんだから』
『割り切らないでよ。嫌だよって、みっともなく叫びなさいよ。いつもいつも一歩退いて全体を見て、効率の良い方法を選んで。大人ぶってさ、あんたもわたしもまだ子供なのよ! 簡単に腕を切り落とすとか言うな。いらないなんて、言わないでよ!』
『じゃあ、おれはどうすればいいんだよ!?』
『二人でその右腕を押さえるのよ。その間に手がかりをなにか掴めば――』
『……戻った、のか? 治ったって、言うべきなのか……?』
『ほら、切り落とさなくて良かったでしょ?』
腕が治った直近前後の会話を思い出す。
きっかけは絶対にある。それを見つけ出せ。
『じゃあ、おれはどうすればいいんだよ!?』
『二人でその右腕を押さえるのよ。その間に手がかりをなにか掴めば――』
やはりこの会話だ。
これをきっかけにして、おれの腕は元に戻った。でも、なにが――。
さらに記憶を遡る。
腕が変化してからプリムムとした会話の中で……おれは。
――――。
おれは一度だけ、あのきっかけとなった会話の中でだけ、疑問符を使った。
変化した者が最後に発した質問に答える。
……それが、条件なのだとすれば。
思考の海から飛び出した。
状況を見れば、プリムムを狙う怪物の爪が、振り下ろされるまさにその瞬間だった。
『ねえ、ロク。美味しそうな魚ってこの中だと――』
なんだと思う?
セイナンは、そう言っていたはずではなかったか?
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