第16話 穴を埋める者
二手に分かれて調査をする。
だが、甲板を調査したところで、なにがあるわけでもなかった。
マストの頂上に上がってみても(肘まであれば網を上がるのに支障はない)、船が進まないように畳んだ帆を見ても、床を注意深く見ても、手がかりになりそうなものはなかった。
切り傷で作られたメッセージでもあるだろうか、と期待もしていたのだが……。
「あとは、船内か。――プリムムの方はどうだった?」
合流した後、彼女は首を左右に振る。
しかし、ただ……、と気になることがあるらしい。
「……ロクは、一度も船内に入っていないわよね?」
「うん。ずっと甲板の上で調査していたけど……」
プリムムは、船内へ繋がる扉を見ながら、
「足音が聞こえたの。あと、大きな呼吸音」
「…………誰か、いるのかもしれないね。
だとしたら、大きな手がかりになりそうだ」
聞いている限り、危険な匂いがぷんぷんするが、いかない理由もない。
船内へ向かおうとすると、突如、首が絞まる。
呼吸がまともにできないほどの、首にかかる力を振り解けなかった。
なん、だ……っ、片腕で、首を絞めるそれを掴むと、爬虫類の皮膚のような感触があった。
驚いておれの力が緩むと、相手の力がさらに強まり、視線が自然と斜め上へ向けられる。
結局、最後まで首を絞めるその正体を見破ることはできなかったが――、
プリムムが相手を横から弾いてくれた。
力が離れたところで、すかさず左手で首を押さえ、呼吸を整える。
だが、相手は休息を与えてはくれなかった。
「……え」
相手の正体は腕だった。
腕だけ――、失ったはずのおれの腕が緑色となり、感触通りの皮膚をしている。
おれの意思が届かない緑の腕は、拳を作って、おれの顔面へ向かってくる。
咄嗟に、首に向けた左手で掴む。
しかし、力は相手の方が強いため、防いだ左手ごと、顎を下から打ち抜かれる。
バランスを崩して倒れたところで、再び右腕が首を絞めようと指を開いた。
「――プリムム! 包丁でもナイフでもなんでもいい、切れるものを!」
「持ってないわよ! けど、ちょっと待って、まさか――」
「仕方ないから腕を切り落とす! 元々ないものだと割り切っていたんだ、今更、切り落としたところでなにも変わらない!」
「でも、待ってよ! なにも切り落とすことはないじゃない! だって、大事な腕なのに――これだってアナベルの一種だと思うの、だからもう少しだけっ」
「待てると思うか!? プリムムの言いたいことだって分かるよ。すぐに判断し、実行するには代償が重いって。でも、このままじゃ自分はともかく、この腕がプリムムにまで牙を剥いたらと考えると、一秒でも野放しにはできない。だったら、切り落とすべきなんだ!」
切れるものは……調理場か、倉庫にあるだろう。
室内には誰かがいるかもしれない危険があるのだが、そうも言っていられない。
今はいるかも分からない誰かよりも、おれを襲ってくるこの右腕の方が脅威なのだ。
室内への扉のドアノブを掴もうとしたら、プリムムが立ち塞がった。
同時に右腕が暴れ出し、プリムムに向かって飛び出そうとしたので、なんとか左手で動きを阻止する。意識を右腕に向けながら、どういうつもりだ、とプリムムに視線を向ける。
彼女は両手を広げ、
「……させない、させたくないのよ。さっきまでの状態ならまだ元通りになる希望がある。でも、切り落としてしまったらもうそれまでなのよ。——二度と戻らないのよ!?」
「それでもだよ。こんな右腕なら、いらないんだ。いらないなら、切り捨てる。不必要なものをいつまでも手元に置いたままにしても仕方ないでしょ。
しかもそれが悪影響を及ぼすのなら、積極的に処分するべきだ」
プリムムは退かない。
おれが折れるまで、目の前に立ち塞がる気なのか。
「……これは犠牲じゃない。進んで切り落とすわけじゃない。
もうおれの腕じゃないんだ、だから壊す。そういう段階に入っているんだよ」
「でも、ロクは、右腕を失うのが嫌なんでしょ?」
「そりゃあ、当たり前だよ。でも仕方がない。そうせざるを得ないんだから」
「割り切らないでよ。嫌だよって、みっともなく叫びなさいよ。いつもいつも一歩退いて全体を見て、効率の良い方法を選んで。……大人ぶってさ、あんたもわたしもまだ子供なのよ! 簡単に腕を切り落とすとか言うな。いらないなんて、言わないでよ!」
「じゃあ、おれはどうすればいいんだよ!?」
その叫びは、珍しく客観的な意見を無視した、おれの本音だったのかもしれない。
プリムムは、驚きながらも、優しく微笑んだ。
「二人でその右腕を押さえるのよ。その間に手がかりを、なにか掴めば――」
しかし、そこでおれの右腕は暴れるのをやめ、意思がなくなったように宙ぶらりんの状態へ。
やがて、表面が緑色から肌色へ変わる。指先を動かそうとすれば指先が動く。握り締めれば拳が作られる。持ち上げれば肘が曲がり、手の平が目の前に近づく。
まるで、かつてのおれの右腕のように、おれの意思が神経を伝って、右腕に宿る。
「……戻った、のか? 治ったって、言うべきなのか……?」
今のタイミングで? ただの偶然なのか、それとも……?
「ほら、切り落とさなくて良かったでしょ?」
プリムムにとっても予想外の出来事であり、こんな結果など見えていない内から、おれを説得していたが、結果だけを見ればプリムムの思い通りだった。
誰も損をしていない、理想的な解決だ。彼女の言葉を否定しようとは思わない。
「うん、良かった。でも――別の機会でも、必要とあれば切り落とすよ」
「あんたは、また――ッ」
「どうしようもなくなった時だけだよ。
おれの体を大切に思ってくれている人がいるって分かったから、無茶はしない」
「大切って……! そう、なんだけど、さ……っ」
言いながら、プリムムはまだおれを疑う視線を向けていた。
だが、これ以上の言い合いは不毛だと悟ったらしい。……はあ、と深い溜息を吐いて、
「……わたしが見てるし、万が一にもそんなことはさせないから」
腕も戻ったことだし、さっきよりも快適な調査がおこなえる。
誰かがいるかもしれない室内へ足を運ぼうとしたら、プリムムに腕を取られた。
振り向いてみると、彼女の不安そうな表情がよく分かった。
「不安なら、ここで待っていて。中を見てくるから――」
「……わたしもいくわよ。つい今、わたしが見てるから万が一にも無茶はさせないって言ったばかりじゃないの。……それに、ここで一人になるのは、さすがに嫌よ」
プリムムにとっての『見てる』は、監視という意味らしい。
それに関してはおれも悪い。
目をつけられるくらい、無茶をし過ぎたのは反省だ。
断っても、黙ってついてきそうだし……、足音が船内から聞こえたと言っても、甲板が安全とも限らない。だったら常に隣にいてくれた方が安心だ。
それに、おれの腕を掴むプリムムが、まったく手を離そうとしない。自覚はないのだろうけど。振り解く勇気もないおれは、彼女を連れていくしかないのだった。
船内への扉を開ける。電球……、ではなく、オイルランプは点けっぱなしなので、夜中でも部屋は明るい。
照らされている階段を下りて、大広間へ。
周囲を見渡すが、怪しい人物は、特にいない。隠れている気配もなさそうだ。
「他の部屋にも向かおうか……。プリムム、ちょっと歩きづらいから、掴んでいてもいいけど、もう少し距離を取ってくれると助かる」
プリムムは素直に頷き、腕を掴んだまま、要望通りに少し距離を取ってくれた。
……密着していることに気づくかと思ったが、それどころではないらしい。
きょろきょろと周囲を見回している。一般的に、女の子が苦手そうだと言われている、虫や、タコのような触手が嫌いならば、もしかしたら同じように幽霊などの怖いものも苦手なのかもしれない。心霊スポットを進む女の子の反応、そのままだ。
さすがに今の状況で脅かしたりはできないが、別の機会に企んでみよう。
二人で倉庫へ足を運ぶ。
静かな雰囲気に飲まれて、扉をゆっくりと開けてしまった。その開け方が逆に、部屋になにかいますよ、と自分に言い聞かせてしまっている。
……鼓動が早くなる。
距離を開けていたプリムムも、おれの腕に密着してきた。今はそのおかげで安心できる。
倉庫に足を踏み入れる。
見慣れた内装だ。隣で、プリムムが安堵の息を吐いたのが分かる。
「――気を緩めるな」
誰かがいてもいなくても、気を緩めればそれが隙になる。
誰にいつ襲われてもいいように、常に身構えておくべきだ。
日頃から、シミュレーションだけはよくしていた。
実際に動けるかどうかはともかくとして、対策の引き出しは多くしておいても損はない。
常に気を張り続けるので疲れる、というデメリットはあるのだが。
「ロク、なにか見たわけ……?」
「いや、なにも……いないとは思うけど、一応ね。
船内にいる内は警戒しておいた方がいい」
木箱の中もきちんと見て、誰も潜んでいないことを確認。まさかいないだろうと思いながらもしっかりと大砲の中も見て、これもいない。……倉庫は白だ。
残りの食糧庫、宝物庫、船員室を調べるが、プリムムが聞いた足音の正体を見つけることはできなかった。
プリムムの気のせいで、最初からいないのかもしれない。
それならそれが一番良い。
大広間に戻り、椅子に座って二人して机に突っ伏す。
緊張感を維持したまま部屋を回り、手がかりを調べて、収穫はなにもない。
体と脳をたくさん動かしても、スタート位置から前進していないのは、気持ち的に落ち込む理由としては充分だ。
だが、手がかりがなにもないのが分かった、というのは、前進の一つとも言えるか。
「まずいわね……このままだと朝を迎えるわよ……」
「…………」
元々、長期戦は覚悟していた。
しかし、なにも得られないまま時間だけが過ぎていく状況は想定外だった。
詰まるのであれば、ある程度の情報が出揃った後だと思っていたからだ。
出発前の準備段階で手詰まりなのは、良くない傾向である。
「……? ……今」
おれの呟きに、プリムムも頷いた。
水が滴る音。
天井、その上の甲板の床が、ぎしぎしと軋む。
――甲板に、誰かが飛び乗った?
おれとプリムムは見合って、同時に頷く。
階段を上がって扉を少しだけ開ける。
隙間から甲板を覗くが、目の前にマストがあるので、画面が大きく分割されてしまって、狭い範囲しか確認できない。
今のところ、怪しい影はないのだが……。
「どう……?」
「もう少しだけ、開けてみようか」
慎重に、拳一つ分の隙間を開く。
緑色の怪物が目の前に立っていた。
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