第13話 男一人、女子二人
プリムムが指を差した方向は、船首だった。
向かうと、飛び出した船首のさらに先端に腰かけて、セイナンは先を見つめていた。
「セイナン、落ちるなよ。引き上げるのに苦労するんだから」
「大丈夫。ほら、命綱を腰に巻いてるから」
「そんなことをするくらいなら、危険なところにいかなければいいのに……」
でも、気持ちは分かる。
一度は座ってみたい位置なのだ。
「うっ! ……ちょっと寒くなってきたかも。
もしかしたらこの先、極寒の地だったりして」
「だとしたら、おれはともかく、スカートの二人にとっては地獄だね」
寒さにもよるが、いくら制服を着ているおれでも、地獄に感じる場合もある。
「……あー、なんか――」
なんというか、おれも、プリムムもセイナンも、まったりとした空気が流れている。
船旅自体がゆったりとした速度で、太陽光と風が、気分を穏やかにさせる。
それに、さっきまで緊迫した逃亡劇をやっていたのだ、少しくらい、こうしてなにもしない休息時間も必要なのだろう。
「セイナンが見た部屋にはなにかあった?」
「きっと、昔の人が使っていたんだろうと思う部屋があったかな。個人の持ち物がたくさんあったけど、なにに使うのかはよく分からなかったから放置したよ。
他には……武器だったり綺麗な宝石だったり……、宝物庫なら見つけたけど、あたしたちには必要ないよね」
「そうだね、お金があっても、使えるお店がないだろうし。文字通りの宝の持ち腐れだ」
「ふふっ、そうだね――」
そこで、会話が止まる。
無理して続ける必要もなかったので、その場から引き返し、何気なくマストを見上げた。
視線の先の、破れた帆が気になった。
下の部屋には、個人の持ち物があった、か。木箱にも、布がいくつかあった気がする。
「ゆったりしてもいいけど、食糧が無くならない保証もないし、帆を直しておくか……」
帆の破れた部分が塞がれば、風を全て受け止め、推進力に変えられる。
その力が船旅の日数を短縮し、食糧がなくなる前に海を渡ることができるかもしれない。
ゴールが分からない今、予測もできないが、直して困ることもないだろう。
きっと損はしない。なら、やる価値はある。
セイナンに教えてもらった、船員・個人の部屋へ向かう。ガラクタばかりが集まった、一目見たらゴミ置き場にも思えそうな部屋だったが、目的のものは発見できた。
帆を直すために必要な針と糸だ。
次におれが探索した倉庫へ向かい、木箱の中を漁って布を数枚取り、甲板へ戻る。
帆の破けた部分はそう大きくない。持ってきた布だけで足りそうだ。
だが数が多いし、場所も高く、三本マストのそれぞれにある。
一人でできないこともないが、時間がかかるだろう。
食糧問題が浮上しているが、一応、急ぐ理由もない。
一人でできないこともないのなら、一人でやってみようと思った。
「――手伝う?」
すると、プリムムが声をかけてきた。
頼むほどではなかったが、向こうから志願してくれたのならば遠慮する理由もない。
「手伝ってくれるならありがたい。
じゃあ、分担しようか。プリムムは一番前のマストの帆をお願い」
そう言って、布を渡す。
塞ぐ穴を見て、推定した大きさの布を切り出し、それを脇に抱えて、マストを登る。
マストの頂上には人、一人分が立てるスペースがあり、本来はそこへ向かうためにかかっている網なのだが、今はそれを利用する。
登っている途中で帆に辿り着くので、命綱をきちんと繋げて作業開始だ。
「うおっ……、結構体力を使うな、これ」
命綱をしているので落ちる心配はないとは言え、網から足を踏み外せば宙吊り状態になってしまう。作業が中断されるし、引っ張られるので、腰に巻かれたロープが締まって負担になる。
男のおれでも足場に、手元に、身を揺らす風に気を遣うので、プリムムが堪えられるかどうかが心配だった。
ちらりと見ると、プリムムは黙々と作業をしている。
彼女の真剣な表情に、思わず見惚れてしまった。
思っていると、一か所、塞ぎ終わったらしく、彼女は、ふぅ、と息を吐いていた。
数枚の布を持ち運ぶのは危険なので、一枚一枚、取りに戻る必要がある。
布を補充しようと、網を伝って下りようとしたプリムムに、船への追い風が直撃する。
命綱によって縛られた範囲を越えて動こうとしていたので、ちょうど、ロープをはずしたタイミングだった。
堪えようとしたプリムムだったが、やがて足が――網からはずれる。
「あっ!?」
「プリムムッ!」
伸ばした指先は網にかからず、彼女の体が真下へ落下していく。
聞こえてきたのは衝撃音ではなく、衝撃を包み込む柔らかい音だった。
下にはセイナンに重なるプリムム……と、元々は白だったらしいが、経年劣化によりクリーム色になっている布団が下敷きになっていた。
恐らく、セイナンがプリムムを受け止めようとして成功したが、支え切れずに倒れてしまったのだろう。布団は元々、敷いてあったのだ。
「二人ともー、大丈夫かー!?」
上から呼びかけると、セイナンが手をラッパの形にして、だいじょうぶー、と叫んだ。
そうは言うものの、最悪な事故が起こって、さて作業続行、とはいかない。
おれも一度、降りて、二人の元へ向かう。
「ごめんプリムム、気遣いが足りなかった。分担しないで二人一緒にやれば良かったね」
「それだと効率が……なんて、わたしが言えたことじゃないわよね」
彼女の中で、今の事故はショックだったのだろうか。言葉に勢いがない。
平静を装っているようには見えても、落ち込んでいるのが分かる。
重く捉える必要はないが……。今の事故のおかげで、と言うのも配慮が足りないが、改善点も見えてきたのだから無駄ではない。
「この布団、持ってきておいて正解だったね。洗って日に当てたら綺麗になるかなと思ってたんだけど、クッションになるなんて幸運だったよ。
もしもなかったら、二人して床に倒れてたしね」
偶然だろうが、だとしてもセイナンの手柄であることに変わりはない。
当たり前のことだが見落としていた。命綱は、繋げているから命綱になるのであって、はずした時に足を滑らせれば、いくら腰に巻いていても意味がない。
慎重になるなら最初から下にクッションを敷いておくべきだったのだ。
「セイナン、その……」
「ん? なーに?」
「あり、がとう……」
貸し一ね、とセイナンが調子に乗ったところで、プリムムもいつもの調子を取り戻した。
「それを言ったらわたしはいくつセイナンからの貸しがあると思っているのかしら」
「そ、そうだ! あたしも手伝うよ! 三人でやれば早く終わるでしょ!」
話を逸らしながらも手伝うことで、いくつかの貸しを消化しようと企むセイナンだった。
プリムムが顔を逸らしてくすっと笑っていたので、怒っているわけではないのに。
なんにせよ、セイナンが手伝う気になってくれたのなら助かる。
動機がプリムムへの貸しの件ならば、二人の間に余計な口は挟まない。
分担作業はやめて、三人で一か所ずつ、丁寧に直していくことにしよう。
「時間はかかるけど、今みたいな事故も起こらないだろうし、苦戦することもないと思うけど……どうする? 効率を考えたら、そりゃ分担した方がいいけど――」
「一緒にやろう」
セイナンの決定に、プリムムも無言で頷いた。
この件に関しては、口を出す権利はないと言いたげだ。
……なるほど、プリムムに負い目を与えるとおとなしくなるのか。
それを交渉材料に使うと、軽蔑されるだろうことは確実なので、手札には加えないが。
ちょっとからかうくらいには利用できるかもしれないと、少し企んでみた。
「そうだね、じゃあ――三人で一緒にやろう」
途中、休憩を挟みながらも夜まで作業をし、日付を越えるまでにはなんとか全ての破けた部分を塞ぐことができた。
もちろん、あれから一度も事故は起こっていない。
三人で交代しながら作業をしていて気づいたのが、プリムムが一番、運動神経がないということだった。
バイクから逃げる時は自分のことで精一杯だった。そのため、目を向ける暇もなかったのでまったく気づかなかった。
そう言えば、思い返せばプリムムは木の裏に隠れていたり、腰を抜かしていたりと、おれとセイナンと違って激しく動いていなかった。
偶然もあるだろうが、動けなかった、と言う方が正しいかもしれない。
作業途中の休憩時には、一人だけ息が上がっており、なかなか止まらなかったのが印象的だ。
「……悪い? ええ、そうよ。
わたしは腹筋一回ができて、力尽きるインドアですよっ」
「悪いとは思ってないんだけど……」
体格を見れば、想像はつく。
セイナンとは違って筋肉がついているようには見えないからだ。
なにを負い目に感じているのか知らないが、プリムムはそれでいいと思う。
だって彼女は、頭を動かす方がきっと得意なのだろうから。
得意分野で頑張ってくれればそれでいいのだ。
「……ロクは、どっちもできるくせに」
「だっておれは男だし」
その理論も謎ではあるが、分からないでもないだろう。
プリムムも多少は、動けたらいいなとは思っているのかもしれない。
だからこそ妬み、羨ましがっている。
それは追々、体力をつければいいとして――、
作業も終わったし、どっと出た疲れが眠気を誘う。
「ふぁああぁー……」
セイナンの大きなあくびにつられて、おれもプリムムもがまんできなかった。
というわけで、眠ろうとしたが、どこで寝るのか、という些細な問題も浮上した。
「ロクは別室ね」
「……まあ、だろうね」
「えっ、一緒に寝ればいいのに」
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