第11話 追跡殺し

 え。


 そんな声が聞こえた気がするが、聞き返すよりも早く走り出す。

 もっと言えば、引き止められる前にこの場から離れたかった。


 思わず口に出してしまったのはまだ未練があったからだろうが。

 黙って走り去っていればいいものを……、そこは自分の甘さなんだろうなあ、と自覚する。


 後ろは振り向かない。

 バイクが追ってきているのは音で分かる。一際大きなエンジン音は、どこに隠れていようとも自分の存在を主張するためか。

 もしも音を出さないバイクだったらと思うと、逃げ切れていなかった。


 長所もあれば短所もある。

 アナベルにとっても、それは当てはまっているのだ。


「川を辿れば、海があるはずだ」


 直進すれば追いつかれる。ここが森であることを利用し、木々の間をすり抜けながら盾にして走る。おれも速度は落ちるが、バイクも木々をなぎ倒して進むので、多少の速度は落ちる。

 そのため、差は詰まりそうで詰まらない。


 やがて、川の終わりが見えてくる。

 ただし斜面を下降する川とは違って、おれが走る陸地は高さを変えない。

 つまり海に到達する頃には、断崖絶壁に阻まれるわけで――、

 だが、おれにとっては関係ないが。


 途切れた道、視界の先に広がるのは、晴天の下の青い海。

 崖の高さは推定で、高さ二〇メートルを越えているだろう。

 下が水面だとは言え、落下地点に岩がないとも言い切れない。


 簡単に言えば助かる見込みは薄いだろう。

 それは同時に、おれを追うバイクにも言えることだ。


「人と物は違うから、どうだろう。でも、水没すれば今みたいには動けないだろ」


 だからセイナンとプリムムを追うこともできないはずだ。


 それ以前に、おれに触れなければ、目印は移動しない。

 あの二人の危険は既に去っている。


 もう、やるべきことは全てやり切った。


 おれは初めて、後ろを振り返った。

 森の木々はなぎ倒され、幹はへし折れて、心が痛い光景だった。

 こうなると分かっていながら利用したのはおれだ。

 そんなおれが可哀想だと思うのはおこがましい。


 ごめんと謝り、あらためて、おれを追ってきているバイクを見る。諦める、なんて素振りは見せなかった。バイクは雄叫びのようなエンジン音を上げ、速度を増す。

 最後の直線、おれを仕留める気だろう。

 合わせておれも速度を上げ、そして――、



 全速力で、海へ飛ぶ。



「落――ちろぉおおおおおおおッッ!」



 数秒の無音があった。

 世界がゆっくりになったように、おれの先を落下していくバイクがよく見える。

 

 真下には、海に浸かりながらも飛び出た岩があり、

 水面をクッションには、できそうにもなかった。


 重力に引っ張られる感覚。

 浮遊感により冷や汗が出るが、それも一瞬だった。


 ぴんっと糸が張るように、おれの両腕が上へ伸びている。

 瞑った目をゆっくりと開けると、足は地面につかずに揺れており、空中で止まったように海が見える。……地平線の先まで、青一色だった。

 景色が綺麗だと思ったことは、ここ数年、なかった気がする。


「――風が、気持ち良いな……」


「ちょっと、なにのん気に感慨に耽ってるのよ……、ちょっとは上がる努力をしなさいよっ」


「んっ。ロク、ごめん、そろそろ――」


 見上げれば、プリムムとセイナンがおれの腕を取ってくれていた。


 崖の中間にある僅かなスペース。

 川が急流になり始めた辺りから、おれは見逃したが、道が分岐しており、一方を選ぶとここに到達するらしい。


 親切にも海へ繋がる浜辺まで、この中間地点を経由して坂道を下れば到達できる。

 ……それにしても、よく間に合ったなと感心する。


 足場に手をかけ、二人に手伝ってもらいながら、おれは足をつける、よりも早く尻をつけ、狭いスペースだが大の字で寝転がる。


「……いつ気づいたの? あのバイク、じゃなくて、亜獣の条件に」


 おれを助けられたことへの安堵の息を吐き、気を抜いていたプリムムが驚いた様子で、


「えっ、と、そうね。たぶん、ロクと同じ時くらいには。わたしに触れて、また触れ返した時にはもう気づいてた。

 標的になる目印のようなものがあって、持っているのはロクだって分かれば、海の方へ駆けた後は、どうするかなんて想像すれば簡単に分かるわ」


 プリムムも同じような推理を……、まあ、おれとの差は、バイクか亜獣かの認識の違いしかない。情報が出揃っていれば、答えに辿り着かないプリムムではないだろう。


 すると、プリムムの視線が厳しくなる。これを見てしまうと普段のプリムムは不機嫌そうに見えても不機嫌ではないのだな、と分かる。

 おれは体を起こして、


「な、なに……?」


「死のうとしたんでしょ。わたしたちを守るために」


 えっ、と声を出したのはセイナンだ。

 彼女は気づいていなかったらしい。危ない賭けではあるが、死ぬ気はないのだと思っていたらしいが、プリムムの言葉とおれの沈黙で察したのだろう――、

 プリムムの指摘に、うん、とおれは答えた。


 次の瞬間、左頬に衝撃を感じた。

 気持ちの良い音は鳴らず、骨に響き、じわじわと広がっていく鈍痛だった。


 可愛らしい平手打ちではなく、

 女の子だから力は弱いが、それでも脳が揺れるくらいのグーだった。


「ふざけんな。あんたが死んで、わたしたちが助かって――それでいいって、思えるわけがないでしょうが!」


「おれが余計なことをしなければ、セイナンは傷つかなかった。おれがいなければ、きっとプリムムは余計な警戒をしなくて済む。効率もそうだけど、消去法で考えれば、おれが囮になることが一番良いんだって分かった。もちろん、生きて戻れたら儲けものだけど、まあ、最悪、死んでも大丈夫かなって思って……」


 別にいいかなって。

 そもそもおれは一度、死んでいるようなものだから、今更なのだ。

 おれを助けてくれたセイナンを助けるためなら、命を懸けることに怯えるわけがない。


「違うよ、ロク。消去法で優先度が低い人なんてこの中にはいないんだよ。

 囮になることが一番良い人だってもちろんいない。……あたしは、ロクを必要としてるもん」


 あたし『は』。

 それはセイナンからの鋭いパスだった。


 受け取ったのはプリムムだった。

 ぐっ、と言葉の真意に気づいて、言葉に詰まらせ、視線を逸らして唇を尖らせる。

 言いたい、言いたくないの段階ではない。彼女は武装した言葉が多いが、意外と本音を口にする。それを誤魔化してしまう癖があるくらいで。


「プリムムは? この旅にロクは、必要? 不要?」


「…………必要よ。だってわたしよりも早く、アナベルの仕組みに気づいていたし。警戒してたのも、ロクがどうこうじゃなくて……。ま、まあそこはいいんじゃないかしらね、うん。

 あー、もうっ、認める。認めるわよ! ロクも仲間だって認める。だから、これ以上、自分を犠牲にはしないように!」


「う、うん。分かった」


「ただし、仲間になったんだから、役割はきちんと果たすように。分かった!?」


 なぜか威圧してくるプリムム。

 力のごり押しで誤魔化すような意図が見え見えだった。


 声を出さずにくすっと笑うと、敏感にプリムムが気づいた。


「なにか、文句でも?」


「ないって。じゃあ、これからどうする? 

 海に辿り着いたけど、この海を越えるにしても、泳いで渡るつもりはないでしょ?」


 ……まさか、亜人の二人ならば、自力で渡れるとでも言うのか。


『さすがに無理だ』


 と、二人が声を合わせるので、今回はおれと条件が同じだった。


 森が近くなら、木を集めてイカダを……、その前に食糧を確保しなければ。

 腰のポーチの中にも多少はあるが、数は心許ない。

 できれば現地で獲り、蓄えておきたいものだ。


 道に従って浜辺に下りる。

 黄色く見える砂を踏んで波に近づくと、ちょうど引いたところだった。すると、後ろの二人が目を輝かせているのが分かった。

 セイナンは分かりやすく、プリムムは抑えてはいても漏れ出ているのがさらに溢れそうな、限界に近い様子だ。


 そう言えば。亜人街の壁から外に出たことがないのなら(セイナンは別としても。彼女も森を抜けたことはないようだ)、海を見るのも初めてではないだろうか。


「すっっっっごい! さっきは見る暇がなかったけど、こんなに広いなんて! 

 ぜんぶ青だ! 先がっ、遠っー!」


 はしゃぐセイナンが海へ近づき、引いた波が戻ってきて足がびちょびちょになる。

 一度、全身濡れているために、今更な気もするからなにも言わないが。


 隣ではプリムムがうずうずしているが……いきたいならいけばいいのに、と思う。だが、それを言えば、天邪鬼な彼女は否定するだろう。

 面倒くさいことこの上ないが、理由付けをしてあげれば素直に従うはずだ。


「セイナンがはしゃぎ過ぎないように止めた方がよくない? 怪我が開いたりしたら大変だし……、いくなら、靴を脱いでいかないと濡れちゃうよ」


「そ、そうね。ちょっと止めにいってこようかしら」


 靴と靴下を脱いで裸足になり、砂の上を走っていき、セイナンの元へ。


 ……懐かしい記憶が甦る。

 と言っても、誰かと海にきた時のことを思い出したわけじゃない。


 やっぱり、全部じゃないけど、どこか似ているなって思う。


 波の上で楽しそうに遊ぶ二人を眺めながら、

 おれは椅子くらいの大きさの岩を見つけて、そこに腰かけた。


 二人を見ていると彼女を思い出す。

 だからおれは今でも、一緒に旅をしているのだろう。


 死のうと思えば死ねたはずだ。

 二人の想いを踏みにじってでも、終わらせることは簡単だ。


 そうしなかったのは? 

 だからつまり、そういうことなのだろうなって、そう思った。


「……ん?」


 海の先、地平線の向こう側からこちらに近づくものがあった。

 速度はゆっくりで、ここに到達するまで相当の時間がかかるだろう。

 だから気にしない、というのもありだが、忘れるのは不可能だった。


 しばらく、休息の時間を過ごして待つ。

 存分に海を楽しんだ二人が戻ってきた時には、目視した上で、それがなにでどれくらいの大きさなのか、分かるようになっていた。


 まず、セイナンが気づき、


「――なにあれ、亜獣!?」


 とりあえず亜獣だと思うのは仕方のないことなのか。

 あれだけ大きいものだと、亜獣くらいしか発想がないのかもしれない。


「亜獣じゃないよ。あれは、船だ。……あー、そっか、船も知らないよな……」

「海を渡る道具」


 プリムムが言った。

 ほお、と感心していると、知ってはいても見るのは初めてらしい。


 家が書店だと言っていた。本が好きで、色々なジャンルを読んでいるらしく、とある小説の中に、水の上を浮かんで長距離を移動する道具であると登場し、そこで知ったのだと言う。


「こんな外見だとは思わなかったけど。大きさだって、全然違う」


 プリムムが知ったそれは、たぶんボートだ。

 想像の小舟と比べたら、そりゃあ大きいはずだ。


 目の前の船は、なぜなら帆船だったから。


「あの、旗は、なんの意味が……?」


 風に揺れる、黒い背景に白いマーク。

 人の顔の皮膚を剥がせば出てくるそのマークの意味は。


 おれは言う。


「あれは、海賊だよ」

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