後編/なにも知らない王様

「ん。いいよ。

 それにしても本当に暑いな、最近は。すぐに服がびしょびしょだ」


「屋敷に戻って、すぐにお風呂にしましょう。

 その服、もう少し風通しが良い素材にしましょうか。作業着だから仕方ないかもしれませんが、やはり肌が出ないとなると、暑さを逃がせませんからね」


「お前たちに任せるよ」


 ではそのように。

 従者の返事を聞いて、屋敷に戻ることにする。


 屋敷までは数分もかからない。


 山の中。そこだけが一切、木がない空間に建つ大きな屋敷が、ぼくの家――、

 貴族『グルンサーク家』だ。


 周囲の花壇、森に生えている植物は、全てグルンサーク家が管理している。山を下りれば複数の畑もあり、多くの野菜が栽培されている。

 グルンサーク家が貴族としての地位を未だに持ち続けられているのは、深い味と根強い人気と安定した生産量のおかげだろう。

 この南に位置する『ドゥヴァン大陸』の中でも重要視されている特色の一つなのだ。


 母上の功績だった。

 ぼくに託された母上の形見。……失敗するわけにはいかない。


 足を止める。分かっていたように、従者も同時に足を止めた。


 町の方へ顔を向ける。

 坂道を真っ直ぐに下れば、港町がある。グルンサーク家の領地だ。


 母上は海が好きだった。

 だから海が見える丘には、母上の墓石が立っている。


「……安心して見ててよ、母上」




「あいつら、ふざけやがって……ッ。

 王族に最も近い、グルンサーク家だぞ、俺はッ!」


 自然に囲まれた塀のない屋敷。

 庭には均等に置かれた花壇がある。花壇、四つの間には、十字路ができていた。そこを進み、玄関まで二十メートルほどの距離があるが、屋敷内の叫び声がここまで聞こえてくる。


 扉を開けると、父上が従者を叱りつけている様子が見えた。

 入ったばかりの従者の女性は、何度も何度も頭を下げる。ぼくの隣の従者は務めて長いためか、澄ました顔でぼくの靴の紐を解き始めた。


「では、お風呂に向かいましょうか」

「新人さん、フォローしてあげなくていいの?」

「怒られることも経験ですから」


 父上は杖をとんとんと小刻みに素早く動かし、地面を叩く。それに反応する従者が、びくっと肩を震わせる。遠目から見たら、涙目だった。またすぐに辞めなければいいけど。

 最近は従者の入れ替わりが激しく、ぼくも名前と顔を覚えられていない。

 覚えたと思ったら突然、いなくなったりするのだ。


 父上は厳しい。

 母上が亡くなってからは、ぼくと父上との会話も少なくなった。


 こうしたぴりぴりとした空気が、もう数年間も続いている。

 もう六年だ。ぼくと父上が、置いていかれて。


「仕事が上手くいっていないわけではないでしょ? 栽培した野菜の売れ行きは良いし、グルンサーク産のブランドも、人気が上昇している最中だし。

 父上がぴりぴりしているのは、一体なんで?」


 男二人には広過ぎる大浴場に、ぼくと従者の二人きり。

 従者は器用にエプロンドレスのスカートをまくって、濡れないようにしている。

 手櫛で髪の毛を洗われながら聞いた質問に、即答で従者が返した。


「グルンサーク家が王族――、

 ドゥヴァンと最も近い貴族であるというのは、知っていますよね?」


 ドゥヴァン――、

 この南の大陸の名前にもなっている、世界で四つしか存在しない、王族の内の一つ。


 確か、うんと昔の話。

 ドゥヴァンが王族になったばかりの頃だ。ぼくたちの先祖であるグルンサークの一人の男が弟子にしてほしいと頼み込んだらしい。

 ドゥヴァンは断ったらしいが、諦めなかったグルンサークは、数百回以上、頼み続けた。最終的に折れたドゥヴァンが、グルンサークを弟子に……ではなく、傍に置いた。

 グルンサークの自称・右腕とも語られてはいるが、ドゥヴァンが傍にいることを認めたのも事実なのだ。


「うん。父上はドゥヴァンの右腕だって、昔から誇りを持ってるよ」


「奴隷、庶民、貴族、王族――、縦を見れば上下関係は明らかです。ですが、それぞれの階級を横に見た場合は、上下関係はありません。

 たとえ王族の右腕であろうが、貴族同士は対等と決まっています。そんな中で自分は貴族の中でも頭一つ、飛び抜けている……と豪語する者が現れれば、印象は良くないでしょう。

 もちろん、結果を出してはいますが。だからこそ気に入らないと思われても不思議ではありません。グルンサーク家は、野菜の栽培で成功していますから、そこに邪魔を入れるのは難しいでしょう。ですが、貴族同士の情報交換で、多少の邪魔を入れることはできますからね。

 子供のようにも思えますが、ご主人は恐らく、仲間はずれにされているのではないかと。——敵を作り過ぎた結果、と思えます」


「確かに父上、社交パーティーだといつも独りだった気がする……もしかして、いじめ?」


「どうでしょう。ご主人はたとえ独りになっても噛みつきますからね。いじめられているとは言えないのではないでしょうか。見ている分にも、ご主人の方が押していますし」


 目を瞑ってください、と言われ、従うと、頭から温水をかけられる。

 頭の上の石鹸の泡が、全て流された。


「ご主人は喧嘩っ早いところがありますし、プライドも高いです。なめられたことが許せないのではないでしょうか。ですから、さっきのように怒鳴っては、ストレスを発散しているのでしょう。大きな問題は起こっていませんから、メガロ様はお気になさらず」


「え、じゃあさっきのって、八つ当たり?」


「とも言えませんが。あの従者は新入りで、仕方ない部分もありますが、失敗を何度もしていますから、怒られる理由はあるのですよ。自業自得です。

 それに、怒られるだけまだマシな方ですよ。一度のミスで屋敷を追い出される家もありますから。我々従者は、ミスをしないのが当然なのです」


 身の回りの世話をしてくれている従者にも、分かりづらいが、相当な技術が必要だ。


 仕事として最前線に出ている以上、さっきの頼りなさそうな従者も、腕は確かなのだ。


「ねえねえ」

「なんでしょう?」


「なにか、欲しい物とかあるか? いつもお世話をしてくれてるから、感謝の気持ちを伝えたいんだ。なんでもいいぞ、なんでも買ってやる」


「その言葉だけで充分ですよ、メガロ様」


 淡々とぼくの体を拭く。

 結局、従者はなにが欲しいのか、頑なに言わなかった。




「そ、そんな滅相もないですっ。

 お世話をするのが当たり前ですから、メガロ様はどんと構えていてください!」


 新入りの従者に聞いても、やはり断られてしまった。


 性格の問題かと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「……もしかして個人的にプレゼントをするのって、ダメだった?」


「いえ、その……、ルールはありませんけど。感情移入すると、いざ別の場所へ異動になった時に、寂しいかなって。

 私たちも一応、組織の一員ですから。派遣されてきているパターンなんです。ですから、そういうのはあまり頂けないかな、と。

 えへへ……、そのお気持ちだけで充分です。ありがとうございます、メガロ様」


 笑みを作った従者の、些細な変化に気づいた。

 ぴくっと、頬が痙攣したように見えた。


 ぼくが手を伸ばすと、従者は、うっ、と顔を引こうとして、なんとか踏みとどまった。


「痛い?」

「……いえ、慣れていますから。メガロ様やご主人様を守るために、体を張って盾になることもあります。この程度の痛み、がまんできなければいけません」


「でも、恐がってる。ポーカーフェイスはまだまだだね」

「申し訳、ありません……」


 落ち込んだ従者の頬を優しく撫でる。

 こんなことをするくらいなら、氷を当てた方がいいのだろうけど……、こうして、撫でてあげたくなったのだ。


「あの、メガロ様……そろそろ……」


「――おいっ」


 割り込むような攻撃的な声は、父上のものだった。杖は地面につけずに手で持ったまま、足音をわざと立てて近づいてくる。

 細長い廊下の脇に飾ってある貴重な壺が、足音の度にカタカタと小刻みに揺れる。


「はいっ、ご主人様」


「部屋の掃除を頼みたい、と思ったが……、ちょうど良い。メガロの勉強を見てやってくれ。他の者に仕事を割り振ってしまっていて、人が空いていないのだ。できるか?」


「で、できます! 失敗はもうしません!」

「そうだな。なら、よろしく頼む」


 すると、電話の呼び出し音が鳴った。いつもならば従者がまず取るのだが、手の空いている者がいないため、父上が直接、電話に出る。


「はい――えっ、ドゥヴァン様、ですか? ええ、ええはいっ! 今ですか? もちろんですとも。それに、いつでも大丈夫ですよ、ドゥヴァン様が一番、優先ですからね」


 声のトーンが上がり、笑顔が増えた父上は楽しそうだ。

 プレゼントを買ってもらえる、と知った時のような、子供のような反応……。


「メガロ様、行きましょうか」

「え、どこに?」

「お勉強の時間です!」


 逃げようと背中を見せたら、羽交い絞めにされた。相手は女性だ、振り払おうとしたが、さすがは従者として鍛えられただけあって、びくともしなかった。


「さあ、行きますよー。

 今度こそ、私も仕事を達成しなければいけませんからねー」




 ―― to be continued ――

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