【警告】―地下世界から出ないでください―(読切集その2)

渡貫とゐち

勇士徹戦(ゆうしてっせん)

前編/光と影

 ミイラのような集団がいた。


 握ったつるはしを振り下ろす。

 ひたすら岩壁を削り続ける。

 こぼれ出る破片の中には、目的の鉱石が少量だが混じっていた。


 再び、つるはしを持ち上げる十二歳ほどの少女は、足元の鉱石には目を向けなかった。


 少女はなにかを見ているわけではなかった。


 前を向いていても見てはいない。瞳は泥水のように濁っている。たまに岩壁から滲み出る貴重な飲み物と同じ色。

 仲間同士で奪い合って赤が混じることもあるが、気にしている者は誰一人としていなかった。


 飲まなければ干からびる、食べなければ力尽きる。

 休みのない労働環境では、体内から減るものの方が圧倒的に多い。

 それでもなかなか死なないのは、人間の自覚ない底力か。


 どこかで誰かが倒れた。驚く者はいない。いつも通りの光景だからこそ、気づかない者も多く、自分の持ち場である岩壁をつるはしで削り続ける。


 しばらくして、金属同士を叩く音。料理器具を代用したらしい。振り返れば、エプロンドレスを身に纏う二十代の女性が立っていた。

 彼女は作業している者の足元に置いてある、火を灯した燭台を回収する。


 順番が回ってきて、少女のものも回収された。

 はっきりと見えていた足元と作業場が、山の中の暗闇に包まれる。


 じっと待つと、目が慣れてくる。火がなくとも進むべき道を確認できる。


 エプロンドレスの女に手を引かれた。

 骨と皮だけの不気味な腕と、肉と筋肉がついた健康的な肌を持つ腕が繋がる。

 自分の腕がまるで木の棒のように見えた。


 連れて行かれる途中で振り向いた。

 自分の作業場にある、地面につけられた『一』の線。


 朝、自分が立っていた場所から進んで、三歩。

 つるはしを振り続けて掘り進めた距離だ。


 採れる鉱石は次第に少なくなっていく。今日も積んで、足のくるぶしに届いた程度だ。それでも以前と同じ量を採掘しなければならない。

 でないと、いま以上に労働を強いられることになる。

 しかし、数日が経っても、採掘量が回復することはない。


 少女は水浴びを許されている。

 だが、体に刻まれている多くの傷に沁みるため、好きにはなれなかった。


 水浴びの後、自分の部屋である鉄格子の中に入り、ダストシュートから滑り落ちてくる夕食を手で受け止める。


 見た目は悪いが、それでも高級な肉料理だ。

 誰かの歯型がついた肉にかぶりつく。湿った白米は、手を舐めるように一粒も残すことなく口に入れる。

 野菜の、恐らくは不要と判断された部分だろうか……、少女はそれも残さずに食べた。


 元々、味など意識していない。

 美味しさなど求めていない。食べ物であるだけ幸運だ。


 空腹の音が鳴る。

 少女がまだ生きている証拠だった。


 食後に、意識が落ちた頃、部屋の鉄格子が開かれる音。

 横になっていた少女は、痛みと同時に目を開ける。

 髪を引っ張られ、頬にはいま、抜け落ちた数本の髪の毛が張りついている。


 少女は笑った――待ちに待った時間だった。


 両腕を縛られ、両足は地面につかず、吊るされた状態で少女は痛みだけを味わう。


 成人男性の力で振るわれる暴力。

 少女は期待していた。いつも――そして今日も。


 ……さあ、




 熱射病で六人が死亡したらしい。

 新聞の片隅に、ちょこっとだけ載っていて、暑さへの注意喚起の記事が、死亡記事の三倍のスペースを取っていた。


 本格的な夏の季節まであと半月はあるのに、今でこれでは、本番になったらどれくらいの人が犠牲になるのだろう。暑いのなら、冷えた部屋にいればいいのに……。


「メガロ様、死者の六名は奴隷ですので、そもそも冷えた部屋などありませんし、部屋に入れる権利も持ってはいませんよ」


「あ、そっか」


 だから記事のスペースも小さいのか、と納得した。


 貴族や庶民であれば、もっと大きく書かれるだろう。報告するべき事故になるのだ。

 しかし奴隷となると、記事にするようなことでもない。今回、例外的に載ったのは、『死亡者が初めて出たので、みなさん気を付けてください』と教えるためだ。


 奴隷を記事に載せてはならない決まりがあるわけでもないので、ちょうど良い材料として奴隷の記事を載せたのだろう。見る人が着目するのは数字であって、『誰』ではないのだ。


「ぼくたちも気を付けないと」


「大丈夫ですよ、メガロ様のことは四六時中、見ていますから。体調不良になどさせません」


「そもそも奴隷以上の階級の人は、熱射病になりにくいかもしれないね。

 体調が悪いと思ったら家に帰ればいいわけだし」


「ですが、帰る途中で倒れてしまった場合、その場で死んでしまいますよ?」

「お前たちがいるのに?」


 エプロンドレスを身に纏う、ぼくのお世話係――従者メイドと言う――は、微笑を見せる。


「メガロ様にはついていますが、他の貴族のみな様一人に五人もついているわけではないのですよ。一人だって珍しいです。メガロ様は、特別なのですから。

 庶民はもちろん、従者をつけることができる家などありませんよ」


「他の人には、お前たちみたいなのはいないのかー。じゃあ、着替えとか掃除とかお風呂とか、どうしてるんだ? 外出も仕事も、手伝ってくれる人がいないじゃないか」


 そうですねえ、と指を顎に添えて、


「一人でやるしかありませんね。効率は落ちますが」


「うげえ……、みんな大変だなあ。――よっと」


 手に持つバケツに溜めた水を、広範囲に撒く。母上に教わったやり方だ。


 隣の従者は、日傘を使って日光を遮断してくれている。が、風がないので日光に当たっていなくとも、じんわりと汗が流れ落ちる。

 気づいた従者がタオルで汗を拭い、すかさず水筒からコップに水を注いで渡してくれた。冷えた水を喉に流し込む。

 全身が一気に冷えた感覚……、しかし一瞬で、幻だったかのように暑さに負けてしまう。


 さすが、最も南に位置する大陸と言うだけある。


「何度も言ってはいますが、水やりくらい、命令していただければ私共でやりますが」


「ううん。これは、ぼくの役目だから。それに、一目でみんなのコンディションが分かるのはぼくだけでしょ。さすがにお前たちでもできない芸当は頼めない」


「みんなとは、この植物たちのこと、でしょうか」


「他に誰がいるのさ。……もしもぼくと同じ目を持っていても、やっぱり頼めないけどね……お前たちには悪いけど」


 いえ、と従者は頭を下げた。


「私こそ、大切な役目を奪おうとしてしまい、申し訳ありません」

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