第3章 伊達眼鏡と秘密の雑誌

 授業を抜け出してトイレを済ませた俺は、伸びをしながら教室に戻る。

 数学は大の苦手だ。このままバックレたい……。

 廊下に面した窓から歓声が聞こえたから見ると、一年生がサッカーをしていた。

 自然と、杏樹の姿を探す。

 杏樹のことだから、どうせ見学してるんだろうけど。

 でも見学をしているであろう生徒の姿はどこにも見当たらなかった。


 まさか……?

 俺は階段を駆け上がると、図書室に入った。


「杏樹!」

「ちょ、な、へ!?」


 やっぱりそこには、歴史雑誌を読んでいる杏樹の姿があった。

 俺の姿に声を裏返らせ、あやうく雑誌を取り落としそうになってあわあわしている。


「先輩、何してるんですか……。授業中ですよ?」

「それはこっちのセリフ。いくら見学だからって、図書室に行くのは駄目だろ」

「ケホケホ……。私、病弱なんで……」

「いや、散々アグレッシブな姿を見せといて、そんなんで騙されないから」

「見せた訳じゃなくって、先輩が勝手に見てるだけですよね。第一、授業をサボってる人に言われたくありません」

「う……。いや、これはサボってるわけじゃなくってな……。ていうか、いいのかよ。運動場に戻らなくて」

「授業が終わる十分前に戻って、全員集合の合図に間に合えば、問題ありません」

「なるほど。常習犯ってわけか…。でも、そこまでして本が読みたいのかよ。本の虫にも程があるだろ……」

「先輩こそ、早く授業に戻るべきじゃないですか?」

「……数学は苦手なんだよ」

「ぷ……っ。子どもじゃないんですから」

「笑うなよ。それにしても図書室にここまで入り浸るなんてな。だったらその雑誌を読みながら見学してればいいのに」

「そんなこと許してくれるわけないじゃないですか……。見学と言っても、休ませてくれるわけじゃないんで。得点係をやれとか、タイムがかりをやれとか言われるんです。見学だって楽じゃないんです」

「つまり、雑用から逃げるためにここにいるのか」

「違います。先生にはちゃんと、お手洗に行きますと言って抜け出してきましたから」

「……俺と同じってわけか」

「じゃあ、先輩はさっさと戻ってください」

「いや、先輩としては、杏樹がちゃんと戻るかどうかを確認しなきゃな」

「後輩をサボる理由にするなんて、先輩ってかなりゲスいんですね……」

「ていうか、なんだかさっきから違和感があるなって思ってたんだけど、眼鏡、どうした?」

「あ……。今日暑くて汗をかいたので、眼鏡が邪魔だから、外してるのを忘れてました」


 そう言いつつ、杏樹は特に眼鏡をかけようという素振りを見せなかった。


「本を読むのに、眼鏡ないと不便じゃないか?」

「平気です。伊達なんで」

「ええ!」

「なんですか、先輩。そんなギャグマンガみたいな驚き方して」

「そりゃ驚くだろ。伊達だとは思わなかったから……。でもなんで? いや、眼鏡は似合ってたと思うけど」

「三つ編みに眼鏡って、いかにも大人しそうで気弱なイメージがあると思ったので、そうしてただけなんです」

「どうしてそこまで病弱キャラを演じるんだよ」

「ま、気が向いたら教えてあげますけど、今は駄目ですけどね。あ、そろそろ運動場にいないないといけない時間なので、戻りますね。先輩も早く授業に戻ったほうがいいですよ」


 杏樹は雑誌を閉じると、机に置いた。

 その時の置き位置が悪かったのか、雑誌が落ちる。


「おい、落ちたぞ」

「だめっっっっ……!!」


 俺が雑誌を拾い上げるのと、杏樹が悲鳴を上げるのは同時。


「おい、どうしたんだよいきなり……」


 歴史雑誌の中から何かが落ちた。


「ん? 特撮ヒーロー大特集……」


 なんでこんなものが歴史雑誌の中から出てくるんだ?

 歴史のほうの雑誌とは出版社も違って――。

 もしかして。


「これ、読んでたのか?」

「~~~~~っ!」

「……あ、杏樹?」

「悪いですかっ。女が、特撮好きなのって駄目ですかっ」

「悪くない! ぜんぜん悪くないぞっ!」

「……で、ですよね」

「特撮、好きなんだな。戦隊ものとか……?」

「好きですっ。昭和の良き伝統を残しつつも、今の世代の視聴者――子どもだけでなく、大人も愉しめるストーリーテリングといい、質が向上して格好いいCGによる変身シーン、シャープなスーツのデザイン性といい……あ、す、すいません……」


 杏樹ははっと我に返ったように目を伏せる。

 髪からのぞいた耳が少し赤くなっていた。


「いや、謝ることじゃないから。すごく好きだって気持ち、伝わってきたし。じゃあ、これ」


 返すと、杏樹はいそいそと歴史の雑誌に、特撮雑誌を挟み込んだ。


「こ、このことは誰にも……」

「もちろん言わない。俺の口が硬いのはもう分かってるだろ」

「……そう、ですね。じゃあ授業終了時には運動場にいないとまずいので……」

「お、おお。俺もそろそろ戻らないと。またな」

「……はい」


 当たり前のように窓から木の枝に飛び移る杏樹を見送る。


 杏樹はほとんど何に対しても感心がなさそうだったから、あそこまで特撮に関して饒舌に語る姿には驚いた。

 でも、そんな杏樹の新しい一面が見られたことが嬉しくもあった。

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