第2章 2人の距離感
次の日の放課後、図書室へ向かうと杏樹が本を読んでいた。
扉の開く音に、杏樹が顔を上げた。
「片岡先輩、こんにちは」
「こんにちは……って、先輩?」
「何です?」
「……昨日とはずいぶん態度が違うなって。てか、名前、教えたっけ?」
「悔しいので、私もクラスメートの長岡さん経由で、あなたのことを調べたんです。二年一組、
「俺が悪かったから、それ以上、古傷をえぐるはやめてください……」
長岡のやつ、簡単に個人情報をべらべら教えすぎだろ……。
先に聞いた俺の言えた義理じゃないけど。
「今は先輩、スマートだからいいじゃないですか」
「フられた直後の夏休み中に、死ぬほど運動して、ダイエットしたからな」
「先輩が告白した人、性格がかなり悪いですよね。告白を断る理由なんていくらでもあるのに、よりにもよって太ってる人と一緒にいたくないとか、さすがに同情します」
「ありがとう……。そう言ってくれると当時の俺も浮かばれる。――で、何を読んでるんだ? 本……ていうか、雑誌か?」
「はい。室町幕府特集です」
「室町……。へえ。歴史が好きなのか」
「ぼちぼち、です」
「ぼちぼち、ね」
「先輩。そうやって檻の中のクマみたいに目の前をウロウロされると、目障りなんですが」
「悪い……。なんだか、手持ちぶさただなって」
「先輩も何かの本を読んだらどうです? ここ、図書室ですから」
「あー、うーん」
「あー、うーんって、何です? 何しに来てるんですか?」
「そりゃ、杏樹の話すためだけど?」
「……そ、そうですか」
「それにしても、図書室っていっつも誰もいないよな。図書委員すらいないとか……」
「図書委員の人なら、友だちとカラオケに行きました」
「何で知ってるんだ?」
「私が一人の方が集中できるので、代理をしておきますって言ったんです」
「集中って……。桜の木に飛び移るのを見られたくないからじゃないのか?」
「……それもあります。で、図書委員の人はさっさと仕事を終わらせたい。私は一人になりたい。お互いの利害が一致した訳ですから、何の問題もありません」
「よく図書委員も一年生に任せるよな」
「私、常連なので。大抵の手続きはやれますし、何なら図書委員の人の代わりに日誌も書いちゃいますから」
「そこまで!? それじゃあ、杏樹が図書委員をやったほうが良くないか?」
「私、病弱なので、委員会活動はできないんです。ケホケホ……」
「いやいや! あんだけ軽々と桜の木に飛び移っておいて病弱とか今さらすぎるだろ! てか、なんでいきなりせき込んだ!?」
「どうでもいいじゃないですか。委員会活動とか興味ありませんし」
「……なあ、どうして病弱だなんて嘘をついてるんだ? 正直、あれだけのことができるってことは相当、運動神経がいいよな。運動部に入ったら引っ張りだこになるんじゃないか?
「部活、興味ないんです」
「体育の授業もほとんど見学してるんだよな」
「放っておいてください。必要最低限のテストはうけてますし、留年したりはしませんから」
「納得できないな。色々と面倒臭がる気持ちは分かるけど、杏樹のは度が過ぎてるっていうか……」
「先輩が納得できるかどうかなんて、死ぬほどどうでもいいです」
「まさか、運動というものにとんでもないトラウマがあるのか? 俺もかなり太ってたから、その気持ち分かるぞ。持久走の最後にようやくゴールした時のクラスメートの冷たいというか、憐れみの眼差し……。あれで、どれだけ体育の授業が嫌になったことか……」
「勝手に妄想して、勝手に共感しないでください」
「え、そういうのじゃないのか?」
「そういうのじゃありません」
と、杏樹が腕時計を見ると雑誌をパタンと閉じ、受付カウンターの中に入ると貸し出しカードに自分のクラスと名前を書き込んで、雑誌を鞄にしまう。
「それじゃあ、私、帰りますね」
「ちょーーーーーーーーーっと、待った! どうして当然のように窓の方に行くんだよ。明らかに出入り口の方が距離的に近いだろ!?」
「先輩、あんまりしつこいと嫌われますよ」
杏樹は話ながらも当然のように窓を全開にした。眼鏡をケースに入れて鞄にしまい、鞄を肩にかけると、窓枠に足をかけた。
俺は迷ってしまう。
全力で止めるべきか否か。下手に邪魔して、タイミングを狂わせて最悪の事態になったら目も当てられない。
そうかと言って危険行為を黙って見逃すわけには――。
「じゃ、先輩、さようなら」
どうするべきか考えている間に、杏樹は桜の古木に飛び移ると振り子のように身体を前後に動かし、地面に着地した。
「へ、平気か、杏樹!」
杏樹は無言でこちらを振り返ると、軽く親指を立てて、走り去っていった。
……あいかわらず、足が速い。
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